夏の日の彼女 5

俺は部屋を飛び出すと、隣のカグレーさんが泊まるスイートの扉をノックした。

「夜分遅くすいません! どうしても、お願いがありまして」


ついつい大声で叫んでしまったが。

「ああ、どうしたんだね。まず落ち着きなさい」


高級なガウンを優雅に着こなしたカグレーさんは。

怒ることも無く、優しく微笑みながら扉を開けてくれた。


「人の命がかかってて…… 協力していただけると助かります」

俺が息を整えながら頭を下げると。


「ずいぶん急いでいるようだが。ちゃんと話をする時間はありそうかね?」

カグレーさんがそう言うので、俺は慌てて頷く。


「じゃあ2人とも、部屋に入りなさい。

――ちょうど温かいお茶を入れたところだから」

その言葉に振りかえると。


俺のシャツを羽織ったメリーザさんが……

――照れ笑いしながら佇んでいた。



カグレーさんが入れてくれたお茶からは、安眠作用の高いハーブの香りが漂っていた。以前フレッド先生が、眠れない夜によく入れてくれたものと同じだ。


俺が今までのあらましを説明すると。

「キミたちはこの紙を見て、自殺を止めようとここまで来たんだね」


カグレーさんは優しく微笑みながら。

メリーザさんが手渡した紙を、部屋の魔法灯に透かした。


「なにがあったかお話しいただけると助かります。

……それから、なぜ死の谷への柵を壊したのか」

白紙の紙には。

ところどころにカグレーさんやキュービさんの名前が書いてあった。


「なぜ私が壊したと分かったんだね」


楽しそうに笑うカグレーさんの顔は、とても自殺を考えている人には見えない。

念の為にメリーザさんに顔を向けても。彼女は小さく微笑んだだけだ。


――きっと女の勘でも、大丈夫ってことだろう。


むしろ問題があるとしたら、俺のシャツが薄すぎて。それを羽織ってるメリーザさんのおっぱいが微妙に透けて見えることぐらいだ。

だが…… 紳士なカグレーさんは、そこに視線を持って行かない。


俺は少し安心して、話を進めた。


「宿の女将の話では、柵には特殊な術式が仕込んであって。

――簡単には壊して中には入れないそうです。

だけど寝室にあった道具ならそれが可能ですし、カグレーさんは部屋の中を見られるのを拒んでいました。

魔法が使えれば解除は可能かもしれませんが、マリスさんは普通の人族ですし。

キュービさんは魔法が使えたとしても『狐族』です。

幻覚術なんかが中心で、物理干渉が可能な魔法が使えるとは思えなかったんで」


「やはりあれを見たのか……

キミたちは賢者会の学生なのかい? なかなか良い洞察力だし。種族の知識や、道具を見ただけで使用が分かるなんて、よく勉強している。

――将来が楽しみだよ」


「俺は…… 正確には学び舎の生徒じゃなくて。山道の途中にある庵に住んでいる者ですし、彼女は、賢者会で働いています」


「山道の庵…… ひょっとしてキミはセーテン老師の弟子。

――あの火災の生き残りなのか?」


カグレーさんの顔が初めて驚きに変わった。


「老師をご存じで?」


「ああ、彼とは長い付き合いだったが…… そうか。

これも何かの運命だろう。うむ、少々長い話になるが大丈夫かね」


時計を確認すると、あと半刻ほどで日付が変わる。

あまり時間はないが…… まずここを確認しないと。次へは進めない。

俺が頷くと。


「では、できるだけ手短に話そう」

意をくんでくれたのか、カグレーさんはそう言って。

ことの始まりを話し出した。



++ ++ ++ ++ ++



「東で始まった魔族軍の進行が年々勢いを増し。もう、大きな戦争になることは避けられない状況になってきた。

私の商いは、鉄商品の取り扱いなんだが。

そもそも鉄は枯渇資源のひとつだし、戦となれば需要も高まる。

それを見越して、数年前から私は仕入れに力を入れていたが……」


普通の商家はそうではなかったようで、今ではカグレーさんの店だけ儲かり。

多くの鉄関係の商売が倒産し始めたそうだ。

そして、ふもとの街で有名な事件が起きた。


「若くて才能があった商人と、その美しい妻が心中をはかり。

……妻だけが生き残った。

ちょうどその頃、ひとり勝ちしていた私は。

軍部との癒着というあらぬ誤解を受けていてね。

彼女も、それを信じていたのだろう」


2人の遺書には、カグレーさんへの恨みも綴られていたそうだ。

