第14話 魔炎螺旋




 残り時間一分。

 視界の端でそれを認識しながら、龍宮クロアは全速力でフィールドを駆ける。


 魔力を全身に浸透させ、肉体の反応速度と膂力を限界まで引き上げる物理属性の魔法『身体過負荷スペック・オーバードライブ』。

 一分間という限られた時間であるが、ファントム相手でも防衛戦ができるこの魔法は、クロアにとっての切り札だった。


 切り札を切ってみせるくらいに、鏑木コウヤとの試合は、クロアにとってもギリギリだった。


(負けはしないだろう――が、このままでは、引き分けには持ち込まれる)


 試合の序盤から、コウヤは持久戦を狙った立ち回りをしていた。

 その逃げ腰な姿勢にはじめは失望を覚えたものだが、試合が長引くとともに、それは勘違いであると考えを改めた。


 今の鏑木コウヤにとって、これは最善手なのだ。


(あいつは今日、すでに四試合こなしている。それも、アーツにシューターズ、そしてレースと三種目もだ。霊子体に割ける魔力も、そう多くはないだろう)


 霊子体の作成に使う魔力量は任意に決められるが、大抵は余力を残すために、魔力残量の三分の一から二分の一の範囲で作ることが多い。

 もちろん、魔力を込めれば込めるほど霊子体は強くなるが、試合の後に倒れても良いような場合でない限り、全魔力を込めた霊子体など作れるはずがない。


 壊れずに残った霊子体の魔力は回収できるが、よほど圧勝じゃない限りは、完全な状態で回収などできない。基本的に、霊子体に使った魔力は使い切りと考えてしまっていい。


 つまり、一日の試合数が多ければ多いほど、一試合に割ける魔力量は減ることになる。


(俺だって、全力を出せる試合数は一日に三戦が限界だ。それ以上になると、魔力量が怪しくなるから、搦手を使わないと厳しいだろう)


 だからこその、持久戦。

 この龍宮クロアを前にして、二十分弱という時間を、鏑木コウヤは耐えきろうとしている。


(ま、本当に節約するつもりなら、強敵相手には、最低限の魔力で霊子体を作ってすぐに降参してしまうという手もあるが――それをするような奴じゃないよな)


 ここであっさりと降参するようなやつが、海外のアマの大会で優勝なんてできるものか。


 二年前は、鏑木コウヤの印象はどこにでもいる少年といった風で、意識することもなかった。けれども、思い出せば負けん気の強さだけは、あの頃から強かったように思う。

 例えどんなに実力差があっても諦めず、敵わないとわかっていても、今の自分にできる最善手を選ぼうとする。


 勝てないのならば負けない戦いを。

 負けが決まったならば次に勝つための戦いを。


 鏑木コウヤという少年の強みは、そうした諦めの悪さにあるのだろう。


 だからこそ――鏑木コウヤの相手をする時は、僅かな可能性すらも潰す覚悟で挑まなければならないのだ。


(手の内を見せるのはここまでだ。あと一分弱、ここで、確実に決める――ッ!)


 この試合、クロアが見せたのは上空から火球を落とす魔法『火流星弾ミーティア・ストライク』と、日本武術の技のみである。


 まだインハイ予選の序盤なので、見せる情報は最低限に絞り、その上で圧倒する。

 そうすることで、次を考えられないくらいに、格付けを行うことがクロアの目的だった。


「さあ、終いだ、鏑木!」


 踏み込む足が地面を砕く。限界まで引き上げられた膂力の負荷に、全身の筋肉が悲鳴を上げる。血管が弾けて血を流し、魔力の粒子となって散っていく。


 それを代償として、クロアの身体は一足で音速に近い速度を発揮していた。


 瞬きほどの時間もあれば、彼の拳は相手の身体を叩き砕くことができる。青い外套を解除して、防御手段を失ったコウヤでは、太刀打ちすることはできないだろう。


 ――音速に達したが、故に。

 クロアには、コウヤのつぶやきがわずかに早く聞こえた。



「『燃え上がれフレイム・アップ』――『風に乗れオン・ジ・ウィンド』」



 次の瞬間。

 横から来た衝撃に、クロアの身体は強引に叩き上げられた。


「ぁ、が!?」


 殴り倒されるように吹き飛ばされ、クロアは何が起きたかわからずに目を白黒させる。


 しかし、理解するための時間など与えられない。


 続けて、真下から突き上げるような衝撃が巻き起こり、彼の身体は全てを焼き尽くす熱量とともに上空に巻き上げられた。


 巻き上がる風は、炎をまとって天高く舞い上がる。

 旋風となった炎は、燃料となる酸素を吸収するために、周囲の空気を取り込みながら突き進み、更に規模を拡大していく。


 その現象の名は、火災旋風かさいせんぷう


 広範囲に渡る火災現場などにおいて、複数の火元が空気を奪い合うことで起きる上昇気流が原因となる、のことである。


(まさか――鏑木が、これを!?)


 ミキサーにでも放り込まれた衝撃に、クロアは必死で防御を固める。


 一千度を超える熱量にさらされ、さらには竜巻に身体が振り回される。


 肉を引き裂き、骨を燃やし尽くすその災害を前にすれば、生身の人間であれば巻き込まれた時点で即死しているだろう。強化を施したクロアの霊子体も、さすがに崩壊を始めている。


 あと数秒、このままでいたら、間違いなく霊子体は壊れるだろう。


(ぐ――足りるか!?)


 残りの魔力を総動員しながら、クロアは魔法式を組む。

 その時だった。




「『強化魔力弾バスターショット』――『発射ファイア』!」




 火災旋風に振り回されるクロアに向けて、ダメ押しの一撃が発射された。

 その強化魔力弾は、音速を超える速度で竜巻を突き抜け、クロアの肉体を砕くためにまっすぐ飛来する。


 それを前に、クロアは。

 奥の手を、もう一枚切った。



「『魔力過負荷マギア・オーバーロード』!」



 魔法を発動させた瞬間、その身体は強化魔力弾の直撃を受けた。




 ※ ※ ※




「は、ぁ。はぁ、はぁ――」


 鏑木コウヤは、強化魔力弾を放った後、火災旋風から逃れるようにフィールドを駆けていた。


 三十メートル四方の狭いフィールドで、火災旋風が大気を求めて暴れまわっている。燃焼のために大量の酸素を消費するため、霊子庭園内はどんどん空気が薄くなっていく。


 だが、それももう終わりだろう。


 あの竜巻の中に囚われればまず助からないし、何より、ダメ押しの一撃で竜巻の中に押し戻した。仮に霊子体を保てたとしても、大ダメージを受けた霊子体では残り魔力もたかが知れている。

 残り時間、二十秒の間に脱出するのは不可能に近い。


(シューターズ用のデバイスでも、やりようはあるもんだな)


 魔法式の名は、『魔炎螺旋ファイアネード』。


 もともとこの火災旋風を使った攻撃は、シューターズの森林ステージや草原ステージで使うことをイメージしたものだった。


 一工程の火のマテリアルで複数の火災を起こして、それを誘導することで自然災害を起こす、コウヤの奥の手。うまく直撃させることができれば、大型エネミーを倒せる破壊力がある。


 火災旋風を起こすことに成功すれば、それはほぼ自然現象である。

 魔力での制御を放棄すれば、シューターズであってもマイナスポイントは発生しない。その代り、自分自身もダメージを負う可能性がある諸刃の剣であり、使い所は見極める必要がある魔法である。


 今回の場合、マギクスアーツであることと、火種である複数の火災がすでに発生していたことが味方をしていた。


 龍宮クロアの猛攻を避けながら、フィールド中で起きている火炎の一つ一つに魔力を送り、最後の一分間でクロアを中心として火災旋風を発生させる。

 いかに身体強化を施していたとしても、竜巻に巻き込まれれば簡単には抜け出せない。


(それでも、龍宮さんなら、時間に余裕があったら対応されたかもしれない)


