第37話 恩師と問題児



 全国魔法学府合同魔法競技大会――魔法学府におけるインターハイは、学校だけでなく魔法界全体が注目する一大イベントである。


 日本に存在する六つの魔法学府から代表者が一同に介するのは、夏のインターハイと、冬のユースカップのみである。未来を担う魔法士達がしのぎを削るその様子は、テレビ中継もされるほどで、普通のプロの試合よりも注目を集めたりする。


 それだけ大きなイベントであるから、各学校もかなり力を入れて運営を行う。

 予選開始の六月から、大会が終了する八月までの間は、魔法学府に勤める教員たちに休む暇など無いと言ってもいいくらいだ。


 しかし――そんな中、閑職を割り当てられた一人の教員が、二階観覧席の隅で競技場を見下ろしながら立っていた。


 伊勢いせ木伊香きいか教諭。オリエントにおいて、古代伝承学の教鞭をとっている教師である。


 彼女は観覧席から、シューターズの試合を観戦していた。


「……本当に。あの生徒には肝が冷えますね」


 そこで試合をしているのは、つい昨日まで怪我で入院していた男子生徒で、伊勢が担当するクラスの生徒でもある。

 怪我の原因が通り魔による襲撃であるというのは、日曜の時点ですでに学院中に知れ渡っていたが、犯人が捕まったという話は聞かない。そんな中で、重症だったはずの生徒はほぼ傷を完治させて今日の昼前に登校してきた。


 曲がりなりにも昨日まで入院していた生徒が、今日の予選に出るのは危険過ぎると伊勢は止めたのだが、それは杞憂だったようだ。

 彼は今、圧倒的とも言える実力で相手をねじ伏せている。シングル戦のときにも思ったが、それは本当に次元の違う実力だった。


 伊勢が魔法学府で教鞭を取って二十年は経つが、長い教師人生でここまで競技に特化した生徒はそうそうお目にかかったことがない。一体、何をどう修練すれば、同年代とここまでの実力差が生まれるのか。


 厳しく競技場を見下ろしている伊勢の元に、横合いから声がかけられた。


「お、伊勢ちゃんやん。チィっす。ごぶさたっすわ」


 馴れ馴れしく近づいてくるのは、ラフな格好をした金髪サングラスの男だった。サンダル履きでフラフラと近寄ってくるその様子は、学校という場所を考えるとただの不審者である。


 伊勢は半眼でそちらを見やると、冷たく一言。


「どなたですか。部外者は立入禁止ですよ」

「ちょ、OBやってんから部外者ちゃうわ。伊勢ちゃん、ワイのこと忘れたん?」


 伊勢の反応が思いの外冷たかったからか、その男はあたふたと慌てながら言葉を重ねる。

 そんな彼の様子を見て、伊勢はそこでフッと不意に笑みをこぼした。


「あいにく、恩師を馴れ馴れしくちゃん付けで呼ぶような不審者の知り合いはいませんが――よく問題ばかり起こす無法者な教え子なら、記憶にあります」


 堅物そうな顔を微かにいたずらっぽく微笑ませながら、伊勢は彼に向き合う。


「久しぶりですね、夕薙くん。活躍は聞き及んでますよ」

「はぁ、冗談きついわ、伊勢センセ」


 脱力したように大きく息を吐くと、金髪サングラスの男――夕薙アキラは、大げさに身体を倒してすぐ後ろのベンチに座り込んだ。仮にも恩師の前だと言うのに、随分とリラックスした態度である。


 伊勢とアキラの方を向いた後、頭だけを試合場に向ける。いくつもの予選が同時に行われているが、その中で二人が見つめる試合は同じものである。


「疑問が氷解しました」

「ん? そりゃどういう意味や?」

「鏑木くんの師匠は貴方だったんですね。夕薙くん」

「はぁ? ワイがコウやんの師匠? どっからそんな話が出てきたんや」


 本気で驚いたような反応に、伊勢は「おや?」と首をかしげる。かなり確信を持って言っただけに、まさか違うとは思わなかった。


 いつもの鉄面皮が剥がれ、らしくもなくキョトンとしてしまう。そんな伊勢を前に、アキラは皮肉げに笑って手を振りながら言う。


「ちゃうちゃう。あの坊主が強ぉなったんは、留学中のことやからワイの力やない。まあ、中学時代に基礎を見てやったことくらいはあるけど、あんなんで師匠面するほど厚顔や無いわ」

