6-8 そして憧れは目標に
トーコが声に振り返ると、走り寄ってくる女の子の姿があった。
中学生くらいの少女だ。背中くらいまであるきれいな黒髪に、可愛らしく整った顔立ち。
キラキラと輝いている目には、希望や夢がいっぱいに詰まっているように見える。
後ろには連れらしい三人の人影があるが、それを置いて、少女は懸命に走ってきた。
息を切らしながら駆け寄ってくると、彼女はすがるような目で見上げてきた。
「あ、あの……。トーコちゃ……朝霧トーコ選手、ですか?」
「うん。そうだよ」
ファンの子だと分かって、トーコはすぐにニッコリと笑ってみせる。ファンの数は明確な力だ。それは時に、試合外での勢力争いにも影響を及ぼす。プロとして活動しているとそれが身にしみているので、トーコは丁寧に対応する。
それに対して、興奮したように顔を上気させている少女は、あわあわと口を開いては閉じてを繰り返している。色々言いたいことがあるのに、うまく言葉に出来ないと言った感じだ。
その初々しさに、トーコは思わず笑みをこぼす。
すると横から、アキラが口を挟んできた。
「あー、朝霧。その子な、ワイの連れやねん。そんで、あんたのファンや」
「比良坂キサキって言います!」
アキラの言葉に後押しされたのか、ようやく少女は、自身の名前を口にした。
彼女はにじり寄りながら、食い気味に言う。
「あたし、その……トーコちゃんのファンで! はじめて、トーコちゃんの試合を見たときから、ずっと憧れてて。えっと、インハイの決勝を見たんですけど、もうすごく興奮して、勇気づけられたんです! それで自分でもシューターズもはじめて、すごく好きになって。だから、いつか追いつきたいと……。それで、その……」
緊張で支離滅裂になりながらも、一生懸命に思いを伝えてくる姿をとても可愛らしく思った。
ほほえましい気持ちでそれを聞きながら、トーコは少しかがんで、キサキに目線を合わせる。
「応援してくれて、ありがとう」
「は、はい!」
「シューターズやってるんだ? なら、いつか試合できるかもね?」
トーコの言葉に、キサキは目を丸くする。
はじめはオロオロとしていたが、その後すぐに、彼女は期待に満ちた満面の笑みを浮かべて、大きく頭をうなずかせた。
「はい!」
あこがれの選手と試合がしたいと、嬉しそうに語るその表情。
勝負の世界に身をおくと、試合そのものを楽しめることは少なくなる。ここでこの少女が嬉しそうに出来るのは、まだ現実を知らないからにすぎない。
けれども、朝霧トーコは静かに内心で思う。
(きっとこの子は、強くなるな)
試合を勝ち負けではなく、楽しもうとする子は強くなる。
トーコ自身がそうだった。魔力出力という障害を抱えながらも、それでも勝ちたいと思ったのは、この競技が好きだったからだ。
批判されたし、妬まれたし、邪魔された――最終的には、知らない人に刺されたくらいだ。そうやって、いろんなものを奪われ、表立って活動するのが難しいくらいになって、逃げ出さなければいけなくなった。
それでも戻ってきたのは、好きだからだ。
それでも戦いたいと。勝ちたいと思うのは、シューターズという競技を続けたいからである。
だから。
朝霧トーコは、未来のライバルに向けて、最大限のエールを送る。
「あなたと試合できるまで、わたしも頑張るよ。だから、待ってるね?」
「……は、はい!」
比良坂キサキは、感激したように涙を浮かべながら、力強く頷いた。
※ ※ ※
比良坂キサキは、常に自分が責められているように感じていた。
『全部お前のせいだ』
キサキは七歳の頃に、比良坂家の分家である
その事件の最後に、伊賦夜坂の代表を担っていた男が、屋敷の奥に囚われていたキサキのもとにやってきて言ったのだ。
『お前が居なかったら、こんなことにはならなかったのに!』
その憎悪に染まった形相と、全身血まみれの大人を前に、キサキは恐怖に震えることしかできなかった。男は明らかに正気を失っており、そのままキサキの首を絞めて殺そうとしてきた。
