5-2 冬の陽気に踊るバカ



 昼過ぎに駅について、バスに揺られて四十分。

 二時前に、目的のゲレンデ前についた。


 バスを降りた直後に、飛び出すようにテンカが実体化した。

 地面に足をつけて、全身で空気を感じるように大きく伸びをする。そして満面の笑みを浮かべて、コウヤの方を振り返った。


「コウヤ! 雪ですわ!」

「あ、ああ。そうだな」

「見渡す限りの白! 真っ白ですわ! すっごく綺麗ですの。ほら、見てくださいな、コウヤ!」

「分かった、わかったから引っ張るなって」


 グイグイとコートの袖を引っ張りながら、テンカが興奮気味に声かけてくる。いつもの白装束に、白い素足という寒そうな格好だが、その様子はむしろ、普段よりも元気に見える。


 それに対して、コウヤは吹きすさぶ風に身を震わせた。

 しっかりと厚着をしてきてはいるのだが、それでも想像以上の寒さに驚いて、身をすくませる。


「おいテン。あんまり先に行くなって」

「コウヤが遅いんですのよ。道順はデバイスの中で見てましたから、大丈夫ですわ。それよりほら、早くいきましょうよ! 早く早く!」


 雪がよほど嬉しいのか、水を得た魚のように、テンカは実体化して地面を踏みしめながら、坂道を駆けるように登っていく。雪原の神霊である彼女にとって、ここはホームグラウンドのようなものなのだろう。


 踊るように先導するテンカを、やれやれと思いながら、コウヤは荷物を抱えて追いかけた。


 やがて、道がひらけて、建物が数棟立ち並ぶ場所が見えてきた。


 ペンションやコテージが並んでいる一帯。

 その手前にある立て看板の側に一人の少女が立っていた。


 彼女は防寒具に身を包み、手袋をはめた両手を口元にあてていた。トレードマークのツインテールは、今はマフラーに包まれていて、柔らかそうな亜麻色の髪がふんわりと浮き上がっていた。


「あ、拳銃娘ですわね」


 いち早くその影を見つけたテンカは、ブンブンと手を振りながら声をかける。


「おーい! 来てあげましたわよ!」


 先導するテンカが手を振るが、少女はなかなか気づかない。コウヤ達が側に近づくまで、彼女は顔をうつむかせたままだった。

 雪に足を取られながらも、コウヤは声のかかるところまで近づくと、挨拶をする。


「よ、ハクア」

「……え?」


 訝しげな表情とともに、何処かためらいがちに少女は顔を上げる。


 すると、少女の側に、一人の男性のシルエットが浮き上がる。

 ジャージに身を包んだその男性は、実体化するとともに少女の耳元に声をかける。


 そうしてようやく、彼女――龍宮ハクアは、コウヤとテンカのことを認識した。


「えっと、ごめんなさい……コウヤに、テンカ? よ、よく来たわね!」


 慌てたように声をはずませるハクアに、テンカはむんっと胸を張りながら、元気な声で言う。


「ええ、わたくしですわ! なにをぼぉっとしてますの?」

「いいえ。なんでもないわ。気にしないで」


 先程までの消極的な態度が嘘のように、ハクアはそっけなく言った。


 ハクアのこの反応は、今に始まったことではない。たまに彼女は、こうしてワンテンポ遅れた反応を見せることがある。

 普段は気にならないが、ふとした時に違和感を覚えるのだ。

 一度さり気なく聞いたこともあるのだが、あまり話したがらないようだったので、深くは聞くまい、とコウヤは割り切っていた。誰にだって、話したくないことの一つや二つはあるだろう。


