第二十二話 最後の訓練、時々ミートパイ
「ちょっと――なにがどうしたわけっ!?」
叫ぶドクターを無視し、結界の解けた医務室をリュースが飛び出すと、すぐ後ろを別の足音がついてきた。
「エリシアっ! おまえは引っ込んでろッ」
「やーよ! よく分かんないけど……リュースがそんな顔するくらいなら、なんかよっぽどヤバイんでしょっ?」
息を切らしながら走るエリシアに、リュースは走りながらでは溜め息をつくこともできず、結局言葉を詰まらせた。
エリシアはまだその手にパイを抱えている。どこかに置くタイミングすら逃してついてきたのだろう。そのわりにしっかりと抱えている様に、まさか好物だからといって、得体の知れないものまで食べるつもりじゃないだろうな、とリュースは少しだけ心配になった。
少し前に降りた階段を、また駆け上がる。今日はやたらと往復する日だ。
〈調停者〉は、魔王を〈剣聖〉に倒させ、代替わりさせようとしている。そうなれば次は、新しく魔王となった〈剣聖〉に、わずかにだが魔王の力をもつリュースを殺させるつもりだろう。アーティエはハッキリとは言わなかったが、つまりそういうことだ。そうすれば、魔王の力は一所に収まる。
「全く……ふざけてやがるっ」
階段を上がりきり、玉座の間の前までやってくると、入り口に人だかりならぬ魔物だかりができていた。リュースが一端立ち止まり、「なんだおまえら」と小さく声をかけると、気がついた魔物のうちの一人が「教官」と近寄ってきた。蛇女だ。
「大変なんです! 魔王様がっ。私たちではどうにもできず――助けてくださいッ」
魔物たちは一様に不安げな眼差しを、部屋の中に向けていた。リュースがこっそり覗くと、エリシアもそれに倣う。
美しかった玉座の間はすっかり荒れ、真っ白な空間のあちこちにヒビが入っている。柱や壁の一部は砕け、床には瓦礫が転がっていた。
その場に立っているのは、三人だった。アレフィオスは、身体のあちこちに傷を作っていた。美しい銀の角は一本折れ、それが痛々しさを増している。
一方、ノアもまた肩で息をしながら、アレフィオスと距離を取りつつ剣を構えていた。服の一部は切り裂かれ、血が滲んでいる。
激しい攻防を繰り広げているのだろう――確かに、魔王と〈剣聖〉たる勇者との戦いに、普通の魔物が割って入ることなどできるまい。まして、魔王を助けるなど。
玉座から離れた場所では、戸惑ったように警護長が右往左往している。その手には、リュースの剣があった。
「警護長……っ! 早く、それをリュースさんに……。きっと、下でなにかあったんですッ」
扉のすぐ外にリュースがいることに気がついていないアレフィオスは、焦った口調で警護長に指示している。目は、ノアから逸らさぬまま。
「しかし……魔王様を置いて行くわけにはっ」
「ごちゃごちゃとうるさい……ッ」
その声を気合い代わりに、ノアが深く踏み込んで来る。その素早さにアレフィオスは息を呑みつつも、なんとか必死に上体を反らし、風を起こして距離を取る。しかし肩口には新しい傷ができ、震える手でそれを押さえた。
「マジぃな……」
ぼそりとリュースは呟いた。
遠距離から攻撃を加えることができるアレフィオスの方が、本来なら有利なはずだ。おそらく、前半はそれで乗りきったのだろう。
しかし、実戦経験が豊富なノアは、その距離を詰める空気のタイミングを読み始めていた。近距離になれば、圧倒的にノアが有利だ。対して、経験の少ないアレフィオスは極め手に欠ける上、集中力がそろそろ限界だろう――膝が、震え始めている。
リュースは部屋の中をぐるりと見渡してから、魔物たちに小さく声をかけた。
「おまえら……手伝う気、あるか?」
「勿論ですっ」
近くにいた、翼を生やした魔物がすぐさま頷く。
「なにか、手があんのかよ」
反抗的だった人狼でさえ、必死な目でリュースに詰め寄ってきた。その場にいる魔物たち皆が――同じ顔をして、リュースを見ている。
「……よし、よく聞けおまえら」
扉から少し離れ、リュースは一同に向かって語りかけた。
「これが、最後の訓練だ」
アレフィオスは震えていた。身体中を傷だらけにし、片膝を床につきながら。じっと、正面の女を見つめる。
おそらく、怖いのだろう。痛いのだろう。辛いのだろう。金色の目を歪ませ、それでも床についた足を引き起こそうと、膝の上に手を載せ、必死に力を込めている。
それを、四メートルほど離れた場所から、ノアは冷たい目で見下ろしていた。彼女が三歩も駆ければ、その得物はアレフィオスに届くだろう。アレフィオスは、もうそれを退ける力など残っていなさそうだった。
ノアがぐっと身体に力を込めるのが分かる。そして、地面を蹴る――一歩。
「いまだぁぁああッ!」
リュースは叫ぶと同時に、足元に向かって風撃を放った。同時に、背中を支えていた手が外され、身体を浮遊感が包み込む。
リュースが放った風撃は、玉座の間の天井に円くはめ込まれた、明かりとりの窓を破壊し、部屋中に硝子の破片を降らせた。
「な……ッ」
ちょうど、窓の下へ駆け込んだところだったノアは、それを避けきれずに固まった。リュースは穴の空いた窓から部屋の中へ落下しながら、思いきり叫んだ。
「いっっけぇぇぇッ!!」