「そうですか。ではなぜ、今まで一度も訪ねてこなかった母校に来たのです?」


 OB訪問なんてする柄じゃないだろう、と暗に言いながら、伊勢はまっすぐに尋ねる。


 オリエントの高等部で、伊勢木伊香が夕薙アキラを相手に教鞭をとったのは、かれこれもう十三年近く前の話になる。随分手のかかる生徒だったが、それゆえに印象も強烈だった。そんな彼が卒業後に母校を訪れたのは、大学時代の軍事教練を除けば今回が初めてである。


 なので、これは実に十三年ぶりの再会になるわけだが、あまりにもアキラの雰囲気が自然すぎたため、まるで最後に会ったのがつい昨日のことのような錯覚を覚える。その奇妙ながらも心地よい感覚を弄びつつ、伊勢はアキラに疑問を投げかける。


 なぜ、このタイミングで戻ってきたのかと。

 その問いに、アキラはバツが悪そうに首筋を触りながら答える。


「まー、コウやんと関係があるんは否定せんわ。……伊勢ちゃんは、あの坊主の襲撃事件のこと、どんくらい聞いとる?」

「恥ずかしながら、殆ど関与出来ていません。本人も口をつぐんでいますしね。――やはり、うちの学校の関係者が?」

「予測に過ぎんひんけど、そう考えるのが妥当やって思うわ。警察は?」

「来ましたよ。ご想像の通り、大したことは出来なかったようですが」


 異能が関わる事件には、専用の対策課が動くことになる。そのときに最もマークされるのが、事件現場に近い場所にある魔法学府だ。


 魔法学府の生徒、あるいは教師。大学院まで含めれば、一つの学校に五百人以上の魔法士が在籍するので、当然ながらトラブルも起きやすい。学内から犯罪者が出ることはそう珍しいことではなく、一年に一、二度はあることだ。

 ただ、オリエントの特色として、派閥内の権力争いによってはそれがもみ消されることもままある。


 中立に近い親和派である伊勢木伊香のような教師では、その深淵は簡単には触れられないほど底知れないものである。


 伊勢の反応を見て、アキラは残念そうに言う。


「なんとなくわかっとったけど、伊勢ちゃん、もしかして干されとるん?」

「似たようなものですね。五年前に理事が変わってから、自然派が大きく勢力を増したのが、今のオリエントの現状です。人智派のほとんどはテクノ学園に行きましたし、比較的待遇の良い親和派や渡来派も、学院の運営の深い部分には関われていません。おかげで、インハイ予選期間にもかかわらず、こうしてのんびり出来ているわけですが」

「はぁ、随分変わったもんやなぁ。せやから、見知ったセンセーが殆どおらんわけや」


 どことなく寂しそうにアキラは目を細める。

 サングラス越しのその目を見返しながら、伊勢は再度、同じ質問を繰り返す。


「それで、あなたは今のオリエントで、何をするつもりです?」


 出来ることならば力になってあげたいが、現在のオリエントにおいて、伊勢はほとんど権威らしいものを持っていない。せいぜいが情報を提供する程度だ。


 この時点で、伊勢は積極的にアキラの協力をする心づもりだった。


 それは別に、アキラに肩入れしているからというわけでなく、アキラならば信用に足ると思っているからである。在学中は問題ばかり起こす頭の痛い生徒だったが、卒業後の活躍においては教え子の中でも多くの実績を残している。だから、よっぽど常識外のことを言わない限りは、率先して手助けをしようと思ったのだ。


 それに、今のオリエントには、義理立てするほどの意味も見いだせない。


 腐敗しきったこの学院を打破するのは、彼のような問題児なのかもしれないと、そんな微かな期待があるのは否定しきれなかった。


「んー、そやな。まあ、いろいろ事情をすっ飛ばして言うとな」


 アキラはどこかとぼけたように、しかし声色は真面目に言った。


「ちょっと事情があって、オリエントのメインサーバーでもハッキングしようと思うんやけど、伊勢ちゃん、管理室のパスワードとか知っとる?」

「…………」


 知ってても教えるわけ無いだろう。

 警察呼ぶぞ?