「悪いな、待たせちゃって」

「別に。先に連絡もらってたから、待ってた時間はそんなに長くないわ。それより、長旅で疲れたでしょ。宿に案内するわ」


 取り繕うようにそっけなく言いながら、ハクアは先導するように、身を翻して歩き出す。


 ブーツを履いた彼女の足が、雪の固まった地面を踏みしめる。

 昼になって、ある程度踏み固められた雪道は、軽く氷のようになっている。


 そこを何気なく踏みしめたハクアだったが、――特に、場所が悪かった。



「わ、ぎゃっ!」



 彼女はつるりと足を滑らせて、その場で盛大にコケた。

 あまりにも派手に転倒したので、慌ててコウヤは駆け寄る。



「おいっ。大丈夫か?」

「………っ痛つぅ。こんのっ、ジュン!」


 お尻から地面に倒れ込んだハクアは、痛そうに顔をしかめた後、キッとそばに立っているジュンを睨みつけた。


 それに対して、風見ジュンは冷めた声で答えた。


「雪道で慌てて歩き出したお嬢が悪い」

「そこを支えるのがあんたの役目じゃないの! ああ、いったぁい。お尻濡れちゃった……」


 ハクアは気持ち悪そうに濡れたお尻をさすっている。自然体から発せられるその言葉は、年相応の雰囲気を感じられる。普段の取り繕った態度に比べて、今の彼女には子供らしい微笑ましさがあった。


 その感想が、顔に出ていたのだろうか。


 ハクアは顔を赤くしながら、ジロリとコウヤの方を見上げる。

 その迫真の表情に、コウヤは思わずたじろいだ。


 彼女は端的に、感情を殺した声で言った。


「……忘れて」

「……了解」


 地をはうような声に、生真面目な顔でコウヤは頷く。

 触らぬ神に祟りなしである。



 そうして何事もなくこの場は収まると思ったのだが

 ――しかし、虎の尾を踏みたがるおバカが、一人だけいた。


「ぷ、くすくす……」


 その不届き者は、口元を押さえながら、わざとらしく笑い声を上げる。


「『忘れて』なんて。そんな姿で、凄まれましても……くすくす」


 押さえきれない笑い声をこぼしながら、テンカが楽しげにお腹を抱えはじめた。


 春の陽気には早すぎるが、彼女にとっては冬の寒さこそが陽気のようなものなのだろう。雪国で気分が高揚している(彼女に言わせると、テンションアゲアゲの)冬空テンカは、とても愉快そうに空中を浮遊しながら、尻餅をついたハクアを見下ろしていた。


「ふ、ふふ。あははっ! 普段は気取った態度ですのに、こうしてみると中々どうして可愛らしいじゃありませんの! いいですわ、いいですわよ!」

「お、おい。テン……」

「いえいえ、別にバカにしては居ませんわよ。むしろ褒めているのですわ」


 コウヤの静止も虚しく、勢いに乗ったテンカは、驚くほど饒舌にハクアをいじり始める。


「前から常々、この拳銃娘は、気が強すぎて殿方受けが悪いのではと思っていたのですの。自信満々で堂々としてて、口を開けば辛辣な言葉がこぼれるのですもの。気弱な殿方では尻込みしてしまうのも仕方ありませんわ。でも、今の貴女は随分可愛らしいですわ。素材は悪くないのですから、いっそドジっ子方面で攻めた方が、殿方を落とせるのではありません?」

「こら、そのへんにしとけ、テン……」


 機嫌良さそうにまくし立てるテンカを必死で抑えようとしながら、コウヤは恐る恐る、ハクアの方を見る。



 当のハクアは、能面のような表情でこちらを見ていた。



 冬の大地だってもう少しは温度がある、と言いたくなるくらいの、冷めた無表情。あえて感情を消したその顔からは、決定的な地雷を踏んだという確信が得られた。


 彼女は調子に乗ったテンカに向けて、冷めた瞳を送る。


 そして、一言。


「やりなさい、ジュン」

「はぁ。……了解」


 言うやいなや、ジュンはフードを脱いで、手に鉄扇を握る。


 そして、空間を横滑りするように瞬時に移動すると、愉快げに笑っているテンカの脳天を思いっきりぶっ叩いた。


「あーっはっは、ぐぇっ! いた、痛いですわ、ちょ、やめ、ぎゃんっ! ちょっと、何をしますの! 貴方がその気ならこっちだって……ぐあっ。ちょ、たんま。たんまですわ!」