そしてその出来事は、吟遊詩人にもうたわれ。


「彼らも商売なんだろうが、生き残った人にとっては辛かったはずだ。

世間もこの不況で、そう言った話に飛びつく傾向がある」

狐族の美しい未亡人は、一躍…… 時の人となってしまった。


「カグレーさんが柵を壊したのは?」


「老師にも相談に乗ってもらっていたが。

死の谷には『鉄』を多く含んだ岩がある可能性が高いと、私は考えている。

ただ、まだ仮説の段階だし。軍部に利用されて兵器にされてもかなわん。

――鉄は、人々の生活のために必要な物資だ。

宿の主人にも迷惑をかけたくなかったから、ひとりでこっそりと動いていたが。あらぬ迷惑をかけたようだね」


カグレーさんはそう言って、自分のカップを手に取る。

俺の隣では、メリーザさんがコクリコクリと舟をこぎ出した。


「キュービさんがその女性で、間違いないでしょうか」


「ああ間違いない。私を追ってきたのか偶然なのかは分からないが。

明日が旦那さんの命日になる。あの心中から…… ちょうど3年だ」


キュービさんの言葉が頭をよぎる。

『日付が変わる前なら、あたいはまだ眠らないから』


時計を確認すると、日付が変わるまであまり時間がない。

俺が慌てて席を立とうとしたら、メリーザさんがコクリと俺の肩に頭を乗せ。

スヤスヤと可愛らしい寝息を立て始めた。


「先ほどの話だと、彼女のケガの回復をしたんだろう。

――なら、あれは体力を奪うから、眠くなって当然だ。

これの影響もあるだろうしね」


カグレーさんがもう一度自分のカップに口を付け。


「その名高き、大賢者セーテンの弟子よ。

この不甲斐ない老人の代わりに、彼女の命を助けてはくれないかね。

きっと私に合えば、話はうまくまとまらないだろう」

俺の目を見透かすように眺め、ゆっくりとそう言った。


「でも、俺じゃあ……」

説得できる自信なんて、まったくない。


「そうか、ではこう伝えてはくれんか」

カグレーさんは、俺の目をもう一度強く睨み。


ゆっくりと一言ずつ、その伝言を語った。


それが、俺に対しての言葉だったのか。彼女に対しての言葉だったのか。

――未だに判別できないが。


「その子をベッドに寝かしたら、急ぎなさい。

未来は永遠だが、時の流れはいつだって無慈悲だ」



カグレーさんにそう言われて……

――俺は急いでメリーザさんを担ぎ、部屋を飛び出した。



++ ++ ++ ++ ++



メリーザさんをベッドに運び、毛布をかけると。


「あん、ディーンさん…… そんなにおっぱいばかり責めないで……」

微妙な寝言が聞こえてきたが、スヤスヤと寝息を立てているから。


俺は、これからはちゃんと他の場所も責めようと心に誓い。

キュービさんの部屋へと急いだ。



日付が変わる前だったが、キュービさんの部屋を何度ノックしても誰も出てこなかった。代わりに。


「お隣さんなら、さっき出てったよーな気がしたけど…… なんかあった?」

マリスさんが妙に色っぽい下着姿で、自分の部屋の扉を開けた。


「すいません、夜遅くに。えっと、ありがとうございます!」


なんとかお礼を言って、外に向かう。

くそ、マリスさんもけっこう巨乳じゃないか!


雑念が思考の邪魔をして、なかなか考えがまとまりにくかったが……


俺は死の谷を迂回するルートのひとつで、なんとかキュービさんを発見した。

夜道を歩いていた彼女の足取りに迷いがない。


夜目が利く狐族ならではの行動だし。

やはり決心がついてしまっているのかもしれない。


「あら、坊や? こんな所で…… まさか夜の散歩ってわけじゃ。

――なさそうね」


びっしょりとかいた汗を、手で拭い。


「キュービさんを追って……」

呼吸を整えながら、なんとか言葉を絞り出す。


「ふーん、先を急いでるんだけど。どうしても今じゃなきゃダメかな?」


「ええ、まだギリギリ…… 日付は超えてない。あと少し時間があるから、俺にチャンスをくれ!」


「そんなに求められると、その、ちょっと嬉しいわねえ。あんまり時間は取れないけど、ここで良かったら……」

なぜか服を脱ぎ始めたキュービさんを見ながら。



そんなに飢えて見えるんだろうかと……

――俺は少しだけ、へこんでしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る