 何をやるかわからないのが、あの男だ。

 だからこそ、コウヤは時間ギリギリまでこの奥の手を隠してきた。

 そして、時間制限を前にしてトドメを狙っていたクロアの不意を打つ形で、火災旋風を直撃させたのだ。


(なんとか、勝てた……か)


 安全な場所まで逃げながら、コウヤは火災旋風の方を振り返る。


 炎の竜巻は未だその猛威を止める気配がない。

 それは、進行方向にあるあらゆる存在を喰らい散らす、悪魔の化身のようだった。


 視界の端に映る制限時間の表示は、あと五秒。


 まず間違いなく相手の霊子体は崩壊しているから、これはロスタイムだろう。

 そう思って、わずかに気を抜いた瞬間だった。



 



「――え」


 ソレは、上空から彗星の如く降ってきた。

 白刃のきらめきは視界に線を引き、目の前まで落ちてきた。その右手に構えられた日本刀は、コウヤの身体を袈裟斬りに切り裂いている。


 血液の代わりに魔力が噴出し、瞬く間に霊子体が崩壊を始める。

 これは間違いなく致命傷だ。


「な、―――ん」


 コウヤは霞む視界を凝らして、目の前に落ちてきた男を見やる。


 その刀の持ち主はすでに左腕を失っており、全身も炭化したように黒焦げだった。傷口から魔力がこぼれ落ちていて、そう長くないことがわかる。

 そんな状態でありながら、すすだらけの顔をニヤリと歪め、勝ち誇ったように男は言う。


「最後に気を抜いたな、鏑木」


 彼――龍宮クロアは、日本刀を軽く振るって見せる。剣術の心得もあるのか、その仕草は妙に堂に入っていた。


 魔法で作られた日本刀は、その一振りであっさりとその場から消えていく。しかし、クロアの霊子体はまだ形を保ったままだった。


 それを見ながら、コウヤの霊子体は消滅した。



 勝者―――龍宮クロア




 ※ ※ ※




 ブラックアウトの時間は一瞬だった。

 霊子庭園が解除され、現実に戻った瞬間、コウヤは自分がへたり込んでいることに気づいた。

 霊子体を破壊されたとき特有の倦怠感が全身を襲う。微かにしびれた生身の感覚を確かめながら、コウヤは呆然と宙を眺めた。


 そこに、近寄ってくる影があった。


「いい勝負だった。ヒヤリとさせられたぞ」


 目の前に龍宮クロアが立っていた。


 死力を尽くした試合の直後とは思えない、爽やかな表情で彼は立っていた。右手をこちらに向けて差し出しながら、彼は促すように首を動かす。


 コウヤは自然とその手を取る。

 立ち上がりながら、ようやく我に返った。


 まだどこか夢心地の気分のまま、なんとか気を取り直すように、虚勢を張って口を開く。


「まさか、あれに対応されるとは思いませんでした。どうやって抜け出したんです?」

「ふっ、企業秘密だ。知りたかったら、もう一度試してみろ」


 最も、次はもっと簡単に攻略するがな、と。

 不敵な目つきでコウヤを見下ろしながら言った。


「これで勝ったとは思わない。次は、互いに全力の状態でやろう」


 クロアは堂々とした態度で言うと、軽く手を振って背を向けた。

 去り際まで、まっすぐな男だった。


「…………」


 あとに残されたコウヤは、ゆっくりと試合場から降りる。すでに次の試合の準備が始まっており、急かされるようにしてデバイスなどを回収した。


 そして、壁際に設置されたベンチに近づくと、崩れ落ちるように座り込んだ。


「は――ぁ」


 魔力不足の倦怠感が全身を苛む。


 先程の試合では霊子体を完全破壊されたため、余剰魔力の回収もできなかった。

 すでに今日だけで五連戦。

 その上で、最後にこんな大立ち回りをしたのだから、如何に鍛えていると言っても、魔力不足の症状が出始めるのは仕方ない。