 必死で逃げ惑うテンカと、それを無表情で追いかけるジュン。

 その様子を見ながら、ハクアは追撃のように口をはさむ。


「止めと言うまで続けるのよ、ジュン」

「というわけだ。悪く思うな、冬空」

「その割には、攻撃がちょいちょいいやらしくありませんこと! ちょ、痛、わ、悪かったですわ。だから許し……こ、コウヤ、こうやぁ! 助けて、助けてなのですわ!!」


 途中、スキルを発動させて抵抗を試みるテンカだったが、どれも発動の頭から叩き潰されていた。ジュンは空間を滑るように迫り、即座にテンカの頭を叩いていく。雪国というホームグラウンドでありながら、テンカはジュンに圧倒されていた。


 その様子を傍から見ながら、ハクアはのっそりと立ち上がると、身体についた雪を優雅に払ってふんぞり返る。


 そして、目の前の出来事を完全に無視して、コウヤに話を振る。


「そういえばコウヤ」

「……なんだ?」

「あんた、スキーの経験はあるの?」

「いや、初めてだけど……なあ、ハクア」


 こらえきれずに口を挟むコウヤだったが、それを完全に無視して、ハクアは話を続ける。


「なら教えてあげるわ。用具一式、ちゃんと準備しているから、安心しなさい。キサキたちが来るまでに、うんと練習しましょう」

「それは良いんだけど……。とりあえず、程々にしてやっちゃあくれないか?」

「何の話?」


 あえてニッコリを笑ってみせたハクアに、コウヤは頭を押さえてため息をついたのだった。



 その後、ハクアが止めの命令を送るまでの間、テンカはジュンにど突かれ続けた。




※ ※ ※




「ひどい目にあいましたわ……」

「同情はするけど、でも自業自得だからな? 今回誘ってくれたのはハクアなんだから、そいつをバカにするのはまずいだろ」


 ジュンから散々小突かれたテンカは半霊体化していた。足元でしょんぼりしている彼女を見ていると、なんとなく猫を思い出して、自然と頭をなでていた。抵抗されないところを見ると、結構気に入ったらしい。

 テンカは一匹狼気取りでありながら、存外さみしがりやだ。猫のようにじゃれつく彼女の黒髪を撫でながら、コウヤは小さくため息を付いた。



 場所は、ペンション内にある食堂である。

 現在彼らは、着替えのために部屋に引きこもったハクアを待っていた。


 案内されたペンションは、このコテージが立ち並ぶ一帯の中でも、かなり大きめの建物だった。

 一部屋は三人から四人は泊まれる広い洋室で、それが七組まで泊まれるようになっている。今回、コウヤ達のために、そのうち三部屋を確保してくれているのだそうだ。


 リトルの遠征でホテルに泊まったことはあるが、こういった民宿のような所に泊まるのは初めてだったので、コウヤは少しだけ落ち着かない気分だった。

 猫のように足元にじゃれつくテンカを撫でながら、彼はすぐ側にいるファントムへと話しかける。


「ハクアの側についてなくて良いんですか? ジュンさん」

「……着替え中は外に出ろと言われてる」


 風見ジュンは、手元の携帯ゲーム機から目を離さずに、端的に答えた。


 フードを目深にかぶっているため、表情が見えづらいが、おそらくはいつもどおりの無表情なのだろう。

 無口で無愛想なので一見とっつきにくいファントムだが、彼がハードゲーマーであることはここ数ヶ月の付き合いで分かっていた。久良岐魔法クラブに来ている時も、ハクアがジムで遊んでいる間、彼はずっとゲームに没頭しているくらいだ。


