カックーレ・キョヌー病の怪 【前編】
「カックーレ・キョヌー病です」
帝国の高級書記官と拷問魔術師に向かって。
伯爵はいたって真面目な顔つきで、そう言い切った。
「……カックーレ・キョヌー病?」
小太りの…… たぶん40代中半と思われる高級書記官は。
――不審な面持ちで聞き返した。
「書記官殿はご存じないか。
その昔、異世界で猛威を振るった伝染病だ。
『よーろっぱ』と呼ばれる地域では、当時8千万人以上おった人口の半数近く。
3千万人が、この病で死んだそうだ。
異世界では治療方法が確立しておるそうだが……
――応用魔法化学の悪用だろう。
まさかここで、その病をはやらす気とは」
沈痛な面持ちの伯爵に、高級書記官の表情が変わる。
……たぶんそれ、違う話をもってますよね。 ――伯爵。
「しかしそのような病は聞いたことが無いし……
――その女が感染していたという証拠は?」
「ふむ。この女を拘束したのは書記官殿かな?」
伯爵は、シーツでおおわれて寝かされているナタリー司教を見た。
「そうだが、それがどうした」
「ならば既に気付かれたでしょう。
カックーレ・キョヌー病は、読んで字のごとく。
――胸が巨大化してゆく奇病です。
そして肥大化したおっぱいが、肺や心臓を圧迫し。 ……死に至るのです。
異世界でこの病が流行した際、感染を隠ぺいするために巨乳を隠したことから。
その名前が付いたとか」
伯爵はそっとシーツの一部をめくった。
そこにはロープの跡が艶めかしく残った、乱れた司教服と。
そのせいで形よく浮き出た、ナタリー司教の巨乳が見える。
ついでに、口端をヒクヒク怒りに震わせる。
ナタリー司教の顔もチラリと見えたが……
――ここは我慢して、死んだふりを続けていただきたい。
「確かにそ奴を拘束したときに、やたら胸が大きかったので。
ついつい手間をかけてしまいましたがな。
だが、そのような女は、世にごまんといる。
なんの証拠にもならんでしょう。 ――伯爵殿。
そちらこそ何かを、隠ぺいしようとしているのでは?」
いやらしく笑う小太りの男に、伯爵は続けて説明した。
「そこにいるディーン司祭は、この件の専門家でしてな。
娘が患った異世界病『ヒキコモーリ』を治したのも彼ですし。
当家が受けた応用魔法化学の被害や、駅で起きた問題を解決したのも彼です。
調べていただければ分かりますが、そもそもディーン司祭は賢者会出身。
あの大賢者『セーテン』の弟子で、その後も市井にて、その知識を生かして活躍。
今はこの領を助けるために、ご尽力頂いている。
彼が間違いないと言うのであれば、無視するわけにはいきません」
伯爵の名演技に乗せられたのか……
高級書記官は、後ろの魔術師に何かを言いつけた。
魔術師は慌てて部屋を出て、戻ってくると。
こそこそと書記官に耳打ちする。
――小太りの男の顔色が徐々に青くなった。
いったい誰に何を聞いたか知らないが……
状況はこっちに流れてきているから、たたみ込むなら今だろう。
俺は深く頷いてから。
「入手した資料によれば、この病は一度発病すると治す事が出来ません。
しかも男女ともに発病するのです。
ナタリー司教を拘束したのは、書記官殿だけですか?」
「ああ、私が楽しむため…… いや。
他の手を煩わせないために、ひとりでやったが」
「その時、肌や胸に触りましたか?」
「そ、そうだな。うむ、多少は触ったかもしれん」
「それでは、診察しましょう」
俺はダラダラと汗をかく、小太りの男に近付き。
「これはいけません。早速治療を致します」
思い切り、腹にパンチをめり込ませた。
「ぐぼっ!」
のたうち回る書記官に、祈りを捧げてやると。
隣で伯爵も同じように手を組んだ。
「ディーン司祭殿、少々治療が足りないのでは?」
俺が頷くと、伯爵が追撃のケリを2発叩き込む。
――そしてもう一度、2人で祈りを捧げる。
ヒーヒーとうめきながらのたうち回る白豚を見下ろして。
お仕置きもこの辺が潮時だろうと思い、俺は聖典を取り出した。
「それでは、治療の最終段階を行います」
血走った眼で、許しを乞うように見つめ返す白豚に。
俺は『回復の祭辞』を述べ。
前に手ごたえはつかんでいたので、今回は聖人ラズロットの名を呼ばず。
左手をそっとかざした。
小太り書記官の呼吸が正常になり、顔色も戻る。
――どうやら効果はあったようだ。
「こ、これは……」
「書記官殿、これで『カックーレ・キョヌー病』の治療は終わりです。
ご安心ください、あなたの命は救われました。
ただあちらの死体は、既に発病しておりましたので。
教会で特殊な埋葬を行います」
俺がそう言って、ナタリー司教をシーツごと抱き上げると。
高級書記官と拷問魔術師が膝を折り、俺に祈りを捧げるように首を垂れた。
伯爵との事前の打ち合わせでは。
「ウソは、細かい所で事実を織り交ぜ。
一番肝心な部分は、大きくて荒唐無稽なほど良い。
そして一気に相手を飲み込み、ペースを握って。
――止めをさせ」
そう言っていたが…… ここまでハマるとは思わなかった。
「これも兵法」らしい。
後で、もう少しコツを聞いておこう。何かと使えるかもしれない。
「さあ、むこ殿。急ぎましょう」
伯爵が耳元でささやくのを合図に。
俺達は、その暗い地下牢から……
――ナタリー司教を助け出した。
++ ++ ++ ++ ++
伯爵に案内されたのは、簡素なベッドやクローゼットが完備された。
小さな部屋だった。
「普段は女給が使用している部屋でな。
