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 新庄が高々とビールの入ったコップを掲げ、乾杯の音頭を取る。

「『蒸汽帝国』全話の完全納品、恙無く終了致しました! これもひとえに、皆々様の御尽力、御努力の賜物でありまして、不肖、『タップ』代表取締役、新庄平助……」

「おいおい!」と、木戸が、まぜかえす。

「そんな長々と乾杯の音頭を続けられたら、ビールの気が抜けちまうじゃないか!」

 新庄は苦笑した。肩を竦め「乾杯!」と大声を上げる。

「乾杯……」

 全員が和し、ビールを飲み干した。

 シリーズの終了を祝した、打ち上げ会である。たかがワン・クール制作しただけで、打ち上げとは大袈裟かもしれないが、今回の『蒸汽帝国』は『タップ』が元請となって、制作した初のシリーズとあって、新庄は張り切って会を催したのだった。

 場所は『タップ』のすぐ近くにある、小さな居酒屋の二階。ささやか過ぎる会場だが、プロデューサーの大役を果たした新庄には、大いに意味があるようであった。

 ちびちびとビールを啜っている市川に、山田が近づき、声を掛けた。

「市川君、お目出とう!」

 市川は山田に向かって、ちょっと会釈する。山田の祝辞に、ちょっと照れてみせる。

「ああ、どうも……」

 山田は、市川の隣に座る相手に目配せする。

「聞いたぞ、結婚するんだってな? 式はいつだい?」

 隣に座っていた洋子が、首を振った。

「まだ決めてないの。この人が……」

 おっほほほ……と、山田は妙な笑い声を上げた。

「〝この人〟だって! いや、当てられたなあ……! まあ、いい。君らなら、いい夫婦になれるよ」

 山田の心のこもった言葉に、市川と洋子は「ありがとう」と素直に頭を下げる。市川と洋子は、いつしかお互いを運命の相手と認め合い、婚約をしたのだった。

 ちらりと談笑し合っている木戸と新庄を見やり、山田は市川に向き直った。表情が一変して、真剣になっている。

「あのな、おれ、ちょっとビリケンの由来について調べてみたんだよ」

 市川はやや仰け反る姿勢になって、山田の顔を見詰め返した。

「ビリケンって、『タップ』の屋上に祀られている神様だろ? 何か気になったのか?」

「うん」と山田は生返事をする。

「実はな、ビリケンというのは……」

「何よう、あれがあたしなの? ほーんと、純一ってセンスないわねえ!」

 言いかけた山田の言葉を、いきなりの大声が遮った。がらがらと辺りを憚らない、機関銃のような喚き声である。

 何事かと市川が大声の方向を見ると、会場の入口を塞ぐように、巨大な肉の固まりが立ちはだかっていた。

 でっぷりと肥満した女である。

 鯔{トド}が立ち上がったかのような重量感で、まん丸の大きな顔には、ごってりと化粧が施されている。

 歩いただけで汗を掻くのか、分厚い化粧の下から、てらてらと顔が光っていた。

 女の出現で、木戸は逃げ腰になっている。

 どすん、と女は大きな尻を、木戸の隣に割り込ませた。

「エリカ姫って、あたしでしょ? まーったく、あんたも古い話を引き摺るんだから!」

「誰だい、ありゃ?」

 市川は山田に尋ねた。山田は市川より、木戸や新庄と付き合いが古い。

 しかし山田は首を捻っていた。

「さあ……」

 しかし、市川の問いに答えたのは、洋子だった。

「平ちゃんの奥さんよ。旧姓、田中絵里香……」

 ああ、と市川は納得した。洋子はさらに新庄との付き合いが長かった。

「平ちゃんの、大学時代の後輩なんだって。昔の写真、見せて貰ったけど、すっごい美人だったわよお! あっ、そう言えば『蒸汽帝国』に出てきたエリカ姫って、あの人の昔の姿にそっくりだったわ!」

 洋子は感に堪えたような表情を浮かべた。

「きっと木戸さん、昔、あの絵里香さんに恋していたのね。だから、エリカ姫のキャラクターも……」

 ぞわり……。市川の背筋に、冷たい氷柱が突き刺さったかのようだった。

 言い終えた洋子も、自分の言葉に寒気が走ったかのように、胸を抱きしめる仕草をする。

 山田と、市川の視線が合った。山田もまた、同じような感情を抱いているらしく、げっそりと青ざめている。

「それで、『タップ』の守り神のビリケンの、何が判ったんだ……?」

 ようやく、市川は声を絞り出す。何だか、ひどくヤバイ雰囲気が迫ってきている。山田は囁くように答えていた。

「うん。元々ビリケンというのは、アメリカ生まれなんだ」

「ええーっ!」と、洋子が信じられない話を聞いたとばかりに、大きく首を振った。

「アメリカの神様なの?」

 山田は頷き、話を続けた。

「一九〇八年……というから、ほぼ百年前だ。一人の芸術家が、夢で神様を見た。夢で見た姿を彫像にして、公開したんだが、その話が新聞に載って、当時の日本にも伝わった。それが、ビリケンの最初だ」

 市川は眉を寄せ、考え込んだ。

「ビリケンの名前は?」

「当時の大統領、ウイリアム・タフトの愛称がビリー・ケーンだった。それが縮まって、ビリケン、となったのさ。だからビリケンは、日本の神様では、帰化外国人にあたる」

「ふーん」と市川は相槌を打つと、顎を引き、山田に向かって尋ねかけた。

「それで、何が気になるんだ?」

 山田は宙を睨んで呟いた。

「もしビリケンが喋ったら、外国人のような大阪弁を喋るんじゃないだろうか?」

 外国人が喋る大阪弁?

 固い表情で、洋子が囁く。

「それって、デーブ・スペクターが大阪弁を喋るようなもの?」

 三人の間に、ひやりとした空気が流れた。

 沈黙を、だはははは……! という爆笑が切り裂く。

 声の方向に目をやると、新庄と木戸が興奮で顔を真っ赤にして、乾杯をしている。新庄が、大声で木戸に叫んでいる。

「木戸さん、実は『蒸汽帝国』の続編制作が決まったんだ! 今度はワン・クールなんてケチな枠じゃなくて、五十二話の一年間を予定しているんだ! 監督を引き受けてくれますよね?」

 木戸は大きく頷き「もちろん!」と即答していた。木戸もまた、興奮で顔を真っ赤に火照らせ、目を爛々と輝かせていた。

「任せてくれ! 今度も、おれが全部の絵コンテを切るよ!」

 市川が呆気に取られて、二人の遣り取りを聞いていると、新庄が三人に気付いて立ち上がり、のしのしと自信たっぷりの表情で近づいてきた。

「聞いたろう? 今の話を?」

「ええ……」と、市川は力なく頷く。

 新庄は隣にどすん、と勢いをつけて着席すると、市川の肩を力任せに叩いてきた。

「もちろん、君らもメイン・スタッフとして参加してもらう! いいだろうな?」

 やめろ! 物凄くヤバイ状況だぞ!

 大声で叫びたかったが、市川の口は勝手に動いていた。

「ええ、有難う御座います……」

 わはははは、と新庄は哄笑している。

 新庄の笑い声を聞きながら、市川は、微かな〝声〟を耳にしたような気がした。

 ──堪忍や……。

〝声〟は呻くようであった。

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アニメのお仕事 万卜人 @banbokuto

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