 ※ ※ ※



 シューターズの試合が終わり、霊子庭園が解除された瞬間、鏑木コウヤはよろけそうになる身体を懸命に立たせた。


 全身を襲う倦怠感に気を強く保つ。病み上がりの身体は、想像以上に負担がかかっているらしいことを感じる。それでも、まるで動けなかった昨日までに比べると、全力で飛んだり跳ねたりしても大丈夫なくらいには回復していた。


 バディ戦予選三日目。

 その日は、コウヤの日程の中でシューターズの一戦目が入っている日だった。


 左腕と背中を斬られた重症から復帰するため、今日までずっとアキラからの集中治療を受けてきた。その甲斐あって、万全とは言わないまでも、十分に実力を発揮できるくらいには回復することが出来た。


「コウヤ、コウヤ! やりましたわね!」

「ああ。テンもおつかれさん」


 実体化したテンカが、嬉しそうにその場で飛び跳ねる。コウヤがその頭を撫でてやると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。


 テンカもまた、重症からの病み上がりである。どうやら二夜メグによる治療を受けたそうで、破壊されていた因子は『熱』の因子以外すべて回復している。残る一つも、この後一日あれば回復できる目算だった。


 そんな二人のもとに、観戦していた佐奇森ヤナセが近づいてきた。


「よ、大健闘だな、ヒーロー」

「まあな。それより、助かった」

「へ、どういたしまして」


 ヤナセには、競技場までの護衛をお願いしていた。元は、病み上がりのコウヤを心配した伊勢教諭が、気を使ってヤナセに声掛けをしたのだ。

 最初は大げさなと思ったものだが、実際その判断は間違いではなかったらしいことを、身をもって実感した。


 視線を感じるのだ。

 コウヤが登校してここに来るまで、あちこちから剣呑な視線が飛び交っていた。それは生徒のものと言うより、教師からむけられているもののようだった。


 なぜここにいる。

 そう、視線の敵意は雄弁に語っていた。


「とりあえず、敵意はあっても不審な動きはない、って感じだぜ。少なくともメインの出力機に触った人間は居なかった」


 ヤナセには、不正が働かれないかを見ていてもらっていた。武術を嗜んでいる彼は敵意などに敏感なので、感嘆な不正なら見破れるそうなのだ。さすがに手の込んだ不正までは見破れないが、県政にはなるだろうと言っていた。


「さすがにサーバーとか、独立端末からの操作はわかんねーけど」

「十分だ。ありがとう」

「……ふたりとも、なんの話をしてるの?」


 コウヤとヤナセが情報共有をしていると、それを遠宮キヨネが不審そうに見ていた。


 ヤナセと共に近づいてきた彼女は、むっつりと顔をしかめてコウヤを睨んでいる。しかし、その表情は不機嫌と言うよりも努めて厳しく見せているような印象だった。


「よう、遠宮。久しぶり」

「こんにちは。鏑木くん。襲われたって聞いたけど元気そうだね。身体は大丈夫なの?」

「おかげさまでな。心配かけたか?」

「……別に。そういうわけじゃないけど」


 コウヤの真っ直ぐな言葉に、キヨネは少したじろいでみせる。図星だったのか、彼女はちらりと目線をそらした後、唇を尖らせた。


「ただ、明日の試合、忘れてないか気になっただけだから」


 明日――予選四日目に、コウヤとキヨネのシューターズの試合が組まれている。

 そのことを言っているのだと察したコウヤは、胸を張って答えた。


「もちろんだ。今度は負けないからな」

「……ふん。こっちこそ、勝ち越して今度こそ完全勝利してやるんだから」


 そう言って挑むように正面から見返すキヨネの目は、力強さに満ちていた。

 どことなく嬉しそうなキヨネの雰囲気に、コウヤは一瞬意外そうに目を丸くした後、嬉しそうにくぐもった笑い声をあげた。


 コウヤは今日の試合に出るために、最新の注意を払ってきた。それは、明日も変わらないだろう。いつどこで、どんな妨害が行われるかわからない。もはやコウヤにとって、試合以外の時間すらも戦いと同じである。


 でも、そんな中、遠宮キヨネだけは真っ直ぐに自分と戦うことを望んでくれている。きっと彼女との関係だけは純粋なものであり続けるだろうと思えて、それがすごく嬉しかった。


