第三章 魔法社会と人間関係 十三歳 夏

3‐1 夏のおバカたち




 夏である。

 ジリジリとアスファルトを焼く日差しと、耳に延々と残響を重ねていく蝉の鳴き声。

 それだけでも嫌気が差すのに、この季節はとにかく、様々な生き物が活発に活動をする。


 老朽化の影が見え始めている久良岐魔法クラブでは、この季節、よく女性会員の悲鳴が上がる。特にシャワー室やロッカールームで、黒光りするアイツや、トカゲ等の爬虫類が出ただのといった苦情がよく寄せられ、そのたびに男性スタッフが奮闘するさまが見られる。


 さて、そんな季節であるが、元気なものばかりではない。


「最悪ですわ」


 そんな中、冷房をガンガン効かせた部屋で、ナメクジのように溶けそうな神霊が一人。


 名を、冬空テンカ。


 雪景色の神霊は、夏という季節において、生命の危機に匹敵する活動制限を負っていた。


「溶ける……身体が溶けてしまいそうですわ」


 呻く声には、普段の活発さがない。

 彼女はソファーの上で寝転がり、まるでそのまま溶けて流れるんじゃないかといったふうに、脱力して四肢を放り出している。十代前半の未成熟な肉体ではあるが、白い湯帷子の間から覗くその白い肌は、見るものを釘付けにする魅力がある。


 緩慢な動きで悶えている彼女は、夏という季節全てに怨嗟の言葉を向ける。


「死滅するのですわ……夏なんか滅びればいいんですわ」

「また無茶なこと言ってるわね、テンカちゃん」


 そんなだらしないテンカに向けて、矢羽タカミが声をかける。


 タンクトップにショートパンツと、露出の激しい格好をした彼女は、出るところが出ているため、一部の男性からすると目に毒である。もっとも、それを目当てに来ている会員もいることを、彼女は分かっていてこの格好をしている節がある。


 トレーニングルームの整備にやってきた彼女は、テンカの姿を見て嘆息する。


 タカミは壁際にあるエアコンの操作パネルをちらりと見やり、顔をしかめる。

 設定温度19度。

 通りで肌寒いわけだ。


 彼女は溜息をつくと、すぐに温度設定を25度へと上げ始めた。


「な、何をしますのこの乳女! わたくしを殺す気ですの!?」

「あんたこそうちの会員を殺すつもり? こんな温度の室内で運動して汗でもかいたら、すぐに身体が冷えて風邪をひくわよ。良いからあんたは、とっとと休憩室に引っ込みなさい」

「嫌ですわ! あそこのエアコンは空気が悪いんですもの。ここが良いんですの!」

「ええい、わがままを。もう少しでクラブ生が来るんだから、おとなしくしなさいっての!」


 ソファーにしがみついているテンカを、引っぺがそうとタカミは奮闘する。


 と、その時だった。





「ぎゃあああああああああああ!!」





 甲高い少女の悲鳴が上がった。


 その声に、一瞬だけ動きを止めるタカミとテンカ。

 お互いに顔を合わせ、そっとトレーニングルームの外を見やる。


 すると、程なくして「ゆるさないんだから、覚悟しなさい!」という怒声が響き、続けて騒々しい足音が聞こえてきた。


 ドアの前をドタドタと走り抜ける二人の少年の姿がある。

 二人は互いに必死の形相で逃げており、その直後を、鬼の形相の少女が追いかける。


「こんのぉ! 待ちなさい! チハ! コウちゃん!」


 黒髪の、活発そうな少女だった。比良坂キサキという名のその少女は、普段は天真爛漫な笑顔を振りまく素直な子なのだが、今は怒りに顔を染め、噛みつかんばかりの勢いで走っている。