 この後、もう一戦マギクスアーツの試合がある。

 予定時間まで最短で二十分なので、あまり休んでもいられない。すぐにでも気持ちを切り替えなければいけない。


 なのに。


「く……そ」


 顔を伏せて、誰にも聞こえないくらい小さな声で毒づく。


 完敗だった。

 勝ち筋があって、勝てるだけの布石は打った。それなのに――紙一重で上回られた。


 マギクスアーツ用のデバイスではなかったし、四連戦の後で余力も少なかった。さらに、急に決まった対戦相手に作為も感じたし、動揺もあった。


 万全ではなかったと言われれば、確かにその通りだ。

 それでも――


 その紙一重を超えられなかったのは、ひとえに自分の実力不足だ。

 追い詰めたと思ったのが、詰めが足りなかった。

 その読み違いは、鏑木コウヤというプレイヤーの純粋な実力だ。それを変えない限り、龍宮クロアには何度挑んでも、その全てで敗北するだろう。


「――切り替えろ」


 インハイ予選において、マギクスアーツは純粋に勝率で代表が決定する。


 ランダムに組まれた二十戦。中には全勝してくる生徒も出てくるだろう。

 黒星を一つ上げた時点で本戦出場からは遠ざかっているが、これ以上黒星を増やす訳にはいかない。


 ここが正念場だと、気合を入れ直して立ち上がる。


 まずは控室に行って、ロッカー内に保管しているメモリを回収しなければ。流石に、次も同じメモリ構成で行けるとは思っていない。デバイスは変えられないが、せめて魔法式の内容くらいは変えないと、勝てる勝負も勝てなくなる。


 あと一戦。

 そう自分を叱咤して、鉛のように重い体を引きずりながら歩く。


 唐突に、声をかけられた。



「なぁんだよ。偉ぶっておいて、あっさり負けてんじゃねぇか。期待はずれだな、お前」



 人を小馬鹿にする様な甲高い声だった。

 明らかにコウヤに向けた嫌味だった。


 けだるげに声の方を見ると、進行方向に男子生徒がひとり立っていた。

 茶色に染めた髪をロン毛にした、軽薄そうな男だ。制服のラインの色を見るに、三年生らしい。


 その男は、ニヤニヤと厭味ったらしく笑いながら近づいてくる。


「転校生だ何だって持て囃されてるんだから、龍宮くらい倒せってんだよ。おかげであいつ、また全勝しちまいそうじゃねぇか」

「……なんか、用っすか?」

「あぁ? 僕は別に、お前なんかに用はねぇよ。龍宮に負けた、お前なんかには、な」


 言いながら、彼はコウヤの側に寄ると、ポケットから携帯端末型のデバイスを取り出す。

 生徒手帳代わりのそれをちらりと見せながら、小馬鹿にしたように鼻で笑う。


「ま、でも礼くらいは言っておくよ。龍宮に勝てねーようじゃ、楽勝だし。先に言っておくぜ。次の試合、勝たせてくれてありがとよ」



 三年二組 実践魔法士・神夜じんやカザリ。

 今日、最後にマギクスアーツで戦う相手。


 彼は、ひらひらと手を振りながら、最後まで厭味ったらしく言う。


「そんじゃ先に待ってるよ。せいぜい負けに来な、てんこーせー」

「………」


 憎らしい態度でケラケラと笑いながら、カザリはポケットに手を突っ込みながら競技場へと歩いていった。


 その背を見送って、小さく息を吐く。

 諦め混じりに目を細めながら、コウヤは急いで控室へと向かった。



 ※ ※ ※




 三年二組・実践魔法士 神夜カザリ

 VS

 二年二組・未選択 鏑木コウヤ



 ―――




 二十分後。

 コウヤは本日、二度目の黒星を得ることになった。




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