夏の日の彼女 6
キュービさんが服を脱ぐ仕草に違和感があって……
「えーっと、そう言う事じゃなくて」
俺がそう言うと。
「ん、じゃあなにかな?」
上着のボタンをはずす手が止まった。
耳を澄ましながら、懐にしまっておいたナイフを手にする。
音に集中するために、一度目を閉じて。
「伝言があるんだ」
俺はそう呟いた。
「この宿はメッセージサービスまでやってるの?」
獣族の固有魔法は詠唱を使用しないことが多い。
しかもキュービさんは服を脱ぎながら、ちょっと変わった指の動きを何度かした。明らかにあの動きはおかしい。
まるで特殊な印を空中に刻んでいるようだった。
「そうじゃないけど、その前に……」
眼を開けてキュービさんと見ると、彼女はニコリと笑う。
「そうね」
動いたのはほぼ同時。
俺が後ろを振り向きざまに、音の方向へナイフを投擲すると。
キュービさんは人差し指を口元にあて、フッと息を吹きかけた。
「うぎゃー!」
悲鳴を上げて倒れたのは。
下着の上に薄いガウンを羽織った、マリスさんだった。
俺が投げたナイフは狙い通りガウンの端を貫き、後ろの樹の幹に刺さっていたが。
マリスさんは気を失っている。
「キュービさん、今のは幻覚魔法?」
「良く分かったわね、ちょっとピーピングトムには眠っててもらおうと。
――術式を組んだんだけど」
たぶん服を脱ぎながら注目を集め、そのスキに術式を組んで。
俺とその
マリスさんを抱き起すと……
ガウンがはだけて、ポロンと巨乳がコンニチワした。
――どうやらナイフがブラジャーの端を切ってしまったようだ。
ケガがないことを確認してから、そっとガウンを閉じる。
うん、あれは見なかったことにしよう。
「恐ろしいほどのナイフの腕ね。この暗闇で、狙ってそんなことができるなんて」
「いえ…… そこまで狙ってません」
ブラジャーの件は、たまたまです。
「その、マリスさんとは知り合いなんですか?」
つけられていたことに、あまり驚いていなかったようだから。
ふと疑問に思って聞いてみると。
「知り合いじゃあないけど、マリス・ノヴェルのことはよく知ってるわ。
自称、美人天才作家…… なにか面白そうな事件があると、それをネタに。吟遊詩人にうたを書いたり、劇作家に情報を売ったり。
それで小銭を稼いでるみたい。
あたいの心中を流布したのもこの子よ。 ――どうやら、まだつけられてたのね」
一心不乱に書き物をしているところや、寝ぼけた姿しか見てなかったから、気付かなかったが。栗色の美しい長髪に、ととのった目元と印象的で大きな唇。
化粧をちゃんとして派手な服でも着ると、人目を引く美女に変貌するのだろう。
おっぱいも、なかなか大きかったし。
「あら、なにを考えてるの…… まだ若いから分からないかもしれないけど。
それは大きさだけが価値じゃないの。
……知ってみたい?」
妖艶に笑うキュービ・タマモのそのセリフと。
ボタンにかけた指先に光る魔力に。
女の恐ろしさを感じて……
――俺は両手を上げながら、降参の意を表した。
++ ++ ++ ++ ++
メリーザさんの名前と、治療中の詳細をはぶいて。
ちびちびと酒を口にしながら、そこまで語ると。
「ディーン、ほら話は大きければ大きいほど面白いが。さすがにソレはなあ」
クライがあきれたように笑う。
「キュービ・タマモと言えば、帝国でも指折りの巨大商会『カグレー&キュービ』の女会頭ですよね。
やり手で、9本の尾を持った絶世の美女と聞いてますが。
それからマリス・ノヴェルって……」
ライアンが首を傾げながら、豪快に酒をあおる。
「帝都でも有名な歌劇作家だ、皇帝陛下から文化勲章も授与されている。
遠くから拝見したことはあるが……
あの歳の人族とは思えないほど、気品あふれる美しい人だった」
クライもそう言ってから、酒をあおった。
――まったくこいつらは、底なしだな。
2人の空になったカップに、酒をつぎ足しながら。
「その2人のおっぱいと、年上の美しい賢者会のアイドルのおっぱい。
それをたった1日で見ることができたんだ。
――なかなかの武勇伝だろう」
俺が誇らしげに言ってやると。
「ディーン様、大事なところがまだですよ!