ここは今、誰も使っておらん。
まだ城内がバタついておるから、しばらくここで身を隠してほしい」
俺はベッドの上に、そっとナタリー司教をおいた。
「もう大丈夫です」
俺の言葉に、ゆっくりとシーツを剥ぎ取り。
キョロキョロと辺りを見回す。
「あ、ありがとうございます。
その、なんと申し上げたらよいか……」
今になって恐怖が襲ってきたのだろう。
顔色も悪く、肩も震えている。
手首に残るロープの跡も痛々しい。
「安心してください。必ず救い出して見せますから」
俺は聖典を取り出し「回復の祭辞」を述べる。
徐々にロープの跡が消え、顔色も元に戻ってきた。
「そんな……」
ナタリー司教は、自分の両手と俺の顔を交互に見ると。
両腕を組み、深く俺に首を垂れ。
「その者深き『知』と『技』を持ち、溢れんばかりの『愛』を持って。
聖ラズロットの名のもとに『第三の門』の戒めから人々を救わんと復活せし」
そう呟いた。
「なんですか? それは」
「まったくあなたは……
『予言の書』聖者復活の章の、冒頭文ですよ。
その
どうやらあたしは、今。奇跡を体現しているようです。
しかし、とてもチグハグなんですね。
ああ、ひょっとしたらあたしの天命は。
――それを正しく導くことに、あるのかも知れません」
そう言うとナタリー司教は、やっと落ち着いたように。
ホッとため息をつく。
ラズロットの死後、高弟達が記した『予言の書』は12巻ある。
まだ手を付けていなかったが、急いで読む必要がありそうだ。
身体の傷は癒えたようだが、乱れた司教服は元に戻らなかったようで。
ロープで縛られた跡や、それをナイフで切った際のほころびが。
ナタリー司教の肌を、あちこち露出させていた。
「その恰好では、いろいろと問題がありそうだな。
女給服で申し訳ないが、そこの棚にいくつかある。
――まずは着替えなさい。
私はこの後の処理をしたいから…… むこ殿。
悪いが、後は頼んだよ」
伯爵はそう言ってから。
「それから、手を出しちゃいかんぞ!」
俺にそうささやいて、部屋を出て行った。
まったく、なにを考えてるんだか。
++ ++ ++ ++ ++
「俺も部屋を出ましょうか?」
クローゼットを開けて、服を選び始めたナタリー司教に声をかける。
「あっ、いえ。その…… まだ不安ですので。
出来れば部屋の中に。その、後ろを向いていただければ……」
後ろを向くと、衣擦れの音が部屋に響く。
妙に想像力を掻き立てる音だったので、いたたまれなくなって。
俺は、話しかけることにした。
「あの2人は、顔見知りだったんですか?」
「いいえ。聖国を出るときは、ひとりでした。
……ちょっとこれ、小さいな。
途中、帝都で1泊したのですが。そこで帝都の教会の使者を名乗る男から。
……あん、入んない。
2人を紹介されました。聖文書にちゃんと記載してあるのを確認しましたが。
……うんん、もう。
今思えば、偽証書だったんでしょう」
うーん。わざとやってないだろうか? 声が妙にエロいが。
「やはり帝都か……」
俺の呟きに、ナタリー司教が聞き返す。
「何かあるんですか? 帝都に。
ああ、それから。 ――もうこちらを向いても大丈夫です」
俺が振り返ると。
そこには、破壊力抜群の女給さんがいた。
シャツのボタンがはちきれそうになってて。
上2つは、閉めることすらできなかったのだろう。
……谷間が全開だ。
しかもその周りを、エプロンドレスがガードしていて。
もう、芸術の域まで達している。
短めのスカートも、とてもキュートだ。
リトル・アキハバーラの『めいど喫茶』でも。
ナンバーワン指名率を狙えるかもしれない。
「あのー、変なんでしょうか?」
きつめの顔を、すねたように歪める姿も素晴らしい。
「いえ、そんな事はありません」
お金が取れるレベルです。
「そうですか、なら良いです。
そ、それで。まだお礼をちゃんと言ってませんでした。
あの、この服…… スカートが短すぎて。
なれるまで、上手く歩けそうにないです。
できれば、そちらから近づいてきてください」
ベッドに歩み寄ると、ナタリー司教は俺の手を取り。
祈りを捧げるように、両手で包み込んだ。
「まずは命を助けていただき、ありがとうございます。
神とディーン司祭に、心から感謝します。
それから、あの書記官への対応……
少々悪ふざけが過ぎていましたが。
――胸のすく思いでした。重ねて礼を言います」
そして目をつむり、自分の胸元まで手を引いた。
ムニュっと…… なにか当たってますが。
祈りを捧げているのだろうか?
聞こえない程のささやきに、俺が耳を澄ますと。
「あの大賢者『セーテン』の弟子って事は、超エリートよね。
そう言えば、後見人はフェーク公爵だし…… 聖国陛下の名もあったわ!
これは神がくださったチャンスよね! もう、崖っぷちの27歳とか。
既に行き遅れ、なんて言わせないわ!
そう、頑張るのよナタリー!」
何かがそっと、俺の背筋をなぜたが……
ガチャリと鍵の開く音がして、伯爵が飛び込んできた。
「むこ殿、宰相殿下がお呼びだ!」
すると何事も無かったかのように、ナタリー司教は俺の手を離した。
どこかから「ちっ!」と、舌打ちが聞こえたような気がしたが。
まずは、いろいろな意味で。
窮地を脱出できたんだろうと……
――俺はホッと、胸をなでおろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます