第17話 前哨戦代わりの盤外戦術



 午後一時半。

 ウィッチクラフトレースの試合を終えたコウヤは、休憩所に入ってひと心地ついた。


 休憩所は大講堂くらいの広さで、着替え用の更衣室や、荷物の一時置きロッカーが設置されている。

 均等に並べられたベンチには、試合待ちの生徒が座り込んで、大モニターを見ながら自分の番を待っていた。


 壁を挟んですぐ向こうでは、今でも複数の競技が同時に行われている。

 その熱気を感じながら、コウヤは試合前の準備をする他の生徒の間を歩く。


 コウヤがデバイスを預けているロッカーに近づくと、見知った顔を見つけた。

 遠宮キヨネ――クラスメイトの少女は、ロッカーのそばのベンチにデバイスを置いて、何やら難しい顔をして調整をしていた。


「よう、遠宮。調子はどうだ?」


 彼女に対して、コウヤはなんの気負いもなく、気安く声をかけた。


 コウヤの声に顔を上げた彼女は、微かに笑みを浮かべて皮肉げに返した。


「こんにちは。

「なんだその呼び方」


 予想外の返しをされて、コウヤは嫌そうな表情を浮かべる。

 その反応が面白かったのか、キヨネは三つ編みを揺らしながらクスクスと笑ってみせた。


「だって、お昼は大騒ぎだったらしいじゃない。学院中で話題になってるよ。比良坂さんの彼氏が、実は彼氏じゃなかったって」

「そもそも、俺とキサキが付き合ってるなんて話が初耳だ」

「知らなかったのは当人たちだけじゃない?」


 仏頂面を浮かべるコウヤに、キヨネは愉快そうに語る。


「だって比良坂さんったら、あなたが来る前から『コウちゃん』の話ばかりだったんだもの。みんな、コウちゃんって何者だっていっつも言ってたよ。それに、鏑木くんが来てからはいつもイチャイチャしてたでしょ? そんなの、勘違いしない方が難しいと思わない?」