で、その2人…… いや、その3人とはその後どうなったんですか?」
ライアンがまた豪快に酒をあおり。
「そうだな、なかなか面白いほら話だが…… 肝心の落ちがついてない。
――その伝言の内容とかな」
クライもそう言いながら、ガブガブと酒を飲み干してしまう。
手元の樽が底をつきかけていたから。
「まってろ、新しい樽を持ってくるから。話はその後だ!」
俺は立ち上がって、周りを見回した。
どこも披露宴で使った樽は、底をつきかけていそうだ。
「仕方ない…… 新しい樽を開けるか」
俺はあの日のことを思い出しながら……
――ひとり、倉庫に向かって歩き始めた。
++ ++ ++ ++ ++
俺は満天に輝く星空を見上げながら、両手を上げ。
静まり返った森の中で、カグレーさんの伝言を思い浮かべた。
「宿の手前にも露天風呂があって。
そこと谷側のあの温泉では、匂いが違ったんです」
俺はできるだけキュービさんを刺激しないように、小声で話した。
「なんの話かな?」
「もうだいぶ死の谷に近いから、俺でも噴煙の匂いが分かるけど。
これ…… 鉄が焼ける匂だし。キュービさんならはっきり見えるでしょ。
この森の土や岩は、谷に近付けば近付くほど赤くなる」
「それが?」
「まずひとつ目の伝言だけど。
死の谷で『鉄』が取れるなら、それをもとに一緒に商いをしないか。
――キュービさんの商売の腕を、カグレーさんはかってたよ」
「そう…… やっぱりあの男に言われて、追いかけてきたんだね。
あのね坊や、赤い土や岩には鉄が含まれてるらしいけど。
それを取り出すのには、とんでもない温度で長時間熱しないとダメなのよ。
いろんな魔法学者や、錬金術師が挑戦したけど…… 成功してないの。
だから鉄が取れるのは。
たたらで処理できる砂鉄や、古い鉄製品の再利用だけ」
そこに目を付けたカグレーさんはやっぱり凄い。
老師も言ってたそうだが、可能性は高い。いや、これは確実だろう。
「この岩を超高温度で長時間熱し続ける必要はない。
そんなのはもう、谷がやってる」
俺は、倒れているマリスさんのローブの匂いを嗅ぐ。
やはり、血のような…… サビびた匂いがする。
「か、変わった趣味ね?」
確かに女性の汗のにおいは大好きだが。
「そうじゃなくて! 彼女はこの服で森を走ったから、木々に付いてた噴煙の汚れが付いてる。みて、これ」
そしてタオル地に絡まるように。
「まさか、鉄の粒?」
砂鉄とは比べ物にならない大きさの、純度が高そうな粒が幾つか見つかった。
「でもあの男は、どうしてあたいと商売をしたいって考えてるの。
これを利用できるなら…… ますますひとり勝ちじゃない。
――ひょっとして哀れみかしら?」
「さっきも言ったけど、欲しいのはキュービさんの才能だって。
それは鉄の資源と同じか、それ以上の価値がある。そして欲しいものをどん欲に狙うのが。 ――商いの生き残るコツだって。
だから例え鉄が取れなくても、一緒に商いをしてくれるなら。今ある借金はすべて肩代わりしても良いって、言ってた」
一部の狐族には、おぼろげながら未来を予感できる能力があるそうだ。その力が強ければ強いほど。歳を重ねるごとに、尾の数が増えると。
賢者会の書庫の文献には、そう記されていた。
それをカグレーさんが知っているかどうかは謎だが。
「借金のことまで知ってたんだ。まあ、隠してた訳じゃないけどね。
でも…… それだけじゃあないのよ」
キュービさんは悲しそうに笑いながら、手に残った魔力を俺に向けようとした。
俺はイチかバチかで。
「カグレーさんの、最後の伝言」
そう言って彼の言葉を。
月光を受けて、妖艶に輝く夏の日の彼女に伝えた。
「なによそれ」
そう言って笑いながら崩れ落ちるキュービさんには……
――少なくとも、今すぐ死のうとする意志は感じられなかった。
++ ++ ++ ++ ++
教会の離れにある倉庫には、先客がいた。
「ディーン司祭? どうしたの」
ゆったりとした綿のシャツを着たナタリー司教が、酒樽を抱えていた。
「聖堂で宴会の続きだが…… 酒が無くなってね。
――そっちは?」
俺が苦笑いすると。
「宴会のことは知ってるわよ。さっき顔を出したもの。
あの中に風呂上がりの女の子をまぜるのは危険そうだったから。あたしたちは宿舎の方で飲もうって。
だからお酒を取りに来たんだけど、重いわねコレ」
酒樽の上には、柔らかそうな2つのブツが乗っかってて。
あれは確かに重そうだ。
こんな凶悪なものをぶら下げてあの宴会に突入するのも、危険な行為だろう。
「宿舎までなら運んでやるよ」
そう言って、酒樽を受け取ると。
「助かるわ」
ナタリー司教は嬉しそうに微笑む。
隣を歩く司教の胸が、月明かりを受けてボインボインと揺れる。
やはり風呂上りは、ブラジャーをしないのだろうか?