その時だった。
キサキの瞳が、伊賦夜坂の男を直視して――あっさりと、殺してしまった。
「――え?」
かろうじて人の形は残していたが、その両手両足は腐敗したようにドロドロに溶けていた。キサキの瞳を真正面から見た男の目は、炭化したように黒く染まり、ひび割れている。
まるで膨大な時間が一気に経過したかのように、男の体は崩れ落ちていた。
「あ、ぁあ、ああああ……」
キサキの魔眼、『弱体視の魔眼』は、物質の情報密度を操作する能力である。
決して、直接人を殺せるものではない。
なのに――
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
正当防衛だった。
死にたくないと思って、必死で抵抗したのだ。だから気に病むことはないと、大人たちは言った。けれど――人を一人殺したという事実は、目を背けることの出来ない事実だった。それは、幼い少女が抱えるには、あまりにも大きすぎる重みだった。
その後、すぐにキサキは保護され、久良岐家に引き取られることになった。
久良岐の家は、とても優しくキサキを育ててくれた。
だが、キサキは常に、自分が責められているという感覚を捨てることができなかった。今の彼女を知っていると信じられないが、キサキはとても物静かで、いつもふさぎ込んでいた。
些細なことにも、迷惑をかけているのではないかと怯え、相手から言葉をかけられる度に必要以上に謝罪の言葉を口にした。ごめんなさい、ごめんなさい、と。それは、目の前の空いてにではなく、すでに居ない人間に対して、許しを請うているようだった。
このままではまずいと、祖父である久良岐比呂人は事あるごとに、彼女を外に連れ出した。
ある日のことだ。
祖父は魔道連盟の仕事の一環で、魔法学府のインターハイの来賓として招かれていた。その時に、キサキも一緒に連れて行ったのだ。
その日の競技は、ソーサラーシューターズだった。
「…………」
正直に言うと、小学生の子供にはルールも複雑で、駆け引きも拙いものだったので、観戦するのならマギクスアーツの方がまだ面白かった。
はじめは、何が面白いのだろうと思ったものだ。
ただ、祖父の付き添いだったため離れることも出来ず、他にすることもなかったので、彼女は黙って試合を見続けた。
だが、とある選手の登場で、キサキは試合から目が離せなくなった。
その選手は、他の選手と違い、積極的に対戦相手への攻撃を仕掛けていた。
フィールド中を翼でも生えているかのように駆け巡り、華麗に的を撃ち落としていった。
その姿には、他にはない華があり、人を引きつける魅力があった。
それは、朝霧トーコという選手が、はじめて世間に認知された日でもあった。
大柄な選手や、もっと魔法の上手い選手はたくさんいた。けれども、そういった他の選手を差し置いて、朝霧トーコは圧倒的にポイントを稼いでいた。
外見だけで言えば、優しげで争いが出来るような雰囲気じゃないのに、彼女は実に楽しそうに、魔力弾を放っていった。
「すごい」
思わず声に出していた。
すごい、すごい、と。
その時だ。
比良坂キサキの胸に、熱い感情が灯ったのは。
感情を押し殺していた表情は歓喜に染まり、心臓はうるさいくらいに脈打った。ふさぎ込んでいた心が暴れだし、居てもたっても居られなくなった。
その日、キサキははじめて、自分を責める言葉を忘れた。
※ ※ ※
「夢みたいだよ」
ゲームのコントローラーを操作しながら、キサキはそう言った。
巨大なディスプレイには、モデリングされたゲームキャラクターが戦っている様子が映し出されている。
『バーチャウィザード4』
現実のプレイヤーをモデルにしたキャラを使えるアクションゲーム。先日のツインスプリングカップで、先行販売された新作ゲームだ。
現在、キサキは朝霧トーコをプレイキャラに選んでいる。競技はもちろんソーサラーシューターズ。彼女の得意技などを使いながら、彼女は夢心地で言う。