 だが、そのいい気持ちも長くは続かない。

 コウヤが気分良く笑っていると、不意にヤナセが耳打ちしてきた。


「鏑木……教頭だ」


 その言葉に、コウヤは瞬時に身構えてさっと言われた方を見る。


 教頭の嶽本佐京と、その一派。

 学院内で自然派に所属する教師たちが、数人連れ立って歩いていた。彼らからはあからさまなほどに敵意が向けられているのがわかった。


 テンカが実体化して、さっとコウヤをかばうように前に立つ。ファントムが臨戦態勢に入っているのもお構いなしに、教頭の嶽本は近づいてくる。


 教頭はコウヤの目の前で立ち止まると、冷めた目で小さく鼻を鳴らした。


「うまく勝ち進んでいるようだな、鏑木」

「ええ。おかげさまで」

「その快進撃もいつまで続くか見ものだ。不相応な評価は、後の自分を苦しめるだけだぞ」

「不相応かどうかは結果で示しますよ。先生」


 それだけの会話で、周囲に緊張が走ったのがわかった。


 もともと、教頭がコウヤのことをよく思っていないという話は学院内では有名な話だ。それに加えて、週末の襲撃事件のことも噂程度には広まっているので、一部では教頭が指示をして鏑木コウヤを襲ったのではないかという憶測が飛び交っていた。


 そんな二人が顔を合わせているのだから、はたから見れば一触即発という感じだった。


 他で行われている予選を放って、会場獣の注目を集める邂逅。

 先に口を開いたのは、教頭の方だった。


「ふん。結果が不相応だからこそ、不要な恨みを買うのだ。学院の看板に泥を塗るような真似だけはして欲しくないんだがな」


 まさか、教頭の方からその話題を振るとは誰も思わなかったので、全員が固唾をのんでその後の展開を見守ることになった。


 それに、コウヤは。


「はは! おっしゃるとおりですね。いやあ、まいりましたよ」


 いっそ軽快なほど笑い飛ばしながら、コウヤはあっけらかんと言った。


「まさか、思いもしませんでしたから、油断していました。思った以上にこの学校、腐ってますね」


 失言――と言うには、あまりにも狙いをすました暴言だった。


 少なくとも、鏑木コウヤは学内での生活態度は真面目で通っている。そんな彼が、礼儀も建前もかなぐり捨てて、学院を侮辱するような発言をしたのだ。


 この瞬間、彼は確実にこの学院の三割近い人間を敵に回しただろう。


 それを直接向けられた教頭は、あっけにとられたように目を丸くして言葉を失う。

 やがて、彼はわなわなと震えだすと、怒りを抑え込んだようなくぐもった声で小さく言った。


「……後悔するぞ、鏑木コウヤ」

「そんなの、し飽きましたよ。そろそろ他の人におすそ分けしたいくらいです」


 コウヤの不敵な返しに、教頭は力強く睨み返す


「そうか。ならば楽しみにしておこう」


 そう言って、教頭は急に冷めた目をコウヤに向けた後、さっさとその場を去っていった。どうやら本当にコウヤに会うためだけに会場に足を運んだようで、そのまま出入り口に向かって外に出ていった。


 一触即発の緊張から開放された周囲の人間は、ホッと一息ついた。


「うわぁ……何だあれ。おい鏑木。お前マジで敵対しちまったみたいだけど、大丈夫なのか?」

「もうとっくにしてるって。はぁ……しっかし。やりづれぇ」


 身構えていたコウヤも、そっと息をついて緊張を解く。

 それと共に、ずっとかばうように前に立っていたテンカに尋ねる。


「どうだった? テン」

「……あの白髪頭はファントムを連れていませんでしたわ。他の連中は連れていたようですが、どれもあの影法師とは違う魔力の雰囲気でした」

「そっか。まあ実行犯じゃないとは思ってたけど、あの様子じゃやっぱ関わりあるよなぁ」


 襲撃犯の記憶がどんどん薄れる中、テンカだけはあのときの襲撃者の魔力を覚えているという話だったので、今は虱潰しに当たっているところである。別に見つけたからと言って報復が出来るわけではないが、証拠を集めたりと言った対策は取れる。


 そんなコウヤたちの様子に、傍でずっと見ていたキヨネが難しそうに顔をしかめる。


「鏑木くん、本当に大丈夫なの?」

「ん? あぁ。気にすんなって。委員長」

「それなら良いけど……ドサクサに紛れて委員長って呼ぶのやめてくれる?」


 私は副だって、と。嫌そうに言うキヨネを見て、コウヤとヤナセは顔を合わせて笑いあった。



 翌日。

 バディ戦予選四日目には、鏑木コウヤはシューターズの試合が七試合組まれていた。



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