「そんなにイチャイチャしてるように見えてたのか……」


 キサキの二年前を知っているコウヤからすれば、この数ヶ月のスキンシップなど可愛いものだったのだが、それでも周りからすれば過剰に見えたらしい。


 嫌そうな顔をするコウヤを見て、キヨネはニヤニヤと愉快そうに顔を笑わせている。

 この気の強い副委員長様も、こんないたずらっ子のような顔をするのだと言うのは発見だったが、その対象が自分なのだからあまりいい気分ではない。


「ま、誤解が解けてよかったよ」


 調子を狂わされたコウヤは、強がりを言いながら一時置きロッカーの扉を開ける。そこには、今日の試合で使う予定のデバイスを預けてあった。

 すでに持っているデバイスから、魔法式のメモリを抜いてロッカーにしまう。その傍ら、何気なく会話を続ける。


「それで、調子はどうなんだ、遠宮。その様子だと、もう一戦くらいはしてきたんだろ」

「……一度スルーしたんだから、ちょっとは察してくれても良くない?」


 どうやらあまり触れられたくない話だったのか、キヨネはあからさまに表情を変える。

 その様子だと、どうやら負けたらしい。


 キヨネはむっつりと顔をしかめながら、意趣返しとばかりに言い返す。


「そういう鏑木くんも、苦戦しているみたいね。ここのところ負け続きみたいじゃない」

「まあな。やっぱ日本最大の魔法学府だけあって、選手層が厚い」

「……嫌に素直ね」


 嫌味に対して素の反応を返されて、キヨネは鼻白んだように言いよどむ。

 そんな彼女に向けて、コウヤは皮肉げに笑ってみせる。


「もう何度も言われてきたからな。さっきだって負けてきたんだから、今更だよ。煽るつもりなら、もうちょっと凝らないとだめだぜ、委員長」

「だから私は副だっての……って、私の方が挑発されてちゃ、ざまあないわね」


 文句を言い返しながらも、キヨネはどこか諦めたように嘆息した。


 つい先程、コウヤはウィッチクラフトレースの試合に参加していた。

 結果は四位。

 レースは通算六戦目の予選だったが、今日上位三位以内に入れなかった以上、本戦出場はほぼ不可能と思われた。


 そんな芳しくない成果だが、彼自身の目的は果たせていたため、比較的冷静にいられた。

 その結果を知っているのかは知らないが、キヨネは不思議そうに尋ねる。


「結果を出せていない割には、気にしてないのね」

「いや、めちゃくちゃ気にしてるっての。そのままにしてたら落ち込んじまいそうだから、必死で次の試合のこと考えてんだよ。遠宮だってそうだろ?」

「なんでそこで私に振るの」

「だって、今日負けたんなら、なんだろ?」


 したり顔で言ったコウヤの言葉に、図星を突かれたキヨネは渋面を浮かべる。


 事実、遠宮キヨネもまた、マギクスアーツにおいて連敗中なのだった。

 コウヤほどの試合数ではないが、四日目の時点で五連敗していれば、残りの予選試合を考えるまでもなく、本戦出場は絶望的だ。


 黙り込んでしまったキヨネの代わりに、男性の声が響いた。



「あんまりうちのお嬢ちゃんをいじめないでくれや、少年」



 くたびれた騎士風の男が、ゆらりと実体化する。

 まるでキヨネとの間を塞ぐように割って入ったその男は、とらえどころのない態度でコウヤに語りかける。


「こう見えて、この子ってば繊細な子だからさ。負けた後は勝ち気が薄れてしまうんだよ。ついさっきも、三年の忌部いんべってやつに負けて自信喪失してんのさ」


 遠宮キヨネのバディ、ヨハン・シュヴェールト。

 彼は、ヘラヘラと笑いながら無精髭をさすって、楽しそうに言った。


「いやあ、強かったなあの娘。技術もそうだが、精神性が学生のそれじゃない。今のお嬢ちゃんにゃ荷が重いな、ありゃあ。そんなわけで、今はこの子、傷心中だからさ。多少当たりがきつくても大目に見てやってくれや」

