無何有の郷

季早伽弥

プロローグ又はエピローグ

 外壁の作る暗がりの最後で立ち止まったリュイインは、その先の明るい月に照らされた、砂だけの世界を束の間眺め、踏み出そうとしたところを背後から引き戻され、喉元に刃を当てられた。

「よくもガラス玉つかませてくれたな、それに随分丈夫じゃないか、この目で見るまで信じられなかったよ」

 つい先日まで店の雇人だった男の声が、生温なまぬるい刃物を扱いながら言う。続けて現れた兵士の1人が持ち物を残らず奪い、2人目が開いた袋や包みを月が差す方へぶちまけると、商品の宝石が音を立てて零れ落ち、それをリュイインは凝視した。

 程無くして見つかった大粒の石に手燭の火が近づくや、背後の声が一層怒気をはらんだ。

「青いままだ、貴様たった数日で幾つ偽物用意した、本物はどこだ」

「…失くした…多分水路に」

「地下水路?冗談だろ、喉裂かれようが水にかろうが、これだけのもん拾い集める奴が」

「――本当に無いようです」

 砂上に散りきらめいて埋まる宝石を前に、かがみ込んだ兵士が報告する。

「隠すなよ、腹裂いて調べるぞ」

「嘘はついてない」

 答えがどう逆上の呼び水になったのか、直後喉を掻っ切られる熱と鋭い痛みに硬直する隙もなく、リュイインは前と同じに膝からくずおれた。

「腹だ、」

 どうにも短気で、口から吐かせようなど夢にも思わないらしい。




 上向きにした体を剣で串刺し、ぞんざいに裏返して、無いと2人の兵士は首を振る。

「クッソ今度は溝浚みぞさらいかよ、たかが色の変わる石ころじゃねーか、だから止せっつったのにきさきに黙って持ち出すから――待て、そいつは砂漠の奥に捨ててこい」

 足元の宝石を蹴散らし憤慨していた男は、行きますかと問う兵士をついでとばかりめて言った。

「…今からですか?」

「その為にお前を呼んだんだ」

 男はちらりと背後に倒れるリュイインを見た。

「気になるんだよ…俺の婆さんが言ってた、この世には色んな理由で不死になる者がいる。そいつらは特に何するってわけじゃないが、死なないから厄介で、もしどうにかしたいなら砂漠の真ん中にでも置き去りにする他ないって」

「この世に千人ってあれですね、でも俺の爺ちゃんは、その砂漠の真ん中に――」


 最後の兵士の声が聞こえ薄目を開く。

 彼らが自分に背を向けているのを確かめ、眼球で這うように砂を見回すと、やがて月光が射る虚空へと、リュイインは痛みをこらえ手を伸ばした。


「――砂漠の中心には死に穴があるんです。嫌ですよ」

「行けってんじゃねえ、これ以上は入らないって場所があるんだろ」

「まず出られないので」

「そこに捨てろ、彷徨って木乃伊にでもなりゃ動きようがねーさ」




 気づくと茫漠とした砂の大地に、ただじりじりと照りつける太陽のみが存在し、その熱砂の上でリュイインの体は仰向いていた。

 あの後失心してどれだけ経ったのか、腹に手を遣ると血が乾涸ひからびた顔料のように剥がれ落ち、離した掌を太陽を遮るようにかかげると、赤黒い欠片がバラバラと降り注ぐ。一旦落とした腕を、もう一度持ち上げた手の中には、3人の目を掠め拾った無色透明の石が今は陽光のもと、混色なき青をたたえて揺らめき輝いていた。

「ははは…ばかが、こいつは月明りだと透明な石ころなんだよ――ははは…俺は一体…千人か」

 力が抜けたような笑いは止まらず、笑いながら脱力した腕が砂地を叩くと、そこへくつ先が上げた砂が被って、編み笠の女が覗き込んだ。

「よかった、水を忘れて戻ってたの」

 何者かと驚き考えるより前に、リュイインはもう渡された水を飲み干していて、その様子に女は大丈夫ねと笑い、見てと後ろを指差した。

「あそこに村があるでしょ。私は都へ行かなきゃだから、シヲタの家を訪ねて」

 促されこうべめぐらす先に、小村らしきが揺らぎ見えた。



『私達の村は少しばかり変わった者が集うのです』

 新月にほど近い糸目で青年は、何一つ責めることなく静かに微笑ほおえんだ。否、青年は常にそんな風で話し方も淡々としていたから、『覚えていてください』と続いた言葉にどこか、張り詰めた抑揚を感じたのは気のせいだったろうか。



 じゃあねと女は軽い足取りで去ってゆく。

 手中の石を握り直し、リュイインはゆっくりと立ち上がる―――。


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