第157話 朗報×悲報×吉報×凶報

 繰はヤヌダークとの話を終え差し迫った株主総会用の資料に目を通している。


 (ヤヌとの話からすこし頭の中を切り替えないと……)


 繰が机に肘をついたまま髪をかきあげ眉をひそめたときだった。

 コンコンではなく――トントン。と明らかに力を弱めたノック音がした。


 「どうぞ」

 

 繰は反射的にドアを見る。


 「失礼します。あの寄白社長今よろしいでしょうか?」


 喉が歳を重ねた声がドアの向こうから聞こえてきた。


 「ええ、はい。どうぞ」


 ――カチャ。っとドアノブが回ると胡麻塩頭ごましおあたまの中年の社員が悪びれた様子で顔をのぞかせた。


 「社長。お仕事中にすみません」


 「いえ。大丈夫ですよ」


 繰は無意識に手元の資料をデスクの脇へと寄せた。

 それは隠す意図はなく習慣的な条件反射だ。


 「どうなされました?」


 紙の束ががさっと音を立てたと同時に訊き返した。


 「あの、一時中止していた六角第四高校の解体工事のことなんですけれども」


 「はい。それが」


 中年の社員は繰の――それが。を反唱はんしょうした。


 「ですね。六角第四高校からはそれほど瘴気は出ていないんですけれど……」


 「えっ?」


 「あれなら新築じゃなく改築でなんとかなりそうなんですけれどダメでしょうか? これは経理部長として私個人の意見ですけれど……それに減価償却げんかしょうきゃくとの兼ね合いもありまして無駄にお金をかける必要もないと思うのですが?」


 「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」


 繰はまるで歌舞伎のように机から体を乗り出し、見えないなにかでその経理部長を繫ぎ止めるように手を広げたままでいる。


 「瘴気が出てないって負力がまったく出てないんですか?」


 「う~ん。そうですね~。自然界にある一般レベルと同等くらいです。とりたてて騒ぐ量ではないですね」


 (ど、どういうこと? 沙田くんが転入してきた朝だって美子が千里眼クレアヴォイアンスでカゲを見てたのに……あれは邪気や浮遊霊なんかの瘴気のはず。……私が六角形の点を壊したから負力の流れが乱れた……のに……。あっ!? そ、そっか五味校長たちがいってたっけ。私あのときバシリスクのことで頭がいっぱいになっちゃっててすっかり忘れてた。六芒星を壊しても結界には影響がないんだった……)


 「それってうちの会社で調べたんですか?」


 「はい。ただ厳密には孫請けの白杉工業しろすぎこうぎょうですけど」


 「そう。白杉さんね」


 繰はようやく態勢を戻した。


 「けれど社長。あいだに入っていろいろと六角市の地元業者たちをとりまとめているのは黒杉工業くろすぎこうぎょうですけれど」


 「そう……ごめんなさい。私まだ下請けさんたちの会社を把握していなくて」


 (ダメね。こんな中途半端で社長なんて)


 「寄白社長。お言葉ですが早めに覚えた方がよろしいかと。先代はすべて完璧でした」


 (お父さんは社長になるべくしてなった人だし)


 「うん。わかってるわ。ごめんなさい」


 繰は社員に対する言葉遣いさえまだ定まっていなかった。

 

 (忙しさにかまけて四校の工事もおろそかにしてたからな。私ってなんでもかんでも中途半端……)


 「それで社長、四校の工事はどうなさいますか?」


 「それはいったん保留で。すこし時間をください」


 「わかりました」


 「あっ、あの六角駅のあの柱のキャンペーンはどうなってますか?」


 「ええ。あれはいい反響がきてますね。イベント的にも成功だと思います」


 「そうですか。それは良かった」


 繰はほっと胸を撫でおろした。


 「それと今日はワンシーズがきていましたので相乗効果で駅前は盛り上がっていたみたいです」

 

 「渡りに船ね?」


 (ワンシーズンか。美亜ちゃん元気でやってるかな? いつかフロントメンバーになってくれるといいんだけどな~。なんだかこういう話をしてると蛇が別の世界のことように思えてくる。緊張と緩和とはよくいったものね)


 「ただ」


 「ただ、なんですか?」


 「株式会社ヨリシロうちの企画部に連絡があったのですが……」


 「えっ、どこから?」


 「国立六角病院です」


 「な、なにかあったんですか?」


 「ワンシーズンのメンバーに魔障を発症した娘が出たとか」


 「魔障?」


 「はい」


 繰はお見舞いでもいうように――そう。とつぶやき――具合は?とつづけた。


 「状態は落ち着いているようです」


 「安心しました。本格的な魔障なら私たちじゃなにもできないですからね?」


 「そうですね」


 「それよりワンシーズンのイベントプロモーターって株式会社ヨリシロうちがやってたんですね?」


 「はい。そうです」

 

 この言葉で経理部長は繰の社長としての責任感や業務態度に疑問を覚えた。

 自分の会社がまがりなりにも今をときめくアイドルのプロモーションをしていることを社長・・自身が把握していなかったからだ。


 「では社長。四校の件よろしくお願いします」

 

 経理部長は頭をさげた。

 その態勢のまま上目遣いで見えもしない繰を見ている。


 「あっ、はい。わかりました」


 「それでは失礼いたします」

 

 経理部長は頭を上げて、さいど繰を見たあと先ほどよりも浅い角度で礼をして踵を返した。

 

 (あ~頭がパンクしそう)


 繰は気分転換とばかりに机の端に置かれていたリモコンに手を伸ばす。

 赤いボタンを押すと――ブチッ。と液晶に光が宿った。

 繰はそのままチャンネルを変えていく。

 いくつかの番号を一巡しさらにもう一度すべてのチャンネルを巡ってザッピングを止めた。

 そこで繰の目に留まったのはよくある十分間のニュースだった。

 繰は静かにリモコンを置いて、吸いつくように画面をながめている。


 「今日も金融コンサルタントの穴栗鼠人あなりすとさんと近猿丹人こんさるたんとさんをお迎えして番組をお送りしています。今日の株価で気になる点などはありますか?」


 「そうですね。株価としては先ほど話したとおりなのですが。フィンテック銘柄が熱いですね。まあ銘柄自体もそうなのですがブロックチェーンという技術にも注目です」


 「フィンテックとはファイナンステクノロジーの略でいわゆる仮想通貨。現在では暗号資産などと呼称の変化があった――」


 繰は机の株式総会の草案に一度目を向けてから溜息をつきふたたびチャンネルを変えた。


 (なんだかこの番組も気が滅入るわ。まるで私が責められてるみたい……。まあ、それが社長の宿命なんだけれど)


 切り替わった番組ではひとりの中年男性が原稿を読み上げていた。


 「今日の午後北海道のコンビニエンスストアで修文しゅうぶん30年と刻印された777円硬貨で買い物をしようとした男が通貨偽造罪で逮捕されました。男性の証言によると――ふつうに買物をしようとしただけなのになぜ逮捕されたのがわからない? 国が発行した通貨を使ってなにが悪いのか?――という旨の供述しているということです。現在は造幣局も交えてさらに捜査を継続するようです」


 ――あっ、美子。お嬢さん。

 繰のいる社長室まで社員の声が聞こえてきた。

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