第22話 威嚇の氷柱
「あ、ほらほら。もう始まっちゃっいましたよ。みなさん、ちゃんと見ないと」
そう言いながら、キリエは観戦席の背もたれに手をかけると、キサキの頭越しに競技場を指さしながら言った。
彼女の馴れ馴れしい態度に、キサキは動揺しっぱなしである。
その様子がおかしいと思ったのか、ヤナセが警戒したように声を掛ける。
「比良坂。そいつ、知り合いか?」
「……うん。ちょっと」
歯切れの悪い受け答えをするキサキに代わって、熱に浮かされたような声でキリエが答えた。
「コウヤ先輩の後輩です。ね、キサキ先輩。それとも、僕のこと忘れちゃいました?」
「……ううん。覚えてるよ。キリエちゃん」
忘れられるわけがない。
四年前。目の前の少女によって向けられた純粋な悪意は、キサキの中で今でも生々しい古傷として残り続けている。
同じ経験を、全く違う価値観で受け止める悪魔のような少女。
どんなに喜びを共有しようとしても、それと同じ感情を相手が共有してくれるとは限らない。それを満面の笑みで教えてくれたのが、彼女だった。
國見キリエ。
成長して更に凛々しさを増した少女は、訳知り顔でコウヤのことを語る。
「海外でのコウヤ先輩なら、このくらいの逆境、むしろ日常くらいでしたよ。追いつめられたときこそ、あの人は本気を出してくれるんです。絶対に無理だ、もうだめだって時に、びっくりするほど輝く。ああ、僕は、それが何度も見られて幸せです」
うっとりと恍惚とした表情を浮かべて、うわ言のように言う。
自分の世界に入ってしまったその様子に、キサキだけでなく、周りの全員がドン引きしている。
もとより、周囲のことなど気にしないようなマイペースな少女だったが、昔はここまでではなかったはずだ。
そんな彼女の喉元に、背後から指が伸びてきた。
「だまりなさい、このアバズレ」
その極寒の声と共に、周囲の温度が急激に下がるのを感じる。
いつの間に移動したのか、キリエの背後に、冬空テンカの姿があった。
空中に軽く浮遊した彼女は、抱きつくようにひんやりとした白い指をキリエの首筋に絡めている。
凍てつくような抱擁とともに、テンカは殺意のこもった声で警告する。
「動かないでくださいまし。わたくし、気が長い方ではありませんの。少しでも余計なことを言えば、凍らせますわよ」
「あれ? 過去……じゃないですね。もしかして僕、今まさに攻撃されてます?」
剣呑なテンカの声に対して、キリエは間の抜けたコメントを返す。
きょとんとした表情は、この危機的状況においていまだ夢心地のようである。
その挑発しているとしか見えない反応に、テンカは氷のように冷たい声で確認する。
「あなたが國見キリエで間違いありませんわね?」
「はい。この前あなたに殺された、國見キリエですよ。こそういうあなたは、雪の妖精さん?」
「コウヤのバディですわ」
「そうでしたか。それは失礼しました」
これっぽっちも失礼したなどと思っていない口調で、キリエは答える。
身体を密着させられ、首に手をかけられたという、文字通り生殺与奪権を握られているような状態。にもかかわらず、國見キリエは普段と変わらない自然体な態度を崩さない。
ニコニコと柔和な笑みを浮かべたまま、彼女は緊張感のない命乞いをする。
「コウヤ先輩には、ずっとお世話になっているんですよ。いわばマブダチ、並々ならぬ関係なんです。だから、攻撃なんかしないでくださいね?」
「……コウヤについている悪い虫、とは聞いておりましたが。どうやらその認識は、わたくしの勘違いではなさそうですね」
「いやぁ、それは勘違いじゃないですかね。コウヤ先輩のことはお慕いしていますが、あくまで親愛のそれですよ?」
パッと両手を上げて、降参のポーズを取りながらキリエは答える。
「僕はまだ何もしてません。ぜんりょーな小市民ですよー。ただちょっと、コウヤ先輩のことが好きなだけです。だから、攻撃しても何の意味もありませんよ?」
「そうですか」
その答えに、テンカは顔色一つ変えず、
「なら――死んでくださいまし」
あっさりと、その両手で首を締め上げた。
それとともに、手のひらから氷の棘が飛び出し、キリエの喉を貫いた。
――テンカの『棘』のパッシブスキル、『氷筍つらつら』。
彼女の皮膚に触れた時、そこから氷の棘が飛び出すというスキル。無数の棘は、キリエの白い首を真っ赤に染める。
そのあざやかな手並みに、周囲にいた誰一人、まともに反応することができなかった。
首筋からは血が吹き出し、キリエは白目をむいて力なく崩れ落ちた。
そこでようやく、我に返ったキサキが目を見開いて叫ぶ。
「ちょ、テンちゃん!? 何やってんの!」
キサキは慌てて、テンカを引き離そうと手を伸ばす。
「な、何てことしてるの! ああ、ち、血が。き、キリエちゃん、大丈夫!?」
テンカに首を掻き切られたキリエは、そのまま地面へと倒れ込む。
バウンドして転がるその肉体は、まるで力の抜けた人形のようだ。傷の元である首筋からは、赤い液体がじんわりとこぼれ、地面を汚していた。
動揺しながらその死体に駆け寄るキサキに、テンカは深々とため息を付く。