「……ヨハン」


 突然出て来て好き勝手に語り始めた己のバディに対して、キヨネは額に青筋を浮かべながら、底冷えするような声を掛ける。


「よ、け、い、な、こ、と、を、言うんじゃないの!」


 額に青筋を立てながら、キヨネはデバイスに手を伸ばして振り上げる。

 その様子を見たヨハンは、肩をすくめて苦笑を漏らした。


「おっと、当たりがきついのはこっちも同じか。やれやれ。これ以上怒られる前に、オジサンは退場しますかね」

「あんた一体、何をしに出てきたんすか……」


 前回と同じような掛け合いを見せられて、思わずコウヤはそんな感想を口にしていた。

 そんなコウヤの言葉に対して、ヨハンはニヒルに笑って見せながら言った。


「なぁに、次の試合を前に、うちの嬢ちゃんに発破をかけようと思っただけさ」


 クックック、とくぐもった笑いをあげながら。

 ヨハンは、まるで何もかもを見透かしたように、じっとこちらを見る。


「どうやら、『』に挑発を受けているようだったからねぇ。傷心中の主人を守るのは騎士の役目ってもんさ」


 くたびれた笑みはそのまま――しかしその瞳は、鋭い威圧感を放つ。



 瞬間。

 首筋に、剣の切っ先を突きつけられている幻想が見えた。



「……ッ」


 一瞬でコウヤの全身に緊張がはしった。


 ヨハンは油断なくコウヤを見据えている。その物腰は相変わらず柔らかいが、いつ腰に下げたサーベルを振り抜くかわからない凄みを感じる。

 表情こそ笑ったままだが、先程までの掴みどころのない態度が嘘のように、彼は明確な敵意をコウヤに向けていた。


「なあ、少年」


 彼は口端を上げて、牽制をかけるように言った。


「盤外戦術でプレッシャーをかけるのは、フェアじゃないってオジサンは思うけどねぇ」

「……バレちゃあ、仕方ないっすね」


 降参したように、コウヤは手を挙げる。


 次の試合。

 ソーサラーシューターズ。グループ戦。

 その中の一試合において、コウヤとキヨネは、同じグループに割り当てられていた。


 コウヤはバツが悪そうに苦笑いを浮かべながら、言い訳じみた言葉を口にする。


「盤外戦術ってほどのもんじゃないっすよ。ただ、遠宮の調子を確認したかっただけっす」

「くく、『調子を確認したかっただけ』、か。その割に、うちのお嬢ちゃん相手に随分と言葉を弄していたじゃないか。油断ならないねぇ、少年。ここで精神的優位に立てば、追い込めるとでも思ったかい?」


