side B 温かな食卓
あれからいったい、どれくらいの時間が経ったんだろう。
窓から差し込む朝日を確認して。
あたしは、まだ熱っぽい頭をゆっくりと左右に振った。
襲撃されたときの傷が、まだ痛むけれど。
なんとかベッドから這い出る。
いったいどんな能力なのか……
回復魔術を何度かけてもらっても、出血すら止まらない。
部屋の隅の安っぽいソファーに腰を下ろして、外を見る。冬と春がせめぎ合うこの季節特有の澄んだ空気が、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
昨夜仲間が置いていったポーションを飲む。
副作用で、軽い幻覚が出るそうだけど…… 背に腹は代えられない。
今日を逃せば、今までの計画がすべてダメになってしまうから。
++ ++ ++ ++ ++
うたた寝の中、姉があたしの名を呼ぶ。
「おねーちゃん、おいてかないで!」
あたしは、必死に姉の後を追いかける。
――懐かしい笑い声を聴きながら。
あたしは過去の思い出に取り込まれた……
活発で好奇心旺盛だった姉に、あたしはいつも付いてまわってた。
「あらあら、そろそろ夕飯よ。
2人とも手を洗って、テーブルについて」
母は戦役で父が帰らぬ人となってからも、あたし達2人を大切に育ててくれた。
3人で手を合わせて、祈りを捧げる。
人族にも同じような風習があるらしいが、あたし達の祈りは……
――神ではなく、食事そのものに贈られる。
植物や動物や魔物…… 糧となった生命にお礼と感謝を述べ。
そして自分たちが生きてゆくことの喜びと罪を自覚する。
テーブルに並べられた食事は、貧相だったけど。
笑顔が満ちた部屋は、幸せに包まれていた。
そんな、ささやかだったあたし達の生活が一変したのは……
一件の依頼からだった。
「東方面の部隊が見つけたんだが……
こいつを修復することは可能か?」
兵士が持ち込んだのは、石板に刻まれた3枚の古い魔法陣だ。
父は腕の良い設計士で、工房を営んでいた。
以前母はその助手を務め、何人もの職人を雇っていたそうだけど。
今は小さな仕事だけ、母がひとりでこなしている。
「見かけない術式だね……
やってみないと分かんないけど。
――これはいったい何だい?」
母の眉根が上がる。あれは、嫌なことが起きた時の表情だ。
「敵軍の遺跡から出たらしいんだが……
――俺も詳しい事を知らなくてね。
だが国が予算を出してる。良い収入になる事だけは確かだ」
その兵士は、あたし達2人の顔を見て微笑む。
「まあ、やるだけやってみるよ。あんたには世話になってるしね」
今思えば、美しかった母に思いを寄せる男は多かったから…… 彼もそのひとりだったんだろう。
受け取った石板を姉がのぞき込む。
「ねえ、母さん。
あたい、こんなキレイな陣を見たの初めて!」
「こらこら…… 確かにキレイだけど。
――良くない何かが潜んでるよ。
それに今の国が予算を出すって事は、人殺しの道具って事だろうし」
種族柄、母も姉も…… 人ならざる者の声を聴く事が出来た。
あたしには、どうもその才能が受け継がれなかったようだけど。
++ ++ ++ ++ ++
父の残した図面や設計道具は、姉にとって最高の玩具だった。
工房で無邪気に遊ぶ姉を、あたしはいつも隣で眺めていた。
「あの石板は、きっと捕らわれた神々を救うものだわ!
ほら、この本にもそう書いてある」
姉が見せてくれた本は、滅びゆくあたし達種族が聖典と呼んでいるものだ。
そこにある陣の図と、石板の雰囲気は似てたけど。
「でも…… 全然たりないし、字も違う」
「ふふーん、そこが最大のヒントなのよ!」
姉は石板にインクを塗布すると、その上に紙を押し付け。
「これはきっと古代の印刷機よ。
父さんの本で、前にこんな感じの物みたもの」
1枚ではただの意味不明な柄だったけど。
3枚の石板を全て重ねると。
それは、ひとつの陣に見えなくもなかった。
「まだ枚数がたりないのかな? でもほら、なんとなく読めるでしょ」
そこには確かに。
あたし達の聖典と同じような『陣』があらわれていた。
「神の復活?」
欠けた文字が多かったけど、そう読めなくもない。
姉が嬉しそうに笑う。
「この戦争が終われば……
きっとまた、あたい達の時代が来るわ!」
でも、そんな時代は来ることはなかった。
そして、あたしの記憶がまどろみ……
――何もかもを失った、あの悪夢に変わる。
++ ++ ++ ++ ++
「敵兵が東の城門を破りやがった!
