第277話 音無霞(おとなしかすみ)

 寄白はひとり夕暮れ間近の町に繰り出し、とある家の玄関チャイムを鳴らした。

 開かれたドアから顔をのぞかせたのは若いひとりの男だった。


 「ああ。美子ちゃん。なにか用かな?」


 「優志ゆうじさん。ちょっと」


 寄白が優志とその男の名前を呼んだと同時に廊下のうしろからバタバタ大げさな足音を立てて走ってきたのは幼いひとりの男の子だ。


 「ゆうくん。元気だった?」


 寄白が優と呼んだ男の子はボロボロになったタオルを握っている。

 その子は寄白の言葉はまだ理解できずにただニコニコして優志に足にしがみつき、ふたたびひょいと顔をのぞかせた。


 「優志さん、最近、霞さんの様子は?」


 「えっ、霞? うん、夜には帰ってくるけど。ただ最近は新人さんのタクシーに乗ることが増えてちょっと困ってるかな」


 「……」


 「えっ、美子ちゃん。なんで黙るの? ひょっとして……」


 「優志さん。急だけど覚悟を決めてもらいたい」


 「美子ちゃん、そ、そんな急にいわれたって、ぼ、僕にも心の準備が」


 優志は慌てている自分とは正反対な寄白に有限の終わりを知る。


 「でも、そっか霞が最初・・にいなくなったときも急だった……な。それこそ僕の心がなくなるくらいに」


 「優志さん。私はあなたの傷口にもう一度ナイフを刺そうとしている」


 寄白は眉ひとつ動かさずに優志を見つめていた。

 重大なときにいつも寄白が見せる表情だ。

 

 優志はかぶりを振ったあとに足に抱きついていた優の頭をなでる。


 「ううん。いいんだ。束の間だったけど、もういちど霞と一緒にいられたから。それに今ならまだ優の辛い記憶にはならないと思うし」


 「そうだね。じゃあ、私は今から霞さんと一緒にここに戻ってくるから」


 「美子ちゃん。お願い、いや。どうか、妻をお願いします」


 優志はただ頭を下げた。

 

 寄白はおもむろにイヤリングのひとつ外す。

 それは藁人形の腕が収められている十字架のイヤリングだ。

 

 「優志さん、これ……」



 寄白はみずから指定した株式会社ヨリシロの関連会社である『Y-交通』のタクシーに乗っていた。


 「霞さん、まだ決心はつかない?」


 「はい」


 霞はオレンジ色のハンカチをそっと握っている。


 運転手は一般的な制服よりも生地の厚い『Y-交通』の制服に身を包み、まるでバーテンダーのように会話を聞き流しタクシーを運転していた。

 

 「そう」


 寄白はその答えが当然だというように受け答えする。


 「寄白さんでしたっけ? どうしてそんな私に構うんですか?」


 「どうして……」


 寄白はいい淀む。

 

 ――か?。疑問符は消え入るように唇からこぼれた。


 「私あなたのご迷惑になることでもしましたか?」

 

 「ううん、なにも」


 寄白が首を横に振るとつの十字架のイヤリングが揺れた。

 

 「私にね」


 「それなら。もう、私のことは放っておいてください」


 運転手がバックミラーをチラっとながめると後部座でシートベルトをした寄白が誰もいない隣の席に話しかけていた。


 「ひとりできていく気はない?」


 「当たり前です。優二ゆうじさんとゆうとずっと一緒にいたいんです」

 

 「優くんはまだ霞さんのこと視えてるけど物心ものごころをつくころには霞さんのこと視えなくなるよ?」


 (霞さんの進行速度はもっと早いけど)


 「そんなのうそです」


 「うそかどうかはなったときにわかるさ。霞さんは優くんに認識されなくなってもまだこの現世せかいにいつづけるの?」


 (霞さん自身がもう自分が死んでるか生きてるかさえわかってないんだから)


 「当然です。あの子はいまだって私が家に帰ればママ、ママって駆け寄ってきてくれるんですよ」


 「その手で優くんを抱きしめることはできる?」


 「いいえ。この手をすり抜けていきます、どうしてでしょうか? でもあの子が産まれてこの胸に抱いた重さはずっと覚えています」


 「霞さんには酷な話だけど優くんはそれからもう何キロも重くなってるんだよ?」


 「そんなのうそです」


 (当然、時間の概念が欠落してるよな)


 タクシーの運転手は信号を待ちながらまたバックミラーに目をやった。

 寄白はいまだ空席の座席を向きながらなにかを話していた。


 「私ね。小さいころに見たヒーロー物の物語ですごく心に残っているものがあるんだ」


 「なんですか突然? でも優も保育園にいくころには町で暴れる怪獣をやっつけるヒーローに興味を持つと思うんですよ。今からスーパーYSのおもちゃ売り場に連れていくのが楽しみです」


 「優くん、きっと喜ぶだろうね? 男の子はそういうの好きだからさ」


 「やっぱりですか? それでそのヒーローの話ってどんな物語はなしなんですか?」


 「それはね。ある氷河の中から発見された怪獣を見世物みせものにするために町に連れてくるんだ」


 「まあ。自分勝手ですね?」


 「霞さんもそう思う?」


 「ええ」


 「そのあとにその怪獣は町で暴れてしまうんだけどヒーローに退治されてしまってさ」


 「それって悪いのは連れてきた人じゃないですか?」


 「だよね。私も人間あんたらが町に連れてきたんじゃんって思ったよ。三つ子の魂ってあるけど子どものころの印象はずっと消えないものだよね」


 (優くんに霞さんあなたの記憶が残らないうちに……)


 「寄白さんは子どもながらに正義感が強かったんですね? 優にも優しくて強い子になってもらいたいです」


 運転手がタクシーをゆっくりと停車した。


 「お嬢さん。到着しました」


 「ありがとう」


 寄白と霞はタクシーから降りると霞の家からすこしだけ離れた閑静な駐車場まで進んでいった。


 「それで寄白さん。私にどうしろと?」


 「単刀直入にいうなら。霞さんはもうこの世界にいてはいけない」


 「どうしてそんなひどいことをいうんですか?」


 「そう。ひどい話だよね。私自身でもそう思うよ。赤ってさエネルギーの最高潮を示す色なんだってさ。まあ、それって生命力の強さかな。赤ちゃんの”赤”はその命の根源からきてるんだ。現代医学では生まれたての赤ちゃんの皮膚が赤いかららしいけど」


 「それがなにか?」


 寄白はアヤカシと戦闘するような速度で霞の前に立った。

 そのまま顔を霞に近づけると黒光りした十字架が無慈悲に揺れている。


 「霞さん。あなたが三年前優くんに与えた”生”をあなたの手で奪うつもり?」


 「わ、私が優の命を!? じょ、冗談いわないでください? 私はあの子のためならなんだってできるんです。あの子になにかあったらそれこそ死んでも死にきれませんよ」


 (霞さん。母親の子ども想う気持ちって本当にそのとおりなんだね? 霞さん自身がそっくりそのままそれを体現してるんだから。霞さんはもう死んでるんだよ。私はあの思念の入った絶望のノートにもそういったけ。黒杉工業か)


 「生から離れた者が生ある者と一緒にいてはいけないんだ。理屈でいうなら”死んだ者”は生者の生命力を奪ってしまうから。意図しなくなってそうなってしまうんだ

よ。それが世界の摂理。でもね私には私なりの死生観があってさ。新二元論キラリティー


 「私が死んでるってどういことですか? キラリティー? なんですかそれ?」


 (霞さんは自分が死んでいることを理解しているときもあれば死んでいることをわかってないときもある。霞さんにとっては結局、自分の生死なんてどうでもいいことなんだよね。優志さんと優くんのところにいけさえすれば)


 「霞さん。重要なのはそこじゃないんだよ」


 (まあ、霞さんがキラリティーを知っていても困るんだけど。それって私独自の死生観だからさ)


 「私はね現世こっちの世界での”死”はあの世あっち誕生せいなんじゃないかって思うんだ。逆をいえばあの世あっちの”死”が現世こっちでの誕生せい。単純な表裏一体ってわけじゃなく鏡合わせのような対掌性たいしょうせいの世界」


 「私には寄白さんがなにをいってるのかちょっと難しくてわからないです。寄白さんは六角第一高校いちこうでも頭がいいんでしょうね?」


 「頭の良さは関係ないかな。私は人に危害を加えたりするアヤカシを退治してる存在なんだよ。私にだってアヤカシへの罪の意識みたいなものはあるんだ。人間を襲うやつは容赦しないんだけどね」


 (遠回りしすぎてるか? ただあんまり直接的すぎると私が霞さんを強制的に退治しなきゃいけないことを悟られてしまう)


 「アヤカシってなんですか?」


 「負力ってのが原因で出現する存在なんだけど。私ある一体のアヤカシに欲目がでちゃってさ。なんか憎めないやつで」


 「それでどうしたんですか?」


 「退治ころしたよ。まあ、今思えば遅かれ早かれそうなってただろうね。種類的には霞さんと同類おなじなんだ」


 「わ、私と同じって? 私もそのアヤカシなんですか?」


 「はっきりいうと。そう」


 「違いますよ。私は人間ですから」


 「……人間だと思ってるアヤカシに違うって証明をするのもなかなか難しいな。でも霞さんあなたはもう死んでるんだ」


 「寄白さん、あなたが私を退治ころすってことですか?」


 「自分で成仏そうしてくれないならそういうことになるかな」


 「絶対にイヤです!! 私はあのこをおいてどこにもいきません」


 「そんな簡単じゃないよね。いったんみんなで話そうか?」


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