黒い悪夢2 失われたモノ

何時からだったんだろう。

レイヴンと心から笑い合う事が無くなったのは……


思い返せば…… キッカケは、俺が10歳の時だ。

そして、ただの人になりたいと思い始めたのも。

――この頃からだ。



まあ、今じゃ……

――ただのおっさんなんだが。



++ ++ ++ ++ ++



5歳でセーテンの弟子となった俺は、最初の1~2年。ジャスミン先生やフレッド先生の元で、簡単な読み書きや数式を教えてもらったが。


その後セーテンが森を散策するのに、付き添って歩くのが日課になっていた。

朝日が昇ると同時にセーテンと出かけ、昼前には帰ってくる。


道中、薬草や木の実を摘み。

動物や魔物と出会えば、その生態や討伐方法を教えてくれた。

歩きながら、俺向きの授業を始めたのもこの頃から。


石を使った狩りを教えてくれたのもセーテンだ。

俺の投擲に、子供のように喜んでくれた老師の姿を、今でもよく覚えている。


午後からは自由に遊べと言われたが。

森で遊ぶことはなく、もっぱら学び舎の『書庫』に出かけることが多かった。


特に何かを真剣に読むわけじゃなかったが。

セーテンが森で話してくれた事を確認したり。


気になる本を取り出しては、適当にパラパラとめくり。

また書籍棚に返すのを繰り返していた。


その頃はまだ、セーテンに拾われた小間使いか何かだと思われていたようだから。学び舎の人達は、子供が遊んでいるのだと考えていたのだろう。


俺が3年かけて、その書庫を一巡し。 ――ちょうど10歳になった頃。

賢者を数人従えた、ひとりの老人が話しかけてきた。


「セーテン老師のところにおる…… ディーンと言ったか」

「そうだよ、おじいさんは誰?」

「私はガンデルと言う。ところで、その本は面白いかい?」

「あんまり…… でもまあ悪くないかな」


白く長く伸びたヒゲを、手でゆっくりと撫ぜると。

その老人は、楽しそうに笑い。


「どの辺が悪くないのかな?」

そう聞いてきたから。


「実際は違ってるけど、本当みたいに感じるところ」

素直にそう答えた。


老人は俺が読んでいた本を、もう一度確認すると。

「ふむ、では正解は何だね」

今度は不思議そうな顔をした。


「一番奥の窓際にある書棚の、上から2段目の左から16冊目」

すると老人は後ろにいた賢者に命令し、俺の言った本を持ってこさせ。


「これは今読んでいる本が書かれる前に書かれたもので……

幾つかの間違いがあったから、新しくその本が書かれたんだよ。

学問は、そうやって先人の知恵を積み重ね。

――進んでゆくものだからね」


その本の題名を確認すると。

俺に対して、諭すようにそう言った。


「じゃあこの本は進んでないよ。

問題は理論が違ってたんじゃなくて、単純な見落としだったから。

直したのをはさんでおいた」


俺の言葉に、老人はパラパラと本をめくり。

カエーデの葉に書いてある数式を見つけると。

しばらく無言でいたが……


「ディーンよ、この書庫の本の位置はすべて知っておるのか?」

違う質問をしてきた。


「7割くらいかな? つまんなさそうなのは飛ばしたから」

「このようなメモは幾つぐらい挟んだのかね?」

「覚えてないけど…… たぶん、40~50枚」


正確には56枚のカエーデの葉をはさんだが。

老人の手が震えているのが怖くて。


「カエーデの葉は、本の酸化を防ぐし。

虫よけにもなるから……」

言い訳も、付け足しておく。


しかし老人は、俺ではなく後ろの賢者たちに。

「今すぐ、すべての本を確認しなさい!

