天動 PM00:00 天野 恭平
東京湾近郊は九月というにも関わらず、上空から真っ白な雪が降り注いでいた。
その光景は昇りきった太陽の光と晴れ渡った空と相まり、地表に近づくにつれて徐々に小さくなっていく様は幻想的な空間を生み出していた。
正確に言えば雪ではない。
それはとある異能の効果により生み出された結晶。
極細の物体を内包して複雑に絡み合った白い悪夢。
非常事態が発令されシェルターを目指して逃げ惑う人々は降り注ぐ白い雪に状況を忘れて訝しむ。
数多の人に降り掛かった雪は溶けてはなくなり再び降り注ぎ、数秒後にはもがき苦しむように次々と地に倒れ伏していった。
あり身体中の至る所から血液が溢れ出し高熱に晒される者。
止まらぬ咳に呼吸不全に陥りやがて静かに痙攣する者。
肌の色が黄ばんでいき黒く変色して動かなくなる者。
症状は様々。
そして症状を緩和する術はあれど治療するすべは一部を除き無い。
しかし苦しみながら倒れ伏している人々にはその救いの手は間に合わず、間に合ってもこれだけの数の治療には手が足りないだろう。
必然的に待っているのは死。
東京湾近郊の街は死の町に変わっていた。
未だ降り注ぐ白い雪の正体。それは、
極小の細菌を含んだウィルス兵器である。
雪の様に擬態された結晶は降り注ぐ中で体積を減少させながら、内包されている悪夢を空気中に散布されている。
結晶に触れようとも触れなかろうと空気中に撒き散らされた細菌は人体へと侵入し、その役割を遺憾なく果たして命を奪っていく。
「ふむ、非常事態に足を止めるとは。平和ボケとは正にこの事だろう」
街より少し離れた湾岸の上空で降り注ぐ雪の中、他を隔絶する様な雰囲気を纏い”平然と”宙に佇む一人の男が呟いた。
男にとって人の死など道端に転がる石と同じ、いや、それ以上に価値がない。
下手したら同じ生き物とすら思ってないのかもしれない。
眼下で巻き起こされているパンデミックを興味もなく、他人が見れば震えるような冷めた目で見下ろしながらおもむろに手を振り翳す。
すると悪夢の雪が降り注いでいる範囲がゆっくりとだが拡がっていく。
「ふむ、
しかし拡がっていた範囲は、被災地を囲む形で突如現れた果てしなく伸びる光の壁に遮られ止まってしまう。
この男の異能は生半可な物では防ぐ事などできはしない。
つまりそれを可能にする者は限られる。
それこそ国を代表するような高位の異能者や魔導士ではないと無理だろう。
「やはり未だ残る怨敵達は腑抜けてはくれないか」
これ以上被害を拡げられない事に対するものか、それとも己が異能を遮られた事か少し不快そうに顔を顰めた。
それに以外にも海上含め作戦地域一帯で施されている通信妨害もそうだ。
味方と通信が取れないというデメリットを飲み込んでまでそれを実行した。
まるで此方の狙いを把握しているかの様に。
「潮時かもしれんな……」
そもそも目的自体は達成しているのだ。
おまけの様にいるかも怪しい少女達の捜索、及び可能ならば確保という物も目的の一つとして入ってはいるが、元々研究主任である女性が無理やりねじ込んで来た物であり優先度は高くない。
それにそろそろ厄介な人物が登場するかもしれない頃でもある。
日本に対する経済的ダメージと会談の一時中断、加えて少量とはいえ目的の物も確保した。
切り上げるにはちょうどいい頃合いだと男は判断して撤収準備へと入る。
「――――ヤァマァトォォォ」
しかし切り上げて撤収しようとした男に、かつて戦場で嫌というほど聞き慣れた声が耳に届き即座に防御態勢へと切り替えて白い障壁を展開した。
「ダァマシィィィィィ!!」
直後に極太のレーザービームが男へと襲いかかり、魔導と異能で生み出した白い障壁を削り取っていく。
男の前の障壁が大きく削られた所で出力が落ちたのかビームが弱まりだし、同時に腕を振り払い光を消し飛ばした。
「来たか、極東の魔王」
霧散していく光の先には、時代遅れの軍服を海風に靡かせながら右手のサングラスを器用に回している怨敵の姿があった。
地表と同じく悪夢が降り注ぐ中でも平然としている姿に顔が歪むのを男は自覚するが、細菌如きでどうにかなる相手ではないと改めて認識する。
数多の戦場で相見え、尽く男の目的を阻み続け、幾多の苦渋を舐めさせられた。
壁を超えた先人でもある忌々しい人物。
日本の最高戦力にして同じ
男にとっては忘れたくても忘れらない百年以上の因縁を持つ怨敵。
【全能の天秤】天野 恭平が、手に持ったサングラスを投げ捨てながら強い視線で男を見据えていた。
「随分とまぁ派手にやってくれたなぁ厄災よぉ?」
極東の魔王が視線を外さぬままに挑発的な口調で語りかける。
世界に厄災と恐れられている男へと。
過去、大戦が停戦した後の世で大連邦の狂気にも似た実験の果てに生み出された
国に与える被害という序列に置いて、百年以上も一位という最悪の地位に君臨し続けている災厄にして最悪の化身。
細菌を生み出して操る。
この短い言葉だけで脅威と見るには十分すぎるであろう。
対策しなければ厄災の前に出た者は例外なく異能者も魔導士も、如何な能力者であろうと死に至る。
何よりもこの男が自由に悪夢を撒き散らせば一人で国を落とせ、いや、落とすなど生易しい物ではない。
文字通り死滅させられる。
連邦が生み出した悪夢。
絶望を振りまく者。
今も昔も変わらない三十代に差し掛かる年齢に保たれた容姿は、顔以外黒い外套に隠されて見えず。
禍々しい雰囲気は黒く濁った瞳を際立たせ、長めの白髪を怪しく揺らしている。
「今こそ雪辱を晴らしたいところだが、貴様が出てきた以上引くしか在るまい」
しかし一位である彼の口から交戦の意思は窺えない。
何故なら一位とはいえ、それはあくまで国に与える被害が大きさで判断された物。
確かに彼自身の強さは異能と相まって他を隔絶した物がある。
が、だからと言って対人戦最強と謳われている魔王に必ず勝てるわけではない。
どちらかと言えばこれからの状況にもよるが、間違いなく高確率で負けるだろう。
彼が弱いわけではない。
一位の名に恥じない個人戦闘力を持ち合わせている。
しかし彼は人的被害を出すことに最も高い能力を発揮するのだ。
それに相手が悪い。
目の前の相手は個人戦闘力だけで三位まで上り詰めた、方向性は違えど彼と同じく正真正銘の化物である。
かつての恨みを晴らしたい衝動の中、冷静に戦力を分析。
敗色を察して引くことを選択する。
「おいおいここまで上等カマして、はいそうですかと帰せる訳ねぇだろっ!!」
纏う雰囲気を一変させた魔王は言葉と共に軍刀の柄に手を掛ける。
「目的は達したのだ、貴様と遊んでいる余裕はない」
「はっ、どの口がほざいてやがる。また十年は動けないように
お互いに隔絶した圧がぶつかり合い、今にも空間が砕ける様な軋みを上げる。
「しかし火の粉を振り払った手が体よく貴様に当たると言うのなら悪くない」
「テメーは世界にとって邪魔すぎる。いい加減眠れ」
互いの間に振る雪が止んだ時、魔王が閃光の如く動き出し遅れて両者の間に光が迸る。
東京湾上空。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます