第157話 ローテーブル(7)
「だから、何よ……っ」
私は強引に母の手を振り払う。
数歩母から離れ、つかまれた右手を左手で摩った。母の手から伝わった、じっとりと湿気た感覚に怖気が走る。
何故、母に私が謝らなくてはならないのだ。
何故、すがらねばならないのだ。
私は母をにらむ。
母も怯まない。私をにらみつける。
「えっと……。あの」
無言で対峙する私達の間に、するり、と穏やかな低音の声が滑り込んできた。
母と私は同時に声の主を見る。
「初めまして」
右足に力が入り、そっと片足立ちしようとするので、慌てて彼に近づいて肘までしかない総君の左腕を支えた。「ありがとう」。総君が私に声をかけ、それから少し体重を預けたのが腕越しに伝わった。私は彼を支える振りをし、その彼の左腕に両腕でしがみつく。
それだけの動きだったのに。
総君は一瞬、私に視線を向ける。
私の表情を読んだのだろう。目を瞬かせ、それから穏やかな笑みを作った。私はその笑みに答えようと表情筋を動かそうとしたけれど敢え無く失敗する。
「
総君は私から視線を外すと、扉付近に立ったままの母に名前を告げた。
「
「付き合うのは結構ですよ、ええ」
返って来たのは、礫のように硬い母の声だ。私は奥歯を噛み締めて母をにらむ。
「結婚を前提に、お付き合いしてるんだけど」
「いい加減にしなさい!」
私が言った瞬間、今度は怒鳴りつけられた。両拳を握り、母は私をにらむ。
「結婚なんて、あんた……。どうやって生活するの!」
「今までどおり生活するわよ! ねぇ、ちょっと何言ってるの?」
私は困惑する。
本当に母の言っている意味が分からない。どうやって生活するの、って。
「この人、仕事できるの!?」
母は総君を指差し、私に金切り声を上げる。
「はぁ!?」
私が怒鳴り返した時だ。総君がするりと言葉を挟みこんだ。
「塾講師をしています。あの、名刺もあるんですが」
総君は私に更に体重を預け、右腕を背後に回した。どうやらチノパンのお尻のポケットから財布を取り出そうとしているらしい。
「いえ、いりません! 失礼ですけど、あなた、年収おいくら?」
母が早口に総君に言い放ち、総君は動きを止める。
「お母さん!」
私は叫ぶ。
だが、今度は母は私を見ない。さっきまで執拗に私をにらみつけていたくせに、今は総君を射すくめるように見ている。
「うちの娘より年収、少ないでしょ」
お母さんの口から聞いたことも無いような低い声が漏れ出て、私は怯える。
本当に、この女は私の知る母なのだろうか。
「そう、ですね。ええ、多分」
総君は長い睫を伏せ目がちにし、丁寧に答えた。
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