 返答こそそっけないが、話しかければしっかり答えてくれることは分かっているので、コウヤは構わずに話を続ける。


「護衛としては、部屋の側で待っていた方が良いんじゃないですか?」

「問題ない。何かあれば、。着替え終わったら迎えに行く」


 あっさりとそんな風に言うジュンだったが、それは誇張でも何でもない。彼は本当に、遠く離れた部屋での出来事を、『』ことが出来るのだ。


 ファントム、風見ジュン。

 その原始は、『順風耳』。遠くの出来事を聞き、全てを知覚する鬼神こそが、彼の能力の元である。

 彼にかかれば、遠く離れた部屋での出来事など、目で見るよりも鮮明に知覚されることだろう。護衛としては、これ以上無いほどの存在である。


 むしろ、ただの護衛にしては、過剰なほどだ。


「気になってたんですけど」


 コウヤは常々思っていたことを、口にする。


「ジュンさんがいつもアイツの側にいるのって、なんか理由があるんですか? 遠くからでも、ジュンさんならアイツを守れると思うんすけど」

「ノーコメントだ」


 にべなく答えながら、彼はかすかに考える間を取って、小さく付け加えた。


「機会があれば、本人が言うだろう」

「そっすか」


 薄々分かってはいたが、やはり理由があるらしい。


 ジュンは保護者としての役割をこなすことがあるが、それにしては、過剰なまでに彼女の側を離れようとしない。こうして屋内にいる時はともかく、外を出歩く時は、必ずと言っていいほど、実体化して傍に控えているのだ。


 ハクアが話したくないならそれでいいかと思いつつ、コウヤはダラダラと雑談を続ける。

 ジュンが今ハマっているゲームの話だとか、これまでコウヤがやったことのあるゲームの話などをしていると、すぐに時間は過ぎ去っていく。

 その頃には、テンカも機嫌を直し、食堂の中をふわふわと浮遊して散策をはじめていた。


 食堂に設置されたテレビからは、奉納されていた宝刀が盗まれたというニュースが流れている。一週間前の話で、中々解決を見せないニュースだ。

 また、北海道の雪山で雪崩が起きたという話も流れてきた。この辺は大丈夫なのだろうかと、ぼうっと考える。


 ふいに、ジュンが顔を上げた。


「お嬢の着替えが終わった。迎えに行く」


 そう言った途端、彼は携帯ゲーム機を閉じて、その場で霊体化した。どうやらハクアのもとに向かったらしい。


 それを見送ったあとで、「すごいですわね!」と楽しげに声を上げているテンカの方を見た。

 ペンションの管理人の趣味なのか、壁際にはオブジェのようなものが並んでいた。確かに、見るだけでも飽きないくらい豪華な展示だ。テンカはその一つ一つを見ながら、「なんですのこれ!」と驚いている。


 その様子を苦笑して眺めながら、コウヤはふと、入り口に目を向ける。




 すると、そこに一人の人影が立っていた。




 呆然とした様子で、その子供はこちらを見ている。


「あれ?」


 少年のように凛々しい顔立ちをした子供だった。


 このペンションに泊まっている、他の利用客なのだろうか。

 どうやら外から戻ってきたところらしく、着ているスキーウェアは遠目からも分かるくらい濡れている。少し怪我もあるのか、所々に血のような赤いシミがあった。


 その子供は、食堂に入るコウヤを見ながら、不思議そうな顔をして首を傾げた。


「えっと……これは現実の方か。あれ? でもどこかで……」

「……お前」


 小首を傾げるその仕草に、既視感じみたものを覚える。


 動揺しているコウヤに対して、目の前のその子供は、「ああ」とうなずきながら、凛々しい顔立ちをパァッと輝かせて頭を下げた。


「そうだ! 確か、鏑木コウヤさん、でしたよね?」

「……お前は」


 その言葉に。

 コウヤははっきりと、のことを思い出した。


 顔をひきつらせるコウヤに向けて、少年のような少女は、楽しそうに目を細めた。


「お久しぶりですねぇ! 僕のこと、覚えてますか?」

「……ああ。そりゃあ、な」


 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、コウヤは渋々頷く。


 忘れもしない。

 夏休みの時のいざこざ。魔道連盟総会で、神咒宗家の子どもたちと喧嘩をした時に、そのグループの中心に居た少女。



 國見キリエ。


 少年のような雰囲気を持った少女は、コウヤの言葉に嬉しそうに頷いた。




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