「何をうろたえてますの、キサキ。貴女らしくもない」
「なんで、テンちゃんは平然としてるの! な、生身の人、人を、傷つけたのに」
「はぁ。魔法士と言えど、やはりみなさん、まだ学生ですわね」
他の生徒も、キサキと似たり寄ったりの反応を見せている。
テンカは呆れたように息を吐くと、汚れた手を払うようにさっと振って、あっさりとネタバレを口にする。
「霊子体ですわよ。霊子庭園の中じゃないので、わかりづらいでしょうけど」
「え……でも」
テンカの言葉に、キサキは倒れている死体を起こそうと手を触れる。
その瞬間、その肉体はガラスが砕けるようにはじけ飛び、魔力の粒子となって消えていく。
そして、後方からは心底残念そうな悲鳴が上がった。
「あぁー。やめてくださいよ、もぅ。せっかく創ったのに、壊れちゃったじゃないですか」
観覧席の上方。
そこに、生身の國見キリエの姿があった。
彼女は手すりに腰掛け、足をぷらぷらと揺らしている。気ままな姿を見せる國見キリエは、首筋をおさえながら文句を言っていた。
そんな彼女に、テンカはつまらなそうな目を向ける。
「流血まで再現するとは、性格が悪いですわね。流石に出血量が少ないので騙されませんでしたが、やり口がいやらしいですわ」
「うーん、別にそんなつもりはなかったんですけどね。現実で霊子体を作ると、どうしても精度が高くなるだけで、不可抗力なんですよぉ」
キサキは言い訳をしながら、微かに唇を尖らせてみせる。その仕草は、凛々しい顔立ちに似合わず、どこか子供っぽかった。
二人のやり取りを聞きながら、周囲の学生たちは驚愕に目を見張っていた。
今のが霊子体――というのは事実のようだが、だとすればとんでもないことである。
霊子体とはそもそも、情報界で生身と同じパフォーマンスを行うために作られるものだ。
現実界でそれを創り、生身と同時に操作するなんて所業は、肉体を二つ制御するのと変わらない。下手を打てば、どちらが本物か分からなくなり、自己喪失を起こしかねない。かなり難易度の高い魔法行使である。
それは、現実の迷宮探索や異界探索の際に用いられる
本来ならば、大学部で一部の学生だけが教わる霊子体の作製法で、神咒宗家の家系ですら、成人してからでなければ教えないような技術である。
それを、入学して間もない一年生が行っているとは――どれほどの教育を受けてきたのか。
当のキリエは、まるでいたずらがバレた子供のように愉快そうに笑っている。
「あははー。やはりファントムには敵いませんね。まあ、今ので僕の姿を殺せたわけですし、ここで手打ちとしませんか? 雪の神霊さん」
「さすがのわたくしも、生身には攻撃しませんわよ。ただ――貴女の所業はコウヤに聞き及んでいるので、警告だけはさせていただきますわ」
ふわり、と。
かすかに冷気を撒き散らしながら、テンカはキリエに向けて殺意を向ける。
「もしコウヤを傷つけることがあれば、容赦はいたしませんのでお覚悟を」
「ふふ、怖い怖い。この寒気は、たしかに現実です。しかと肝に銘じましょう」
口元に微笑をたたえながら、キリエは静かに頷いた。
そして彼女は、悠然と観覧席の階段を降りてくる。
キサキたちが座る席にまで降りてきた彼女は、手すりに手をかけながら促すように言った。
「それよりみなさん。先輩の試合、大詰めですよ」
「……! そうだ、コウちゃん!」
キリエの登場で完全に頭から吹き飛んでいたが、もうすでにコウヤの試合は始まっている。
ヤナセたちはまだキリエへの警戒を続けているが、促されるようにして霊子庭園へと目を向ける。
すでにオープニングフェイズは終わり、メインフェイズ。得点は、忌部イノリがリードしており、ついでコウヤ、後は団子状態だ。
フィールドを走り回るコウヤは、先程から妙に大きな動きを見せている。
「なんか、さっきよりも鏑木の動きおかしくないか?」
そう言い出したのは、油井ケンジだった。
この試合。コウヤはまたしても使用デバイスを変えてきていた。
一つ前の試合までは、ふんだんに魔法を使用しての撹乱や的の遠当てをいくつもしていたのに対して、今回は周囲の攻撃から逃げ回るようにして的を狙っている。
そんな彼に対して他のプレイヤーは、もはやマイナス点など気にしていないかのように全力で魔法を打ちまくっている。
「さっきまではもっと魔法使って他の選手を翻弄してたのに、なんで逃げてばっかりなんだ?」
「周りから狙われているのもあるだろうが、やっぱり忌部先輩を警戒してるんじゃないか?」
「それにしても、消極的すぎじゃない? さっきまでのマントも使ってないし」
口々に意見を言い合う同級生をよそに、キサキは試合の様子から大体の事情を察した。
おそらくは魔力が足りないのだ。
一日に何試合もして、一試合にかけられる魔力が少ない状態の時、効率を重視して同じような行動を取ることがキサキにもある。
見た所、コウヤの霊子体はすでに衣服などの表層が崩れかかっているので、魔力残量はかなり少ないのがわかる。
しかし、ここまで完璧なペース配分で来たコウヤが、最後の試合に魔力を残さないなんてことはあるだろうか?