リュースの合図と共に、扉から大量の魔物たちが飛び込んで来る。蛇女の尾が動きを止めたノアの剣を打ち払い、そこへ人狼たちが一斉に覆い被さった。
「くぅ……ッ!?」
無手になったノアは、魔物たちを避けつつも、それ以上は先に進めなくなる。
「貴様らぁ……ッ」
唸るノアを後目に、リュースはちらりと別の場所へ視線を向けた。
「警護長……!」
「な――」
「なんだ」とでも答えようとしたのだろう。その顔に、唐突にミートパイが押しつけられた。
「もったいないけど――可愛い弟の頼みだからね……ッ」
完全に不意をつかれた形で、背後から現れたエリシアに、警護長は視界を奪われた。なにが起きたか分からずよろめく警護長の片腕を、エリシアが取る。
「っはぁぁあッ」
「ぎ――っ!?」
悲鳴を上げる間もなく、投げ飛ばされた警護長の手から、リュースの剣が落ちた。
身にまとう風を調整し、リュースはその場に降りると、素早く剣を拾い上げるなり、思いきり投げた。
様子を察した魔物たちが、さっと避ける。彼らを追い払おうと、素手でなんとか奮闘していたノアの姿が、リュースらの位置から顕になった。急に引いた魔物たちに、彼女も違和感を覚えたらしい。訝しげに、こちらに振り返った途端。
ゴンっ、という鈍い音を立てて、巨大な剣がその顎に命中する。かなりの衝撃だったことだろう――平衡感覚を失ったノアは、そのまま剣に押し潰されるようにして転倒した。
「なまくらも、役に立ったろうが」
ふん、とリュースは鼻を鳴らしてみせた。
「うわぁ……痛そう」
エリシアが、自分の顎を擦りながら呟く。
「さて」
肩を軽く回し、リュースは警護長に向き直った。そこに、アレフィオスが人狼に支えられながらやってくる。
「リュースさん……っ、あの」
それを手で制し、「おい」と倒れる警護長に声をかけた。
「大丈夫か?」
「いやもう……なにがなんだか……っ」
顔を拭いながら答える警護長の兜を、リュースは無理矢理に剥ぎ取った。
「なっ! なにをするっ!?」
慌てた声を上げる、ミートパイがべったりと貼りついた兜を小脇に抱えたまま、リュースは残った胴体部分を見た。その場にいる皆が、驚愕の声を漏らす。
「アーティエさん……っ!? じゃ……ない……?」
間の抜けた言葉を呟いたのは、エリシアだった。
本来、空洞のはずの胴体部には、人が入っていた。それも、アーティエによく似た蜜色の髪と、水色の瞳を持つ少女が。
「今回は、姿を消したりしないんだな?」
「……確信してるみたいだったから、そんな小細工しても無駄かなって思って」
溜め息混じりに、つまらなさそうな顔で少女が答える。
「まさか……警護長の中に、人が」
驚きというよりは戸惑いの声を上げるアレフィオスに、リュースの脇に抱えられた兜が騒ぎだす。
「魔王様っ! 私の中に人ですかっ!? 一体、なにがっ」
「まぁ……おまえは無自覚に操られていたんだろーがよ」
ぺしぺしと兜を軽く叩いてやり、リュースは改めて少女に訊ねた。
「おまえは、アーティエの……〈調停者〉の片割れだな?」
少女は「ふっ」と笑うと、まるで手品かなにかのように、するりと鎧を脱いでみせた。
白いたっぷりとした貫頭衣の上からでも分かる華奢な身体は、エリシアとほとんど同じくらいの身長だ。顔つきはアーティエに似ているが、その笑みは皮肉な色を多分に含んでいる。
「アイツが、口を割ったわけ?」
「はっきりと言ったわけじゃねぇけどな。エリシアを襲ったのが警護長だったって聞いて、おかしいとは思ったんだ。こいつがエリシアを襲う理由もねぇし、アレフィオスにとって不味いことをするわけもねぇからな」
「ふぅん。そう」
後ろで手を組みながら、口を尖らせて少女は頷いた。軽薄な色をした眼差しを、リュースに向けてくる。
「どうせ、アタシたちがなにをしようとしてるかも、聞いたんでしょ?」
「まぁな」
「バカみたい」と、少女が吐き捨てる。
「だから言ったのに。わざわざ人間といるなんてやめとけって。変に距離を詰めたりするから、お互いに勘違いすんのよ」
「もう少しだったのに」と、少女が剣呑な目でアレフィオスを見た。その視線から隠れるように、アレフィオスは小さな悲鳴を上げてリュースの後ろに引っ込んだ。
「諦めんだな。俺もこいつも、今のところ死ぬつもりはねぇし」
「知らないよ、そんなの」
つんと、少女が首を振る。
「アタシはさっさと仕事を終わらせたいの。やらなきゃいけないこと後回しにしてると、気持ち悪いし、休んでても心が落ち着かないでしょ」
「そりゃまぁ、分かんなくもねぇけど」
頭を掻きながらリュースが唸ると、少女は一転して機嫌良さげに笑った。
「でしょ?」
パチリと指を鳴らす。ハッとして、リュースは振り返った。きょとんとした顔のアレフィオスと、目が合う。
「――っぶねぇ!」
アレフィオスを、左手で思いきり引っ張る。右腕には、警護長の頭を抱えたまま。
次の動作に移る隙はなかった。ただ、気を失ったままこちらに踏み込んでくるノアの姿と、その手に握られた白刃の煌めきとだけは、認識することができた。
「リュースっ」
エリシアの悲鳴が聞こえる。
鋭い切っ先が、リュースの胸元に吸い込まれるようにして突き立った。
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