ここもそのうち戦火がまわる…… 急いで逃げるんだ」
石板を持ってきた兵士が、大きな傷を負ったまま。
あたし達の家に転がり込んできた。
「あんた…… 待ってて、今回復ポーションを持ってくるから!」
慌てて工房に行こうとした母を、兵士が止める。
「もう間に合わないさ…… この傷は心臓に達してる。
それより、早く逃げるんだ」
通常より強固だと言われてるあたし達種族でも、心臓を討たれれば、命はない。
母があたし達に目配せした。
こんな時のために、逃げる準備はいつでもしていた。
その為の荷物を取りに、工房の2階へ行くと。
「ここか? 例の工房は…… あの石板を探せ!
抵抗するやつは、切り捨てて構わん!」
自国の兵士がそう叫んだ!
「なにをする! お前は、味方だろう?」
傷を負った兵士が、食い下がったけど。
「味方? お前たちのような異民族は、国のお荷物……
――いや、ゴミなんだ。
ついでに俺達が掃除してやるから。
大人しく、異端の神の元にでも帰るんだな!」
無残に切られてしまった。
「いいか、奴らは心臓を狙わんと死なん!
女子供でも抵抗すれば、そこを狙え」
そして数人の兵が、あたし達の工房を蹂躙した。
探し物はあの石板のようだが。
美しい母は、兵士達の良い獲物だ。
「2人とも逃げて!」
母の言葉に、あたしは足がすくんだけど。
姉は……
「母さんを助けに行く!
あんたは逃げて、あたい達を待ってて。
それからコレ、きっと役に立つから持って逃げて」
そう言って、石板の写しをあたしに渡すと。
隠し持っていた剣を抜いて。
母を襲う兵士たちに駆け寄って行った。
――そこからの記憶は、今でも曖昧だ。
++ ++ ++ ++ ++
なんとか幻覚が治まると……
あたしはテーブル置いていたコップの水を一気に飲み干した。
「同士ルイーズ、体調はどうだ」
部屋の外から、『黒』と呼ばれるレコンキャスタの情報員があたしの名を呼んだ。
あたしは、昨日のナイフを確認する。
微弱だが、まだ
昨夜来たレコンキャスタの回復師の話では。
その聖なる力が、魔族の肉体を蝕んでいるそうだ。
「問題ない。それより、あの寝返った2匹のネズミはどうした」
「我々で処分するよ。
初めから、容疑をなすり付けたら殺害する計画だった。
少し、実行が早まるだけだ」
ドアの下から、小型応用魔法銃が滑り込む。
「もしもの時は、これを使え。
ポケットに忍び込ますことも可能だ。
近距離であのナイフより早く動くのは、それが一番だろう」
「このチャンスを逃すつもりなどない。
――ありがたく受け取っておくよ」
同じ竜人族のよしみで、帝国騎士隊にもぐり込めたまでは良かったが。
戦中、魔族軍から『最悪最凶』と恐れられた魔導士クライや。
『竜人族最強』とうたわれる剣士ライアンの前で……
あたしの実力では、なにもする事が出来なかった。
しかし、『指導者様』はあたしを見捨てなかった。
これで憎き帝国や現魔族政権に、一矢報えると思うと胸がすく。
しかも裏切りの古龍。
リリー・グランドを殺害するチャンスまで頂けるとは……
――何たる光栄なことだろう。
奴が他の神龍様に、世の接触を禁じ「密やかに生きろ」と命じなければ。
我ら竜人族の栄華は、廃ることが無かったのだから。
問題はあの人族の偽司祭だ。
『最悪最凶』の魔導士クライが、一目置き。
『竜人族最強』の剣士ライアンが、近付くだけで恐怖からの笑みを消せない。
あたしの能力では、あの
そこまでの脅威を知ることはできなかったが。
「飛んでくるナイフがまったく見えなかった……」
竜人族の目をもってしても、見切る事が出来ない。
腹の包帯を巻き直し、懐に小型応用魔法銃を忍ばせ。
「あと少しなんだ……」
部屋に飾ってある、あの石板の写しを見る。
あたしは痛みを堪えながら……
――あの頃の温かな食卓に、思いを馳せた。
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