第2話「世界で一番……」

 琥珀亭はエスタシオ王国の城下町にある老舗しにせで、昼時は美味くて安いランチを求めて多くの客が訪れるが、今日の賑わいはまた格別だった。その賑わいの中心、四人掛けのテーブルに堂々と鎮座するは「熊の腕」。それを常連客達がぐるりと取り囲み、あれやこれやと言葉を交わしているのだった。


「こりゃぁ、大したもんだ!」

「マリアちゃん、よくやったなぁ!」

「ふん、俺が現役の頃はな、この何倍ものだなぁ――」

「ま~たおっちゃんの『現役の頃は』が始まったぞ!」

「まったく、アンタは昔から負けず嫌いなんだからねぇ」

「う、うるせぇ!」

「……でも、これって本当に魔物なのかな?」

 誰かが投じた疑問に、常連客達は顔を見合わせる。

「魔物ですよ」

 そう口にしたのは、色褪せたローブを身にまとい、樫の杖を手にした初老の男だった。落ち着いた物腰で、白髪の混じった長い黒髪を後ろでまとめている。

「あんた、魔術士か?」

 スキンヘッドの大男……通称「おっちゃん」が尋ねると、初老の男は黙ったまま、杖を熊の腕に近づけた。熊の腕から黒いが立ち上り、ぶるぶると震えだす。大きなどよめき……初老の男が杖を遠ざけると、熊の腕は動きを止めた。

「ご覧の通り。私の魔力に反応しています」

「じゃあ、本当だったんだ……」

「せ、聖天騎士団に連絡しないと――」

「馬鹿っ! マリアちゃんが捕まっちゃうだろ!」

「それならさ、サラに料理して貰おうぜ!」

「ああ、そうだな! 俺が現役の頃は……」


 ――冗談じゃないわ。カウンターの奥で聞き耳を立てていた店主のサラは、やれやれと首を振った。ポニーテールにした亜麻色の髪が揺れる。若くて美人だと、常連客達から評判の女性で、店主になる前は「看板娘」としても可愛がられていた。

 カラン。扉の鐘を鳴らして、新たな客が姿を見せた。銀縁の眼鏡。真紅の瞳。つやのある黒髪を背中まで伸ばし、前髪は横一列に切り揃えている。髪色と同じ色のスーツを着こなした女性は、盛り上がる常連客達を一瞥し、カウンターへと歩み寄る。


「何の騒ぎだ?」

「魔物退治」

 サラは甘い香りのするフェンネルティーをカップに注ぎ、女性の前へ差し出した。

「懐かしい響きだな」

「呑気ね、人の気も知らないで。今時、引き取り手なんていないんだから」

「料理にすればいい」

「ロザリーまで、そんなこと言うの?」

「魔物料理は得意だろ?」

「それはお父さんの話……本当、あれだけは信じられなかったわ」

「それで育ったとは思えない台詞だな」

「知らぬが仏ってね。私は普通の料理が食べたい一心で、料理を勉強したの」

「天国のマスターが聞いたら、泣くぞ?」

「地獄のでしょ? 天国なんて、あの人には退屈過ぎるわ」

「違いない」

「……ねぇ、誰がやったか聞かないの?」

「マリアだろう? 現役の冒険者なんて、彼女ぐらいだ」

「森で女の子を助けたんだって」

「女の子?」

「うん。だけど……」

 サラはそこで言葉を切り、話題を変えた。

「あの子の取材、まだ諦めてないの?」

「念願の冒険もできたんだ、そろそろ頃合いだろう」

「……そうよね。夢が叶ったんだもんね」

「それで、英雄と姫はいずこへ?」

 サラはくすりと笑い、店の奥にある扉へと顎をしゃくった。

「お風呂よ」


「あ~、極楽、極楽っ!」

 ――熱い乳白色のお湯に肩までゆったりと浸かり、マリアは声を上げた。一昔前の琥珀亭は冒険者達の宿泊施設も兼ねていたので、湯船は10人が楽に入れるぐらい広々としている。いつもはこの広い湯船を独り占めしているマリアだが、今日はもう一人……赤毛の少女も一緒だった。