――きっと、霊子体の作製にトラブルがあったのだ。
(……! わかって、いたのに!)
おそらく手を出してくるならここだろうと分かっていた。
それなのに、自分は何も出来ずに、みすみすそんな不正を許してしまった。
口惜しさに目の前がカッと熱くなる。もっと早く気付けていたら、試合が始まる前に止めることも出来たかもしれない。それなのに自分は、のうのうと観覧席に居て、コウヤが苦しんでいる姿を遠くから見ることしか出来ない。
祈るような思いで、キサキは両手を握って目を瞑る。
――あたしのせいだ。
そんな自罰的な思考が胸の奥から襲ってくる。
あまりにも大きな感情に、思わずうめき声をあげそうになった時だった。
「だから、心配ないですって」
ボソリと、わずかにキサキにだけ聞こえるように、キリエが言った。
「そんな風に、つらそうにしたって何も変わりませんよ。それより――きっと面白いものも見れると思いますので、しっかりと観戦しましょう」
「面白いもの……?」
キリエの言葉が気になったが、追求するより、フィールドの方へ視線を向ける。
確かに彼女の言葉通り、鏑木コウヤは面白いことを行うのだった。
※ ※ ※
鏑木コウヤは集中砲火を浴びていた。
もはや形振り構わなくなってきた敵プレイヤーたちは、全力の魔法攻撃でコウヤを排除しに来ている。
一発でも喰らえば霊子体がだめになり、ゲーム続行が不可能になる。そんな状態では、とにかく逃げ回るしか無い。
それでもコウヤは、着実に得点を重ねていた。
メインフェイズのクレーが飛ぶ。プレイヤーたちから飛んでくる弾幕をかいくぐるように、コウヤが撃った魔力弾がそれを破壊する。四方から飛んでくる魔法攻撃には、建物や地面のレンガを壊して盾にする。そうして自身のダメージは最小限に抑えながら、最大限の得点を取得していった。
スコアボードを見る。
鏑木コウヤ 48点
忌部イノリ 64点
…………
…………
他の五人は話にならない。得点を競い合っているのは、忌部イノリのみだ。五人がコウヤの足止めをしている間に、イノリは着々と得点を重ねている。
忌部イノリは、フィールドの西方にある時計塔の上に立ち、固定砲台を築いていた。
おそらくそれが、彼女の組んだ魔法なのだろう。
魔力で編まれた複数の巨大な銃身は、百八十度正面を全て狙えるようにフィールドを見下ろしている。また、彼女自身は手にスコープを持っていて、フィールド全体をしっかりと俯瞰している。
メインフェイズはもう終りに近い。あとはラストフェイズのエネミー戦。しかし、的の大きいエネミー戦は、あの固定砲台の格好の的である。
勝負に出ないといけない。
そして、それは相手も考えていたのだろう。
ラストフェイズに入った瞬間、建物の物陰に隠れていた三人のプレイヤーが、同時に飛び出してきて魔法攻撃をしてきた。
煉瓦でできた巨大なゴーレム。
雷をまとった暴風のランス。
逃げ場を封じる魔力のワイヤー。
今この時に、鏑木コウヤを封殺するためだけの攻撃。
もはや組んでいることを欠片も隠しはしていない。いっそ潔いくらいのチームプレイだ。
それを前に――
「邪魔だ」
チョーカー型のサブデバイスに魔力を通しながら、コウヤは睨みつけた。
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