「あたし、本当にトーコちゃんと会ったんだよね……。ずっとテレビの向こうでしか知らなかったのに、まだ信じられないよ」
「うわ、こらキサキ! ちょっと待てって。うわ、それは卑怯だろ!」
そんなキサキに対して、一緒にゲームをプレイしているコウヤは、焦ったようにコントローラーを操作しながら口走る。彼はどうやら、ゲーム中に身体も動くタイプらしく、せわしなく体を揺らして必死に抵抗している。
新学期が始まり、一週間。
今日は、キサキが居候している久良岐の屋敷にコウヤを呼んで、ゲーム大会となっていた。
元々このゲームはVR式なのだが、コウヤがVR酔いすると言ったので、画面に映し出して遊んでいる。コウヤは普段ゲームをやらないと言っていたので、せっかくなら一緒にやろうという話になったのだ。
普段は魔法クラブでばかり会っている関係なので、こうして家に呼ぶのは少しだけ緊張したが、遊び始めてしまえば普段と変わらなかった。一応、一緒にチハルも来ているので、本当にいつもと変わらない感じである。
「ぐ……勝てねぇ」
コンピューターゲームですら勝てないという事実に、コウヤは悔しそうに顔をしかめている。
そんな彼に、横で見ていたチハルが、慰めるように声をかける。
「仕方ないよ、コウヤくん。だってサッちゃん、テレビゲームもほぼ毎日やってるし」
「……遊んでばっかかよ」
「ちゃ、ちゃんと宿題はやってるもん」
ジト目を向けられて、キサキはそっと視線をそらす。
ちなみに学校成績は極端で、文系はそこそこ、理系は数学以外が壊滅的という、感性で魔法を扱う魔法士らしい成績になっている。
数学だけは、魔力弾の魔法式を組む上で必要だから勉強しているが、その他は完全放置である。
「じゃあ、次、僕に貸してよ。コウヤくんの敵討ちしてあげる」
「なんか随分自信満々だな」
「そりゃあね。現実のゲームならともかく、テレビゲームなら、サッちゃんと互角だから」
にやりと、キツネ顔を楽しそうに染めて、チハルがコントローラーを握った。
実際、チハルはいつもキサキの遊び相手をしているだけあって、テレビゲームの実力は同じくらいだ。
普段はVR式で、本気で対戦している。魔力を使わず、純粋に操作技術だけを問われるテレビゲームでは、キサキとチハルの間に力の差はない。
「そういえば、さ」
そうやって淡々とプレイをしながら、チハルが片手間に雑談を振ってきた。
「ハクアちゃんの話、聞いた?」
「………」
その話題に、キサキは集中したふりをして、返答をしなかった。
代わりに、横で見ているコウヤが、小さく息を吐きながら答えた。
「こないだ、直接電話があった。二人にもあったのか?」
「うん。びっくりしたよね。いきなり海外に行く、なんて」
龍宮ハクア。
去年の秋から交流が出来た、年下の女の子。
彼女との電話を、キサキは思い出す。
龍宮ハクアがいなくなったという話を聞いたのは、三月末のことだった。
今年ちょうど中学生になる龍宮ハクアは、中学に進学する直前で、バディである風見ジュンを連れて失踪したのだ。久良岐魔法クラブにも捜索の連絡があり、それから二週間近く、まったく行方がわからなかった。
その所在がはっきりしたのは、新学期に入ってすぐのことだった。
『やっほー。キサキ。元気にしてる? 実は私、今ニューヨークにいるの』
早朝にいきなり電話をかけてきたハクアは、何一つ理解できないことを言っていた。
「は、ハクアちゃん!? ニューヨークってどういうこと!?」
『ちょっと武者修行しようと思って、家出したの』
慌てて問い詰めるキサキに、ハクアはあっけらかんとした様子で答えた。
『あ、でも、ちゃんとジュンは連れてきているのよ。実家には事後承諾だったんだけど、今はちゃんと許可貰ったし。だから、しばらく日本には帰れないから、その報告』
「武者修行って……どうやって暮らすの? っていうか中学は?」
『こっちに親戚筋がいるから、そこを拠点にするつもり。中学は義務教育だから卒業しなさいって言われたんだけど、面倒だから飛び級で卒業しちゃおうと思って、こっちのハイスクールに編入した。それが終わったら、とりあえずアメリカ大陸を回ってみようと思う』