 赤毛の少女は湯船の中で手足をうんと伸ばし、気持ちよさそうに目を閉じている。上気した肌の上を水滴がつるんと滑り、乳白色の水面でぴちゃんと跳ねた。


 琥珀亭で二人を出迎えたサラは、何よりも先にお風呂へ入ることを指示。苦労して持ち帰った「戦利品」を見てもそっけないサラの態度に、少なからず失望したマリアだったが、何事かと店から顔を出した常連客達の騒ぎようを見て、すぐに気分が良くなった。ただ、気がかりなことが一つ。


「……ごめんね、皆の前で嘘をついちゃって」

 マリアは湯船の中で正座すると、赤毛の少女に向かって頭を下げた。じゃぱん、ぶくぶくぶくぶく……そう、常連客達から矢継ぎ早に質問され、マリアはつい魔物を倒したのは自分だと言ってしまったのだ。赤毛の少女は気を遣ってくれたのか、何も言わなかった……いや、何も言えなかったのかもしれない。マリアは「ぷふぁ!」と顔を上げ、ぷるぷると犬のように首を振った。

 目をぱちくりしている赤毛の少女を見つめながら、マリアは前髪を掻き上げた。どんぐりみたいにまん丸で、真っ黒な瞳。一体いくつなのだろうかと、マリアは思う。年下だとは思うけれど、あの熊を前にしての立ち回りは只者ではなかった。

「あなた、冒険者なの?」

 赤毛の少女はきょとんマリアを見返し、小首を傾げるのだった。


 お風呂から上がったマリアは、ショートソードや鎧を載せた籠を両手で抱え、ガチャガチャと鳴らしながら自室へ向かった。長袖のブラウスにロングスカート。赤毛の少女も風呂を上がり、サラが子供の頃に着ていたお古のワンピース――マリアの服は大きかった――をあてがわれ、私物である革の鞄を斜め掛けにしていた。


 マリアは部屋の鍵を開けると、赤毛の少女に中へ入るよう顎先で促した。

「わぁっ! 本がたくさんあるっ!」

 本棚に駆け寄る赤毛の少女を見て、マリアは目をしばたたかせる。

「あ、あなた、喋れるの?」

 赤毛の少女は「あっ!」と両手で口を塞ぐ。ややあって、赤毛の少女は革の鞄から分厚い手帳と万年筆を取り出した。開いたページに万年筆を走らせ、マリアに差し出す。――お兄ちゃんが、知らない人とは喋っちゃ駄目だって。

 そういうことだったのねと、マリアは肯いた。「お兄ちゃん」の言いつけを律儀に守るなんて……マリアが小さく笑ったのを見て、赤毛の女の子は首を傾げる。

「ああ、ごめんごめん! 私はマリアよ。あなたのお名前は?」

 赤毛の少女は、再び手帳に万年筆を走らせる。――ティナ。

「ティナか……可愛い名前ね。あ、ちょっと待ってね!」

 マリアはベッドの脇に「よいしょ」と籠を置いて、ティナに向き直った。

「では、改めて……よろしくね!」

 右手を差し出すマリア。それを見たティナは、手帳と万年筆を鞄に戻し、おずおずと右手を伸ばして握手を交わした。マリアはティナにウインクを一つ。

「ほら、これでもう知らない人じゃないでしょ?」

 ぱっと顔を輝かせたティナは、うんうんと何度も肯いた。

「あ~良かった~! 僕、もうずっと喋れないかと思っちゃったよ!」

 ティナはほどいた右手を頬に当て、ほっと一息。くるりと本棚を振り返る。

「ねぇマリア、ここにある本、見てもいいかな?」

「ええ、もちろん!」

「やったーっ! ありがとう!」

 本棚を物色するティナ。マリナはベッドに腰かけると、その下から研磨剤や布切れが入った道具箱を引き出した。次いで、先程置いた籠に向かって手を伸ばす。

 まずはコレよね……マリアが籠から取り上げたのは、お風呂に入る前、ティナから預かったナイフだった。革の鞘から抜き取ると、布切れで刃を拭い、窓の光に向かってかざす。その瑞々みずみずしい輝きに、マリアは息を呑んだ。刃こぼれ一つなく、そっと触れただけでも、スパッと切れてしまいそう……マリアはその切れ味を試したい誘惑を堪え、ナイフを鞘に収める。ほうっと溜息を一つ、マリアがナイフを籠に戻して顔を上げると、腕組みして本棚を睨むティナの姿が目に入った。

