第11話:涙



夢なのか現実なのか、判然としない。半透明の入れ物に封じられた箱庭の中にいるようだ、高い天井を見てそう感じた。辺り一面は色を失った白い花が咲き誇り、真っ白な《ツェクーペ》がヒラヒラと飛んでいる。


――ここは、温室だ……。


薬草園の一画にある、気温と湿度が調整された温室。この温室が育てている花と《ツェクーペ》は少し特殊なものであるため、管理していたジズでさえも滅多に足を踏み入れない場所。


飛ぶ花粉も繁る枝葉も、蜜を吸った蝶までも、その全てが人間に死をもたらすほどの毒素を持っている。いわば、毒草の宝庫だ。


そんな温室の真ん中で、ジズは目覚めた。毒草の海に身を投げ出して、手足を花と《ツェクーペ》に埋められて……。


こんな所で眠っているということは、俺のことを楽に死なせてやろうとしたのだろうか。そう考えてもおかしくない状況だ。だが、ジズの中には焦燥も、絶望も、苦痛も、悲哀も、何も感じなかった。


――これにて、拍子止め、か。長い旅だったな。


ただそう思っただけ……。あとは不思議なぐらい安らかな気持ちであった。いや、少し今後のことをチラリと考えてみたりもした。まあ天命なら仕方ない、あとはどうにかなるだろう、とも。


諦め、とは違う。諦めるとは、物事をやりきれずに断念することだ。自分はやりきった、ほんの少しの悔いもないとは言えないが……。





「何をゴチャゴチャ考えてるんだよ、ジズ」


「……師、匠?」


突然、ジズのことを覗き込んできたのは、現 《薬草園》の管理人カダベル。彼は真っ白な花の中で横になっていたジズの顔の横に座り込んで煙管をふかしていた。


「ようやく起きたね、寝坊助。まずは――っ!」


突然ジズの頬に強い衝撃が走った。カダベルはいつも優しい顔を痛々しげに歪めながら、本当に馬鹿なんだから、と泣きそうな声で告げる。


「どれだけ心配したと思っているの!《ローゼラ》をこんなに立て続けに飲みまくって」


服薬記録が記された帳面をジズの目の前に投げつけられる。医者であるカダベルは、初めてこの帳面を見たときはきっと瞠目したことであろう。何故なら、そこには致死量ギリギリで調合された《ローゼラ》の記録と、半減期ギリギリの服薬時間が書かれていたからだ。


コンマの一つも間違えられない危うい駆け引き。それを必要とするほどに、ジズの体はすり減っていた。巡礼が終わるまで持ち堪えられたことこそが、今回最大の奇跡と言ってもいいだろう。


しかし、その副作用はけして軽くはなかった。


「ここで寝ていてもチクリとも痛まないだろ。それだけ痛覚が麻痺してるんだよ。《サアルメ》を点滴投与して毒素を大分中和できたけど、完全に体内から毒を抜くのは一生かかる」


拮抗薬を点滴投与し続け、限界まで血中の《ローゼラ》の成分を中和した。それでもまだ完全な解毒には程遠い。数十年間、地上に赴く前から飲み続けてきた《ローゼラ》、《コバルティアの民》の生命線。生まれてからずっと、彼らの体に溜め込まれてきた毒素を完全に解毒することは容易なことではないのだ。


「君の体はこれからもずっと《ローゼラ》を求め続ける。覚悟はできている?」


カダベルの言葉にジズは応えない。聞いているのかいないのか定かでない表情をこしらえ、呆然とした表情でひたすら自分の両手を見つめていた。


「……俺、生きてるの?」


やっと絞り出された声は震え掠れていた。彼の顔はくしゃくしゃに歪み、大粒の涙が目頭から目尻を伝い頬へ落ちる。ジズは全身を震わせながら、ゆっくりとまぶたを下ろし、手を握り締め、唇をキュッと噛み締めて一言、俺、生きてる、と嗚咽混じりの声を漏らした。


「そう、君は今この瞬間、確かにこの世界で生きている。……あれだけの目に遭いながら、よく生きることを選んでくれたね」


よく頑張ったね、ジズ。


カダベルはそう言ってジズの柔らかい灰白の髪を撫でた。労うように、褒め称えるように、優しく何度も何度も……。ジズはしゃくりあげながら、その手にすり寄るように体を捻り、見下ろしてくるカダベルの顔を金の双眸でしっかりととらえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る