13の2の『は』
帝都の『神学院』は、転神教会をはじめ多くの宗派の学者が集い。
市井で活躍する錬金術師も研究者、講師として名を連ねている。
帝国が誇る最高学府だ。
その研究内容は軍事に傾向し、賢者会とは敵対関係にあったため。
俺は、誘いを受けた事が何度もあったが……
――その門をくぐることはなかった。
「そこで研究が進んだのか?」
神学院では軍事利用を目的に、その研究が進んでいると…… 噂が絶えなかった。
「お父さん、痛いです」
エマの呟きに、俺はやっと手を緩めた。
「すまない、少し動揺しているようだ」
エマにそう言ってから通信魔法板を拾い上げ、ナタリー司教に連絡する。
「この式は……」
まだ推論の域を超えないが、現状をなんとか説明すると。
「分かったわディーン司祭、まず落ち着いて。神学院には転神教会出身の学者も何人かいるし。個人的な知り合いもいるわ。
それとなく調べてみるし。
……たとえそれが事実でも、あなたには何の罪もない」
ナタリー司教が強い口調でそう言った。
「ああ、ありがとう」
俺は彼女の厚意に素直に礼を言って、通信を切った。
エマは俺の行動を無表情に眺めた後、何も言わずに部屋を出る。追いかけようかどうか悩んだが、むしろこの状況が『財団』伝わった方が良いだろうと。
俺はあえて部屋を出ずに……
――大きく息を吸って、天井を睨んだ。
++ ++ ++ ++ ++
……それから数日は平穏な日々が続いた。
まあ、まったく問題がなかったわけではないが。
まずメリーザが司祭室や、その奥の寝室の掃除を勝手にする。
「ディーン、まだ勉強してるの?」
散乱した書籍や書きなぐった数式を見て、メリーザはため息をついた。
「司祭職は始めたばかりだし、少し調べ物をしていて」
キュービの手紙の件を相談しようか迷ったが。
下手に事件に巻き込まれてはまずいだろうと、結局は話さなかった。
「仕方ないなあ! ほっとくと、ゴミの山になっちゃうから。
――適当に整頓しとくよ」
嬉しいような、邪魔なような。
エプロンをして部屋を掃除するメリーザの後姿を見て。
なぜか照れるような感覚を覚えた。
「お父さん! あたしにもナイフや格闘技を教えてください」
次に俺を悩ませたのは、意外にもジュリーだった。
「どうしたんだ?」
母親譲りのサラサラの青髪をなびかせ、やや垂れた大きなブルーアイで俺を睨む。
「あねごの『ドラゴン・バスターズ』に入ったんですけど。
皆さん強くって…… あたしこれじゃあ、ディーン・アルペジオの娘として。
――世間様に顔向けできません!」
『ドラゴン・バスターズ』はリリーが結成した、近所の少年少女や下級精霊や妖魔を集めた謎の団体だが……
以前「自分を退治してどうすんだ?」と、リリーに聞いたら。
「阿呆! テルマを退治するための準備じゃ。あやつはアレでなかなか周到なやつじゃからな! 入念な計画が必要なんじゃ」と、息巻いていた。
それじゃあテルマが見付かるのは随分先になりそうだと。
あきれていたが……
「ジュリー、友達は選んだ方が良い」
俺が説得しても。
「でも…… エマ姉さんは、副長まで出世したんです。あたしだけ仲間外れは嫌ですし、やっぱり強くなりたいですから」
12歳とは思えない色気のある表情で、上目遣いでお願いされると。
――どうしても断れなかった。
「じゃあ俺の朝のトレーニングの後、中庭に来なさい」
ため息交じりにそう言うと。
「ありがとう! お父さん」
ジュリーは嬉しそうに微笑んで、俺に抱きついてきた。
意外と大きな胸に、戸惑いながら……
しかし、エマまで巻き込んでるとは。
リリーとの話し合いを急がなくてはと、ため息がもれた。
3つめの問題は……
食事に必ず1品、謎の物質が増えるようになったことだ。
「シスター、その。なんだ…… 変わった味の食べ物だな」
不思議に思って聞いてみると。
「エマちゃんがお父さんにって、頑張ってるんです。あたしとメリーザ様でお教えしてるんですが…… その。
――不味かったですか?」
同じテーブルで食事をしていたエマが、やはり無表情のまま。
人形のように整った美しい顔で、無言でジーッと俺を見つめた。
「そんな事はない、そうか、エマがつくったのか。 ……ありがとう」
なんとか笑顔をつくってそう答えたら、エマはまた無言で食事を再開した。
シスターもメリーザも、ニコニコ笑ってるが…… あいつらちゃんと味見してるんだろうか? 俺の胃腸の限界が少々不安だが。
――それ以来、謎の物質は残さず食べている。
ナタリー司教は、いろいろと帝国や神学院を調べてくれているが。
これと言った返答はまだ返ってきていない。
お嬢様やローラも、サインロード村の件を探っているが。
財団の壁に阻まれて、こちらも行き詰っているようだった。
手紙に書かれた数式も、抜けた部分が多すぎて。
こちらも解析が進んでいない。
八方ふさがりのまま、あの夜から10日が過ぎ。メリーザもなかなか詳細な事情とやらを話してくれない中……
かりそめの幸せを壊すかのように。