無言だとどうしても意識してしまうから、俺は強引に話を振った。
「――遠き日の幸せを願うなら、まず今の隣人の幸せを願え。
これって、ラズロットの言葉なのか?」
「どうなんでしょうね……
その文言は彼の死後に書かれた、予言書の言葉だから。
特にアームルファムの書は、神学者の中でも議論が絶えないのよ。
ちょっと変わった弟子だったみたいで」
「なら、その後に続く。
――そのためには、過去を悔いる前に、目先の自分の欲望をかなえよ。
人生はそのためにあり、幸せとはそこから始まる――
ってのは?」
「嫌いな言葉じゃないけど、アームルファムの独自解釈じゃないかな。ラズロットの性格を考えると、そんなこと言いそうにないし。
……なに? 予言の書をもう読破しちゃったの」
「いや、昔…… 知り合いの商人から聞いた言葉だ」
「アームルファムは、ラズロットの高弟だけど。その時代を代表する大商人でもあったから。商いをする人は、彼の書を好んで読むみたいね」
宿舎の前まで来たから、俺はそこに樽を置いた。
「どうする、顔出してく? ディーン司祭が来ればみんな喜ぶと思うけど」
夏と風呂上がりのせいだろう。
ほのかに上気した肌に、薄い生地から透けるような胸の形。
こんなのが団体でいたんじゃ、たまったもんじゃない。
「遠慮しとくよ」
「そう、前から思ってたんだけど。司祭はもう少し欲望に素直にならないと」
もう酒がまわってるんだろうか?
珍しくナタリー司教が艶やかなことをおっしゃる。
「その商人にもそう言われたな」
ヤブヘビだったかもしれない。彼女は嬉しそうに言葉を続けた。
「商人とアームルファムの言葉なら、『夏の日の少年』を読むのもいいかもね。マリス・ノヴェルの歌劇よ。彼女の出世作で、自伝とも言われてるの。
売れない美人作家と、一度商売に失敗した美人商人と。ナイフを使う美少年賢者の三角関係を描いた作品で…… ロマンスって言うか、ちょっと濡れ場が多いけど。
その美少年賢者が、自殺しそうな商人にアームルファムの言葉を語って。それであの言葉は有名になったから。
あれ? ナイフを使う美少年賢者? んん?」
「それは創作なんだろ」
マリスは化粧を落とすと、それほどの美女じゃない。それに濡れ場って…… あいつの願望じゃないか?
俺は首をひねるナタリー司教に、苦笑いしながら。
「賢者会でも生きるための欲求はかなえろって、教えてるからな。
人が生きるために必要な3大欲求は、食欲、睡眠、性欲だ。
じゃあ今はその欲望に従って…… 寝るとするよ」
そう言って、司祭室に足を向けた。
すっかり暗くなった空には、美しい月が輝いていた。
酔いがさめて、冷静な思考が戻ると。これ以上あのバカたちに、ただ酒を飲ます必要がないことに気付く。
宿舎から聞こえてくる女性たちの騒ぎ声に。
彼女たちの幸せと自分の幸せのために、今しなくちゃいけない事を再確認して。
メリーザさんやキュービさん、マリスとの楽しかった夜を思い出しながら。
こっから先は、俺と彼女たちと月明かりだけが知ってる秘密だと。
俺はクールに心の中で呟いて……
――初夏の夜風を肩で切った。
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