 そんな彼女に追いかけられているのは、同年代くらいの二人の少年である。


「だから、誤解だっつってんだろ、キサキ!」

「そうだよ、不幸なめぐり合わせなんだって、サッちゃん」


 鏑木コウヤと泉チハル。ここ数ヶ月で随分と仲良くなった二人は、息ぴったりに、追いかけてくるキサキへと言い訳をする。

 その言葉に、キサキは怒鳴り返す。



「じゃあなんで逃げてんのさふたりとも! 何が誤解か、言ってみなさいよ!」



 久良岐魔法クラブは、三階建てのそこそこ広い施設である。

 そこを、中学生の少年少女が、言い合いをしながら追いかけっこしていた。



 走りながら、被告1が弁明をする。

「蛇の剥製を鞄に入れたのは俺じゃねぇ、このキツネ顔のメガネの方だって!」


 続けて、被告2も弁解をする。

「黒光りする玩具の虫を鞄に入れたのは僕じゃない、コウヤくんの方だって!」



 二人の証言を、被害者は公平に聞き入れた。

 その上で、被害者は走りながら、うん、と真顔でうなずいた後、冷静に判断を下す。



「やっぱアンタたち二人じゃない! 死ね!」



 弁明の余地などどこにも無い。

 般若の形相で追いかけるキサキは、手にデバイスを構え、魔力を練り始める。


「もう許さない! 『セット』『デプロイメント』『イデアフィールド』!」


 追いかけながら、キサキは霊子庭園を展開するためのコマンドを口にする。

 それに対し、コウヤはせせら笑いながら余裕を魅せる。


「はは! こんなところで霊子庭園展開した所で、俺達を霊子体に転換なんて出来るわけが――って、嘘だろ!? なんで、こんな規模の霊子庭園が!?」


 先程までの余裕はどこに言ったのか。

 一転、展開された霊子庭園に驚愕を見せるコウヤ。


 視界が薄い青色のベールに覆われ、そのまま縮尺、拡張。

 空間を引き伸ばされた廊下の上に、コウヤとチハルは立っていた。


「おい、これはどういうことだよ泉。キサキの魔力制御じゃ、他人を巻き込んでまでの強制的な展開なんてできないはずだろ?」

「く、やられたよコウヤくん」


 焦ったようにメガネを触りながら、チハルが言う。


「彼女、上の階のトレーニングルームで、増幅器アンプを起動してきてたんだ。この辺りはちょうど真下になるから効果範囲に入るんだよ。だから、サッちゃんの魔力だけでも霊子庭園が展開出来たんだと思う」

「冷静に解説してんじゃねぇよ! くそ、こうなったらとっとと霊子体を崩壊させて」

「させると思う?」


 バキュン、と音が響く。


 そこには、ライフル型のデバイスを構えたキサキが、通せんぼをするようにして立っていた。

 彼女の撃った弾丸は、それぞれコウヤとチハルの足を撃ちぬく。これによって動きを制限された二人は、ただ跪くことしかできなくなった。


「な、なあ。比良坂。何をするつもりか知らないけど、悪かったから許してくれ」

「そうだよ、サッちゃん。ほんの出来心だったんだ。お遊びだし、許してほしいな」

「んー。そうだね」


 命乞いをするバカ二人を前に、キサキはニッコリと笑いながらライフルを構える。


「悪いけど、これお遊びで出来心だから――私のことも許してね?」



 エナジーチャージ――コンバージェンス――オール――セット



「『流星弾雨メテオレイン』――バースト!」



 魔力の流星が二人を貫く。


 痛覚情報を規定の最大まで上げられた霊子庭園において、全身を蜂の巣にされるダメージは、現実のものほどではないにしても、トラウマになりかねない衝撃を与えることだろう。


 バカ二人の悲鳴は、霊子庭園の外にも大きく漏れ聞こえてきた。






 その様子を、テンカとタカミは、無言で見ていた。


「…………」

「………あ、そろそろ時間ね」


 我に返ったタカミは、何事もなかったかのようにそうつぶやくと、テンカの身体を軽々しく持ち上げた。


「ちょ、何をしてくれやがりますの!」

「開場時間よ。会員が来るんだからどきなさい。そんなだらけてソファーを占領してたら、営業妨害もいいとこよ」


 時刻は朝の10時。

 久良岐魔法クラブの営業開始時間である。


 抗議の声を上げるテンカを抱えながら、タカミはため息をついて言う。


「もう、そんなに涼しい所が良いなら、また地下の巨大冷凍庫に入れてあげるから。こないだのドライアイスが全部なくなったから、一人分くらいの空きはあるわ」

「そ、それならそうと早く言いなさいな!」


 パァッと顔を輝かせて、テンカはうっとりと目を細める。


「ああ、極楽のゼロ度以下の空間。あの中こそはわたくしの楽園ですわ」

「……次にドライアイスの搬入があったら、すぐに出てもらうからね」


 呆れたように言いながら、タカミはテンカを抱えて地下へと向かっていった。


 そんな、久良岐魔法クラブの日常であった。




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