――その客人はあらわれた。
++ ++ ++ ++ ++
昼下がりに正門のベルが鳴り、俺が対応に出たら。
「なかなか立派に様変わりしたな、以前来たときは……
――廃墟同然だったが」
安物の馬車が教会の前にとまっていて。
それに乗ってきたであろう男が、つまらなさそうに呟いた。
「エマとメリーザ、ああ、それからその娘も引き取りに来た。
……あんたがディーンか?」
男はさらにつまらなさそうに、俺を睨む。
歳は俺とそれほど変わらないだろう。
痩せた体躯だが、なにか武術をやっているのは間違いない。
スキがなく、俺を無言で威嚇するような動きには。
――懐かしい戦場の匂いがした。
人のことは言えないが…… 実に司祭服の似合わないやつだ。
「ディーンは俺だが、あんたは?」
相手の態度のせいで、ついつい俺も攻撃的な口調になる。
「サインロードの新しい司祭だ。 ――名は、名乗る必要もないだろう」
その男はブラウンの肩までの長髪を振り分けて、鼻で笑った。
まあ、それなら。
「悪いが立て込んでてね、おととい来てくれ」
教会の正門を閉めてやると。その男は、怒りをあらわにして。
「財団をバカにしてるのか? そんな態度に出たらどうなるか!」
ギャーギャー騒ぎ出したが。
めんどくさそうなので、司祭室に戻ろうとしたら。騒ぎを聞きつけたメリーザが教会から顔を出した。
「あー、もう10日たっちゃったか。
ディーンごめんね、最初からそう言う約束で村を出てるから」
メリーザが、いたずらがばれた少女のように舌を出す。
「ウチには何日いても構わないし、財団のことなど気にしなくてもいい。
メリーザがしたいようにしろ」
俺の言葉に。
「人が良すぎるよ…… ディーンは。
あたしの事情も無理に聴かないでさ、ジュリーやエマのことは本当の子供のように可愛がってくれるし。なんかこのままここにいたくなっちゃうけど。
――シスターやリリーちゃんにも悪いしね」
メリーザはそう言って、ゆっくりと俺の首に手をまわした。
「なら、無理にでも事情を聴いて。
――ここに留まるよう、今から強引に説得しようか」
俺がその細い腰を抱き寄せると。
「あらあら、歳と共に多少は積極性が上がったのかな?
……でも、心配しなくても大丈夫よ。あたしももう、いい歳なんだから」
そう言ってメリーザが、俺から離れる。
そしてまた、いたずら少女のように微笑むと。
「ジュリーたちを探してくるわ」
メリーザは教会の中へ駆けて行った。
++ ++ ++ ++ ++
「お父さん、また会える?」
心配そうに見上げるジュリーの頭をなぜる。
「もちろんだ」
「教えてもらったナイフの投擲、村に帰っても練習する」
ジュリーの言葉に、俺は少し悩んで。
ブーツの隠しナイフをホルスターごとはずし、ジュリーに手渡した。
「いつも言ってるが……」
「分かってる、決してナイフは抜いちゃいけないでしょ」
生兵法は大怪我の基だ。
だが渡す以上、そこには責任が必要だろう。
「命の危険がある時以外だ」
小型の投げナイフでなにかができるとは思わないが。ジュリーも、もう……
生きてゆく上での、覚悟を知らなくてはいけない歳かもしれない。
「ありがとう、お父さん……」
受け取ったナイフを握りしめ、泣きそうなジュリーの後ろで。
エマが無表情に俺の足元を見ていた。まだエマが何を考えているのか理解できなかったが。俺はもう一度悩んでから、ブーツを脱いで。
「サイズが大きいだろうが。エマの履いている靴は随分くたびれてる。このブーツは夏に新調したばかりだし、俺は水虫を持っていない。
――靴屋で調整してもらえば、なんとかなるだろう」
エマに手渡すと。
「ありがとうお父さん」
相変わらずの棒読みでそう言うと、首を少しだけひねった。
もう、歯車が回るようなノイズは聞こえてこない。
俺はジュリーにしたように、緑の髪をぐしゃぐしゃとなぜた。
「おい、早くしろ! 日が沈む前までに村につきたいんだ」
ロン毛の男が、農具用の安物の馬車の前で叫ぶと。
メリーザが俺を振り向いて。
「ディーンって、不器用さは治らなかったのね……
女の子にナイフと自分の履いてたブーツをプレゼントする男を初めて見たわ!」
少し寂しそうに微笑む。
俺が近付くと、メリーザも顔を寄せ。
「13の2の『は』よ」周囲に聞こえないような小声でそう呟き。
「じゃあね、また!」
そう言って、馬車の荷台に飛び乗った。
俺が去り行く馬車を見送っていたら。
リリーとシスターが慌てて教会から出てきた。
「下僕よ、なにがあったんじゃ!」
リリーは馬車と俺の足元を不思議そうに見比べ。
シスターは俺の頭上をチラリと確認すると、少し悲しそうに微笑んだ。
「リリー、シスター、どうやら忙しくなりそうだ。あいつらのために、ちょっと手伝ってくれないか」
俺は2人に、クールにそう呟いて……
――裸足で歩く痛みをこらえながら、教会へ向かった。
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