 飄々とした仕草の割に、ヨハンは的確にコウヤの目的を看破していた。

 彼の言葉の一つ一つが、警告という名の刃となってコウヤの身動きを封じていく。


 なるほど、これは厄介だと、コウヤは自然と身構える。


 単純に強いだけのファントムはいくらでもいる。

 しかし、老獪であるのはそれ以上に厄介だ。

 単純な力の差は策略で埋めることができるが、相手が同程度の策を弄する場合は話が変わる。


 中世騎士風の男、ヨハン・シュヴェールト。

 その実力はまだ目にしていないが――現時点で、警戒する必要があるファントムだった。


「……勝手に話を進めないでよね」


 コウヤがあからさまに警戒心を発揮していると、ヨハンの隣にいたキヨネが、深い溜め息をつきながら仕方なさそうに目を閉じていた。

 彼女は失敗を悔いるように顔をしかめた後、改めてコウヤを見た。


「試合前に歓談なんて期待してたわけじゃないけど、気を抜いていたのは確かね。気づくきっかけをくれたことには感謝するわ」

「それなら、自分のファントムに言ってやった方がいいんじゃないか?」

「ふん。やり込められる私を見てほくそ笑んでいたんだから、プラマイゼロよ」


 自身のファントムに対しては厳しく当たりながら、キヨネはロッカーを閉めた。


「これ以上やり込められないうちに、試合場に行っておくわ。それじゃあお先に。グループ戦だけど、試合は試合だから。手は抜かないからね」

「おう。期待してるぜ、

「……ふん」


 最後の冗談に対して、キヨネは鼻を鳴らして歩き出した。


 その後ろで。

 ヨハンはちらりとこちらを振り返ると、最後に一言、大事なことを付け加えた。


「バディとしての身内びいきではあるが――うちの嬢ちゃん、シューターズは強いぜ、少年」


 言うだけ言って、ヨハンはあっさりとその実体を消滅させた。



 キヨネの後ろ姿を見送ってから、コウヤは小さく息を吐いた。


「牽制をかけるつもりが、逆に釘刺されちまったな」


 遠宮キヨネの試合は、映像記録で何度か見たことがある。

 拳銃ハンドガン型と騎銃カービン型という近距離タイプの射撃デバイスを好んで使う、珍しいタイプのシューターだ。

 射撃の制度が高く、また位置取りもうまい。

 ただ、精神的な面でムラがあるようで、プレイヤー間の駆け引きは苦手なようだった。


 それを意識してちょっかいを掛けてみたが、結果は見ての通り。

 彼女の精神的弱さは、バディであるヨハンが肩代わりしているようだった。


 それがわかっただけでも朗報だが――コウヤの目的は、それだけではなかった。


「ま、試合前に見られないに越したことはないからな」


 そう言いながら。

 彼は開けっ放しのロッカーから、預けてあるバッグを取り出す。



 身の丈ほどもある、大型の黒いバッグ。

 その中には、実に七種類ものデバイスがしまってあった。




 アスラ製作所製        狙撃スナイパー型デバイス『輝く新星キラナ・アストラ

 ミッシェル・ブライズ社製   小銃ライフル型デバイス『瞳を刺す槍ブリューナク

 ZIGカンパニー製      小銃ライフル型デバイス『ARMS-200』

 ロス・ロイス社製       散弾ショットガン型デバイス『ウィンローズ』

 オータムインターナショナル製 騎銃カービン型デバイス『カウボーイ』

 天國あまくに重工製          銃剣バヨネット型デバイス『ツムカリ』

 草上エレクトロニクス社製   拳銃ハンドガン型デバイス『月読尊ツクヨミノミコト




 これまで、学院内で利用してこなかった隠し玉。


 海外での大会で得た賞品や、賞金で買った高性能デバイスが合計七つ。

 どれ一つとっても安価なものではなく、一線で活躍するプロが使用するものと遜色のない代物だ。


 それぞれに専用の魔法式が組み込まれており、競技スタイルによって組み合わせを変えて使用することができる。

 コウヤがこれまで、市販の散弾ショットガン型デバイスで戦闘スタイルを縛ってきたのは、今日このときのためだ。


(さて、どれを使うか)


 いい加減、負けるのにも飽きてきたところだ。


 今日はこれから、シューターズのグループ戦が五回組まれている。

 他の競技ならまだ言い訳が効くが、専門のつもりであるシューターズで負けるのは流石にプライドが許さない。


 仮にも、ジェーン杯で優勝したという自負がある以上、負ける訳にはいかない。


(奥の手を全部見せるつもりはないが――今日は本気で勝ちに行く)


 デバイスを仕舞ったバッグを背負い、コウヤは不敵に笑いながら競技場へと向かった。



※ ※ ※



 そして。

 鏑木コウヤが試合場に現れたのを見て、ほくそ笑む人影があった。


「ふん。ノコノコと現れやがって」


 いやらしい笑みを浮かべた長髪の少年――神夜カザリ。

 競技場の直ぐ側、試合待ちをする生徒や応援する生徒にまぎれて、彼は壁に背をかけて立っていた。


 彼の手元には、タブレット型のデバイスが握られている。

 試合の様子を記録するつもりなのか、画面上ではすでに魔法式が起動しているようだった。


 その画面を見ながら、カザリは見下すように小さくつぶやく。


「手間取らせやがって。とっとと引導を渡してやるから、負けて消えろ、転校生」


 そんな暴言を吐くカザリに対して。

 そばで霊体化していた影が、ポツリと、音にならない声を漏らした。


「……嫌な


 幸薄そうな黒衣の少女は、つまらなそうに目をそらした。



 ※ ※ ※



 そのすぐ隣の競技場。

 二十メートルほど離れた場所で、神夜カザリのことを見つめる少女が居た。


「ふぅん」


 凛々しい顔立ちをした、少年じみた少女だった。


 その外見の鋭さと相反するように、彼女の物腰は女性的で柔らかい。

 ニコニコと終始絶やさない笑みはどこか人懐っこい猫のようで、一見すると穏やかな淑女のように見える。


 國見キリエ。

 オリエント魔法学院一年七組。

 現在進路選択はしていない、一般的な一年生だ。


「あの人……どこかで見たような」


 彼女は目立たないように競技施設の端に移動すると、神夜カザリのことを観察し始めた。


 その瞳は、美しい深緑に輝く。

 翡翠の如きその輝きは、瞳に映る景色を情報として分解し、過つて在った事実を浮かび上がらせる。過ぎ去ってしまった時を再編する瞳は、彼女に過去の事象を認識させる。


「なるほど」


 自身の現在と過去が入り乱れるような錯覚を振り払いながら、彼女は口元を綻ばせる。


 それは、普段の愛想の良さとはかけ離れた、邪悪な笑みだった。


「その過去は、つまらないですよ。先輩」


 ポツリと呟いて、國見キリエはさっと身を翻して歩き出した。



 午後二時。

 間もなく、試合が始まる。



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