第7話:夢想の邂逅



花と水の香りが鼻孔をくすぐる。ジズは重たいまぶたを持ち上げて辺りを見回した。いつの間に帰ってきたのか。《薬草園》の真ん中で、たくさんの《ツェクーペ》がヒラヒラと舞っている中に彼はいた。


「おはよ、ジズ。また来たの?」


突然、背後から声がかかったのを受け、ジズは振り返りながら、あぁ、と思い当たる。これは夢だ。否、正確には《現実の夢》、彼らの長が作る《夢想》の空間。人の夢と夢をつないで意思の交換をする場所だ。


故に振り返った彼の目の前にいたのは……。


「ほんっっと、お人好しだよねぇ。呆れた」


「カダベルの方がまだ分別がありましたよ。あの人も死にたがりでしたが。貴方よりはましでしたね」


「これこれふたりとも、意地悪をなさいますな」


「あらら、エルとシャルだけじゃなく、今回は《族長》までお出ましなのかい」


目の前に立っていた三人の人物を見てジズはふぅ、と息をついた。すると、ため息つくなんて失礼だなぁ、と灰白の髪を緩くみつあみして片目を仮面で隠した少年が拗ねたように言う。


「わざわざ総出で出てきてやったのにさ、薄情者だよなぁ。ねぇ?エル、《族長》」


「こら、シャル。仕方ないですよ。ジズだって自ら死にたくてここに来てるわけじゃないんですから」


そう応じたのはミニハットをかぶった短い髪の少年。すると、その後ろにいたやはり灰白色の髪の青年が、静かになさい、と告げる。そうしてジズに向けられた深い夜の色が、言葉以上に雄弁に状況を語りだした。


この空間を作り出し使役するのは《族長》だが、彼がこの場に姿を見せることは極めて稀であった。《夢想》は夢と夢とをつなぐ魔法、他人の魂に働きかけ、精神体をこの空間に連れ出すのである。いわば幽体離脱だ。そのため、魔法を行使している間は使役者本人の身体が抜け殻状態。万が一、その間に襲撃を受けてしまおうものならひとたまりもない。最悪の場合、精神体が肉体に戻らずにそのまま消滅することもあるのだ。


そんな魔法を使って、さらに使役者本人まで出てきているということは……だ。


「……三人とも揃ってお出ましってことは、俺もいよいよ寿命なのかい?」


「そうですね。貴方の命はほとんど尽きています。原因は《ローゼラ中毒》……。まったく、医者が薬で死にかけるなんて呆れを通り越して笑えてきますね」


「まいったなぁ、ちゃんと記録つけてたのに。ミリ単位で間違えたかな」


「量は問題ありません。頻度ですよ、一日何回吸ったのです?」


「……四回」


「嘘おっしゃい」


「ごめん、七回」


「やれやれ……」


ジズのおどけた返答に《族長》は呆れたような悲しいような、判然としない目でこちらを見ている。


「貴方は《コバルティアの民》たちの短命を救いたいと望むのに、自身の命はどうでもいいのですね」


つい先日もここに来ていましたよね。ここは死にかけている者しか来られないのですよ?わかっているのですか。貴方は本当に生きたい、と思っているのですか?


彼はたしなめるように言った。ジズは黙ってうつむいくと、まぶたをおろしてゆっくりと深呼吸を二回する。そうして心を閉ざし漏れ出す気持ちを押し殺すように唇を噛み締めて……。


しかし、続く言葉は吐き出せなかった。《族長》はさらに悲しげに表情をゆがめながら、うつむく彼に容赦なく言葉を投げつける。


「こんなときまで本心を隠してどうするのですか。貴方の命は尽きるかもしれないというのに、何も言わずに死ぬおつもりですか……」


「そーだよ、ジズ。君は《願い》がないのか?」


「君は《ナディ》を発見したと聞きました。ならば《コバルティアの民》たちの命は今後、少しずつ長らえていくことでしょう。《希望》をもたらした貴方の望みを叶える義務が僕らにはあります」


口々に言う《族長》と二人の少年。ジズはそれでも何も答えず、しばらく沈黙が続いた。


ふいにジズの肩にヒラヒラと《ツェクーペ》が留まり、翅を休ませるようにそれをゆっくりと開閉する。そこが安全だとわかっているのか、ジズが少し震えても飛び立つことはなかった。


対する三人に《ツェクーペ》が留まることはない。人としての生を終え、人でないものとしての生を歩む彼らに《ツェクーペ》は近づきもしないのだ。まるで人の生命の匂いをかぎとっているように。


それでも、人としての生を終えていない自分に寄ってくる《ツェクーペ》は少ない、それが意味することはわかっていた。


「……生きたい」


「私の《延命術》ではなく、ですね?」


答えはもう出ていた。そして《族長》もそう応えるだろうこと予測しまた理解していた。


《ツェクーペ》がまた一匹、今度はジズの腕に留まる。彼は《族長》の問いに顎を引くことで応じた。


「もちろん。まだ《ナディ》を用いた薬を安定的に供給する方法もないし、服用したときの安全性も実証されてない。だから、俺が自ら治験になって、安全に延命できる薬を完成させる義務があるんだ」


そのために俺は生きなきゃいけない。まだこの命、貴方に差し出すことはできない。


すると、ジズの言葉と同時に、それまでヒラヒラとあてもなく飛んでいた《ツェクーペ》がジズの側へと近づき始めたのである。そのすべてが身体に留まるわけではないが、彼の近くをヒラリヒラリとじゃれるように飛んでいた。


「なるほど、それが貴方の《願い》ですか」


「叶うのならね……。可能性がどれぐらいあるのかわからないけど」


そう自信無さそうに笑うジズに、今度はあの二人の少年が口々に言う。


「何言ってるの?《願い》は叶えるものでしょ?」


「現実空間では、貴方が無事に目覚められるように尽くしています。つまりこれから先の選択肢は二つ……」


《族長》の手をとるかとらないか、それだけです。


どうします?と口先では言いつつも、彼らの表情は先程とは異なり、どことなく嬉しそうにもみえた。もうその先の言葉はわかっているとでも言いたげに。


「言ったろ?まだ貴方に命を差し出すことはできない、ってさ」


「ふふ、それでこそ、ジズです。……思えば、皆が長らく諦めていた《ナディ》の存在を書物から見つけ出したのは、貴方でしたね。そして、今 《ナディ》は見つかり、《希望》は叶おうとしている」


よくぞ、やりきりましたねジズ。貴方は臆病者などではありません。貴方は紛れもなく私たちの《希望》です。これからも、どうか…………。



《族長》の声が遠くなっていく。瞬間、《夢想》の空間にピシリと一筋のヒビが生じ、空間が徐々に崩壊し始めたではないか。とはいえ、この崩壊は時間の経過によって起こるものであり、精神体があるべき場所に戻るための前触れでもある。《族長》も少年二人も……、そしてジズも、あるべき場所に帰るのだ。


「《族長》、また救い上げていただきありがとうございました」


「……どうやら貴方の目指す《最果て》はまだまだ遠いようですね……。ふふ、楽しみにしてますよ、ジズ」


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