第148話 命価(めいか)

 資料保管室の中は几帳面なほどに整理整頓されていた。

 九条は整然とされた棚に手を伸ばして飛び出たインデックスに指を這わせる。

 ある特定の日付けを探して視線を左から右へと流す。


 (こういうときにかぎって映像が紛失してるってのが相場だよな)


 九条の指先は急にストッパーでもつけられたようにここぞという位置で止まった。


 「ここか」


 九条はレンタルショップで目当てしなを見つけたようにDVDケースを手にとる。


 【執刀医:四仮家元也】


 DVDのケースには表計算ソフトで作ったような簡易シールがぺったりと貼ってあった。

 九条はシールを指先で撫でる。

 ツルツルした素材のシールではなく和紙のような手触りのシールだった。


 「この素材のシールなら貼ったり剥がしたりすれば跡が残る」



 九条が手している中身のDVDにもケースと同じ素材のシールが小さく貼ってあった。


 (すり替え防止のためか)


 九条は視聴覚室に備えつけられたDVDデッキにディスクを入れて椅子に腰かけからの空気を飲み込んだ。

 リモコンの再生ボタンを押してからその脇にある小さなテーブルにリモコンをそっと置いた。

 ――カタっという音とジジジっというデッキの機械音が重る。

 再生された映像画面の右上にはっきりと赤い文字で【REC】とあった。

 映像が流れると同時に若い女性の掛け合いが流れてきた。

 そのひとりは現在の看護師長で今よりもすこしだけスリムだ。


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 「これもう録画されてるの?」


 「ちょっと待ってよ。ランプついてるから録画されてるよ」


 「もう薄暗くなってきたね。患者さんもう着くかな?」


 「あと数分くらいだと思うよ」


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 九条が今観ているのは国立病院の救急搬送用入口の撮影風景だった。

 ただそれは約十年前・・・のだが。

 国立病院はY-LABと併設されているため表立った入口は用意されていない。

 そのため関係者だけが知る扉があってそこが急患の受け入れ場所だった。

 九久津堂流の搬送に立ち会った現看護師長ともうひとりの看護師がビデオを回している。


 「四仮家先生が絶対に助けるって」


 「搬送されてくるのって九久津堂流くんでしょ? 六角市のために命を懸けてくれてるんだから。私たちも全力で治療に臨まないと」


 「そうだね」


 映像を観ていた九条の表情が”暗雲が立ち込める”そんな比喩が似合うほどに陰った。

 だが、そのまま黙って映像を見つめる。


 (九久津堂流の搬送前から撮影してたのか? ……バシリスクの毒の浸潤速度を記録するため……か。こういうデータが蓄積されてやがて血清が作られる。現時点でもバシリスク、ミドガルズオルム、ヨルムンガンドなど同族の完全な血清は作られていない。それもこれも化学式のサブタイプが違うためだ。蛇毒は大別すると神経毒、出血毒、筋肉毒の三つに分かれる。そこに負力の構成要素が加わるとさらに血清製造までの道のりが遠くなる……。未来さきのことを考えて、か? これも四仮家先生の指示だろうな)


 そのごわずかな時間で九久津堂流は到着した。

 このとき四仮家が先頭に立って九久津堂流を受け入れた。


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 「すぐにルート確保」


 「はい」


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 緊迫した雰囲気の中ストレッチャーはガラガラと音を立て院内へと入っていった。


 (想像以上に毒の影響が強いな……だから余計にわいてくる違和感……)



 いったん画面が途切れるとつぎはオペ室の映像へと切り替わった。

 見切れるように壁の時計がちらっと映り込んだ。

 カメラの焦点は命の期限を刻むタイマーを映し出している。

 オペ室ではこのカメラの他にも、三台のカメラが様々な角度から九久津堂流を撮っていた。

 オペスタッフがカチャカチャと金属音をたてて慌ただしくオペの準備をはじめている。


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 「みんな今、やれることを全力で!!」


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 四仮家の声を合図にタイマーが一秒をカウントした。

 そして二秒、三秒と進んでいく。

 いざ手術開始になるとそれぞれが自分の持ち場で懸命に仕事をこなしている。

 たとえ今この瞬間大地震がこようとも誰もがこの持ち場から離れることはないだろう。

 それほどまでにこのオペに集中していた。


 九久津堂流の手術の映像が刻々と流れていく。

 映像には四仮家が指揮をふるいオペスタッフ一同で九久津堂流を救おうとする一部始終が残っていた。

 九条が見るかぎり経皮的心肺補助装(PCPS《ピーシーピーエス》)も正しい使用法で使われていた。

 

 もちろん四仮家が脱血させた血液を運び出すような素振りもいっさいない。

 ましてやオペ中に不審な動きする者も皆無だった。

 仮にあったとすればカメラの死角をついた場合と映像に意図的な改竄を施した場合だけだ。

 だが九条はその場に誰の企みも思惑もないと感じた。

 ただ真っすぐに九久津堂流を救うためだけに医療スタッフは存在している。


 同じ魔障専門医ゆえにその空気とシンクロする。

 四仮家に対する不信感はさらにグラグラと揺らぎはじめた。

 それどころか只野の恩師である理由もよくわかった。

 自分にとっても尊敬に値する魔障専門医であることが画面から伝わってくる。


 (できうるかぎりの完璧な処置だ)


 さらには四仮家が【オムニポテントヒーラー】なのにこの状況で九久津堂流にその能力を使わない違和感を覚える。


 (九久津家は六角市でも名家。寄白家の補佐の家系だ。金でなんとかできるなら九久津家はいくらでも払うはず……そうしない理由。命に値段はつけられないからか。もし四仮家先生が金のために能力を使うのならとっくに使っているはずだ。僕は根本的に間違っていたのかもしれない。今の状況で犯人になりえる人物をピックアップした場合にただ四仮家先生が合致したにすぎない……)



 資料を観るというより九条になにか・・。を教えた映像はすでにノイズになっている。

 画面が断続的にプツップツッと途切れるとやがて真っ暗になった。

 さっきまで一分一秒を正確に刻んでいたDVDデッキのアナログの数字も止まっている。

 それはこれ以上の映像のつづきがないことを現していた。

 同時に九条の推理が行き詰った。

 だが九条はこの映像を再生したときから感覚的にわかっていたことだ。


 九条の表情が陰った理由それは自己の推理破綻。

 現看護師長たちのとある・・・一言を聞いた時点で九条の推論はもうほころんでいた。


 ――四仮家先生が絶対助けるって。


 このセリフひとことがどんな証明よりも四仮家の魔障専門医としての使命と矜持きょうじを物語っていた。


 (もしこの言葉を看護師たちにいわせたうえで四仮家先生がビデオ撮影の指示を出していたのならそうとう用意周到なアリバイ作りだ)


 だが、そんな想いも、もうひとりの九条が心で反論する。


 ――そんなことなら最初から映像なんて残さない。

 

 ――そうだ。

 

 ――そうだろ? 下手に映像を残してなにかの手がかりを残すくらいならはじめから撮らなきゃいい。


 ――それを映像で残したんだ。その意味はただ純粋に魔障医学の発展ため。


 九条は横のテーブルからリモコンをとりDVDデッキの電源を消した。

 同時にテレビの電源も切る。

 九条は意気消沈したまままたテーブルの上にリモコンをすべらせた。


 ――コンコン。


 視聴覚室がノックされた音だ。


 「はい」


 九条はとっさに返事を返す。

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