「どうしたの?」

「……なかった」

「なかったって、何か探してるの?」

「うん! 人間って本!」

「にんげん?」

「お兄ちゃんが教えてくれたんだ! 世界で一番面白い物語なんだって!」

 マリアは首を傾げる。冒険小説には詳しいマリアだったが、「人間」という本には心当たりがなかった。その代わり、ふと思いついたことを口にする。

「もしかして、その本を探すために旅をしているの?」

 肯くティナ。本を探して旅する少女か……それこそ物語だと、マリアは思う。

 ――ぐぅ。お腹を押さえるティナを見て、マリアはベッドから立ち上がった。

「ご飯にしよっか!」


 今日のランチは特大のステーキ。ティナはよっぽどお腹が空いていたのか、分厚い肉をナイフとフォークで切り分けては、次々と口に運んでいく。幸せそうなティナの表情につられてか、マリアの手も、口も、いつものランチ以上によく働いていた。

「相席いいかな?」

「……どうぞ」

 マリアは顔を上げることもなく応じ、付け合わせのコーンをフォークですくった。四人掛けのテーブル。コーンを頬張るマリアの隣に座ったのは、ロザリーだった。

「今日は断らないんだな」

「……断っても、座るじゃないですか」

「ふっ、お手柄だったそうじゃないか?」

「それは――」

「君じゃなくて、彼女のね」

 ロザリーは向かいのティナに目をやった。ティナはごくりと、肉を飲み込む。

「どうしてそれを――」

「顔を見れば分かるさ」

 ロザリーはテーブルに頬杖をつき、マリアの方へ顔を向ける。真紅の瞳に見つめられ、マリアはそっぽを向いた。……うう、やっぱり、この人苦手だなぁ。

「どうだい、魔物の肉は美味しいかい?」

「えっ!?」

 マリアは慌てて振り返った。ティナも口元に肉が刺さったフォークを寄せたまま、固まっている。そんな二人を見比べながら、ロザリーは「冗談だよ」と一言。

「ロザリーさんっ!」

「そう怒るな、マリア。可愛い顔が台無しだぞ? ……それで、君の名前は?」

 ティナが黙ったままなので、ロザリーは首を傾げる。

「彼女はですね、知らない人とは喋っちゃ駄目だって言われてるんです」

 得意気なマリア。ロザリーはスーツの内側に手を入れ、革の名刺入れを取り出した。中から一枚抜き取り、テーブルに置くと、ティナの前に指先で滑らせる。

「『黄昏出版』の記者、ロザリアだ。ロザリーと呼ばれることの方が多いがね」

 ティナはナイフとフォークを皿に置くと、隣の席に置いていた革の鞄から分厚い手帳を出し、ページを開いてロザリーに差し出した。ロザリーはティナの手から手帳を取り上げると、ぱらぱらとめくった。ぎょっとして、抗議の声を上げるマリア。

「な、何を勝手に読んでるんですか!」

「いや、きれいな字を書くなと思ってね。これは君の日記――」

 マリアはロザリーから手帳を取り上げると、ティナに返却。ティナは手帳を両手で持ったまま、テーブルに置かれた名刺とロザリーを見比べる。

「ロザリーも何か書いてるの?」

「ああ。人の話を聞いて記事にしている。話をしてくれない人もいるがね」

 ロザリーに目を向けられ、マリアはつんとそっぽを向いた。

「人の話?」

「ふっ、面白いぞ。私は世界で一番面白いものだと思っている」

 ――世界で一番? マリアはロザリーに顔を向ける。

「ロザリーさん、人間て本を知ってます?」

「人間?」

「はい。彼女は、それを探してるんです」

 ロザリーが目を向けると、ティナはうんうんと肯いた。

「……なるほど。ああ、よく知っているよ」

「本当ですか! どこで手に入ります? もしかして、黄昏出版の――」

 ロザリーはすっと立ち上がり、椅子をテーブルの方へ戻した。

「……ロザリーさん?」

「私の出る幕じゃないようなのでね。これで失礼するよ」

「ちょ、ちょっと――」

「取材も諦める。だから……」

 ロザリーはティナの隣に立つと、その赤毛にぽんと手を置いた。

「話は彼女に聞いてもらうといい」

 ――そう言い残し、ロザリーは琥珀亭を後にするのだった。

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