……まったく、彼がこの書庫に来て数年と聞いていたが。

その間、キミ達はいったい何をやっていたんだ!」

大声で怒鳴った。



そして俺は、東の学び舎の長「老師ガンデル・バモス」の勧めにより。

賢者の卒業試験を受ける事になった。


セーテンは、その話に良い顔をしなかったが。

どうしてもと頭を下げるガンデルに対し。


「まあ、それも運命なのかもしれんの」

困ったようにそう呟き、戸惑う俺の頭を撫ぜた。



そして俺は…… 賢者会初の卒業試験、満点回答と。

レイヴンの最年少合格の記録を、2歳更新したが。


学び舎で一度も授業を受けていない事や。

回答欄に中間の計算式などが、一切存在しなかった事が物議を呼び……


結局、非公認となった。

その件で。


「まったく……

学び舎に、ここまで人を見る目が備わっていなかったとは。

これも長たる私の責任。 ――誠に申し訳ない」

ガンデルは何度も俺やセーテンに謝ったが。


元々賢者の資格が欲しかったわけじゃないから。

あまり気にならなかった。


ただそれ以来、賢者や生徒を含め。

俺は奇異な目で見られるようになったので……

自然と学び舎から足が遠のき。



レイヴン兄さんとの仲も……

――ギクシャクし始めた。



++ ++ ++ ++ ++



だからだろうか? ベッキーと出会い。

森の中で笑いながら過ごす時間が好きだった。


いつかレイヴンとも、関係を修復できれば。

そんな淡い考えが、俺の中にあったのも事実だ。


4年以上遠ざかっていた学び舎から。

年に一度の『研究発表』の誘いがあった時も。


いつもなら断っていたが、今年はレイヴンが参加することを聞き付け。

柄にもなく発表をすると言ったのも、それが理由だった。



「あーっ、薬草カゴが無くなってる!」

夕飯の支度を終えたベッキーの叫び声で、俺は庵を飛び出した。


「どうしたの?」

「ここに置いといたカゴが無いのよ。

……どうしよう、道具入れも無くなってる」


俺達の声に、レイヴン兄さんも庵から出てきた。


「ここは森へ行く道から見える場所だからね。

誰かが持って行ってしまったんだろうか?」


レイヴンの言葉で、俺は辺りを確認した。

庵の門の横に置いたのなら、確かに森と学び舎を結ぶ道から見える。


地面を確認すると、真新しい2組の靴跡があった。

いちど道をそれ、門の周辺を何度かうろうろと歩き。

そしてまた道に戻る。 ――そんな感じだ。


ひとつは小さな足跡。

もうひとつは大きく、そして形もはっきりと分かるから。

俺よりも体が重いのだろう。


靴先の位置から考えると、その2人は学び舎に向かったはずだ。


「これなら大丈夫だ。

学び舎で聞いてみれば、見つかるよ。

それより、急がないと……

採取した薬草の目録はまだ書いてないんだろ?」


「えっ? うん、そうだけど」

ベッキーが不思議そうに俺の顔を見る。


「この足跡は」

だから俺は、地面を指さしてベッキーに説明した。


「学び舎の人間で、女の子だ。

足跡がベッキーと同じブーツだから、間違いない」


たぶん森や山に入るための装備として、学び舎で流通している物なんだろう。

ベッキーと同じブーツを履いた学び舎の女の子を。

森の中で何度か見かけたことがある。


「もうひとりは、その付き添いだと思うけど……

先生の誰かじゃないかな?」


学び舎にいる俺よりも体重が重い人たち……

――成人男性は、賢者や先生ばかりだ。


ひょっとしたら研究発表の締め切りが今日だから、提出間際の生徒に付き添って、直接指導をしてたのかもしれない。


「ならどうして、薬草カゴなんか盗んだんだろう?」


「レイヴン兄さん、たぶんそれは違うよ。

この2人は随分カゴの周りをうろついてる。

盗みだったら、そんな事はしなくて、急いで逃げるはずだ。

持ち主を探したんじゃないかな? ……案外、知り合いかもね。

庵にベッキーが寄るのを知ってて、ここにうっかり忘れて行ったって。

――そう思ったのかも」


ベッキーは俺の言葉に不思議そうな顔をするだけだったから。


「とにかく急ごう、陰の位置からすると4の刻を過ぎてる」

俺がそう言ったら。


レイヴンは驚いた後。珍しく少し強い口調で。


「そうだね、ベッキー。受付が締まる前に学び舎に着いた方が良い。

せっかく研究発表会のために、薬草を集めたんだから」

ベッキーにそう言った。


去年の研究発表のための薬草集めで、ベッキーと出会って、もう1年。

今年はずっとベッキーの護衛をしてたから、魔物に襲われることも無かったし。

俺が知ってる秘密のポイントに何度か案内したから。

かなり良いモノが集まってるはずだ。


『専科』は、賢者の本学と違って論文を書く必要もないらしく。

集めた薬草と目録だけで、『研究』として受け取ってくれるそうだから。


彼女の発表は、専科で注目を集めるかもしれない。


「念のためベッキーについて行くよ!

レイヴン兄さん、老師たちには夕食が少し遅れるって伝えておいて」


ベッキーはチラリとレイヴンの顔色をうかがって。

「分かったわ、うん。急いで行ってくる」

そう言って、駆け出した。


俺もその後を追いかけて行く。




大きな間違いが始まったのは、この時かもしれない。

今ならあの時のレイヴンの顔色を見ただけで、謎が解けるのに。


何時までもそこに蓋をして、立ち止まるわけにもいかないのだろう。

なら、すべてを思い出して。

そこから手掛かりを探し、前に進むしかない。



どこかで歯車が、カチリと音を立ててかみ合う。

「大丈夫かい、覚悟は決まった?」

呆けた例の男の言葉に。



「もう覚悟は決めたよ」と……

――俺は、クールに呟き返した。

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