「……その。スケールが大きすぎて、何言ってるかわかんないや」
『あはは。実は私も』
そう、いつものハクアからすると、びっくりするほど柔らかい口調で、彼女は言った。
『視野を広げたいと思ったの』
何処か誇らしげに、彼女は続ける。
『こっちに来てまだ半月だけど、ほんと驚きの連続。だって、言葉一つとっても、うまく通じないんだもの。何一つ思い通りにならないし、少しでも気を抜いたら、何もできなくなりそうだわ。だけど――私、頑張りたい』
おそらく、少し前の彼女だったら、そんなことをわざわざ口にはしなかっただろう。
それをあえてキサキに伝えてきたのは、不安を紛らわせたいという気持ちもあっただろうが――なによりも、期待に胸が踊っていたからだろう。
『まだ先の話だけど、キサキより先にプロ資格も取れると思う。だから――』
待ってるわ、と。
龍宮ハクアは、挑戦するように言ったのだった。
ぼんやりと、ハクアのことを考えると、画面ではキサキのプレイキャラが負けていた。
ふぅ、と小さく息を吐きながら、キサキはぼやく。
「ハクアちゃん、すごいよね」
「……そうだな」
賛同してくれたのは、コウヤだけだった。
チハルは、話題を振っておきながら、その言葉に無言を返した。彼にもハクアから電話があったらしいが、どういう話をしたかは聞いていない。彼はいつものように一線を引いて、第三者としての立場を貫くのだろう。
キサキには、そんなことは出来ない。
だって、ハクアは友達だったし、ライバルだった。そんな相手が、いきなり遠くに行ったのだ。どうしても、置いて行かれたという気持ちになる。
それはおそらく、コウヤも同じだろう。
「ねえ、コウちゃん」
「なんだ?」
「あたし、中学卒業したら、オリエントに行こうと思ってるの」
関西地方で、魔法学府に通おうと思ったら、オリエント魔法研究学院か、中国地方にあるアニマ園の二つが候補に上がる。
その中でも、オリエントは古くから魔法を扱う魔法の大家が多く進学する学校だ。
その宣言に対して、コウヤもまた、小さく頷いた。
「俺も、まだ良くわかってないけど、オリエントは勧められている。特に、競技をやる上ではかなりいい環境だっても聞いてるからな」
「じゃあ、一緒に行ける?」
期待をこめながら、キサキは尋ねる。
それに、コウヤは頬をかきながら、気恥ずかしそうにそっぽを向いて言う。
「受かるかはわかんねぇけど。努力はするよ。俺も、負けたくないからな」
それは、キサキに対してか、それともハクアに対してか。
どちらでも良いと、キサキは思った。
「そっか」
喜びを胸の奥に押さえながら、キサキは嬉しそうに頷いた。
※ ※ ※
比良坂キサキは、自分に自信がない。
普段何も考えてないように見せるのは、実際に何も考えていないからであり、そうしないと思い詰めてしまって苦しいからだった。
キサキにとって、ソーサラーシューターズにのめり込んでいる瞬間だけは、そうした自分から解放される、唯一の時間だった。
あの日。
ツインスプリングカップの会場で、朝霧トーコ選手と会った時に、言われた。
『あなたと試合できるまで、わたしも頑張るよ。だから、待ってるね?』
はじめは、あこがれの選手にそんなことを言われるなんて、信じられなかった。まるで夢のようで、そして、夢が叶ったと思った。その瞬間、全てが報われたとすら思った。
でも、朝霧トーコは、『待っている』と言ったのだ。
それは、これから先も、続いていくということだった。
だからキサキは、小さく拳を握って、心の中に灯った情熱に火を入れる。
「待っててください、トーコちゃん」
いつか必ず、魔弾の姫に挑戦する。
それは、憧れが目標に変わった瞬間だった。
第六章『魔弾の姫と悪漢王』 終
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