第九十九話
凌馬とミウ、ナディの三人は凌馬の運転する車で、となりの県に新しく出来た水族館に出掛けていた。
「うわぁー、パパ、海だよ! すごく大きいね。」
「ははは、ほらミウ。窓から顔を出すと危ないから、しっかりと座っているんだよ。」
「はーい。」
「はいミウちゃん、麦茶よ。暑いから水分はちゃんととらないと脱水症になっちゃうからね。」
「ありがとうお姉ちゃん。」
そんなやり取りをしながら車は目的地に進んでいく。
金のあまりない凌馬だったが、少し無理をしてこの中古車を購入したのは良い判断だったと改めて思った。
周りに気兼ねなしで過ごせるこの空間は、凌馬にとって何よりも勝る幸福であったからだ。
「もうすぐ水族館に到着するからな。」
「イルカさんに早く会いたい。」
凌馬はそんなミウの頭を撫でると、嬉しそうに微笑むミウであった。
高速を使い二時間ほどかけて漸く到着した凌馬たちは、早速水族館の中へと入場することになる。
新設で更には夏休みの時期というだけあり、かなりの人混みであった。
場所が水族館ということで、家族連れや恋人たちの姿が多く凌馬たちを見ても妬みや嫉妬の視線はあまり見られなかったのは救いか。
まあ、ナディの姿に見とれたデート中の男が彼女にひっぱたかれることがしばしば見られたが、それは見なかったことにする。
日本人離れしたその容姿は男女問わず惹かれるものがあるので気持ちは分からんでもないが、彼女のいる男に同情出来るほど凌馬は人間が出来ては居ない。
「わぁ、お魚さんがたくさん泳いでいるよ。パパ、お姉ちゃん、こっちこっち。」
「ミウちゃん、一人で行っちゃ駄目よ。人も多いから迷子になっちゃうよ。」
慌ててミウの後を追いかけるナディは、ミウの手をしっかりと繋ぎながら姉の、いやまるで母親の代わりを務めていた。
「イルカショーは第二部が後三十分ほどで始まるのか。先にショーを見てからお昼にしようか。」
凌馬はパンフレットに書かれている内容を確認して二人に提案する。
「イルカさん! 早く行こう。」
「そんなに慌てなくてもイルカさんは何処にも行かないよ。」
ナディと反対側のミウの手を繋ぐと、仲良し親子のような図でイルカショーの会場に向かうことにした。
『間もなくイルカショー第二部が始まります。』
凌馬たちは早めに席を取ることが出来たことで、最前列に座ることができていた。
「イルカさーん。」
ミウはイルカに手を振りながら元気よくそう呼び掛けていた。
「こんな間近でイルカを見るのなんて、小学生の時以来だな。」
「私もです。なんだか気持ちが子どもに戻ったみたいにワクワクしています。」
家族旅行やデートでなければ、あとは何らかのイベントでもないとなかなか水族館に行く機会自体余りないだろう。
凌馬自身も家族旅行のときに一度行ったくらいなので、今のミウを見ると昔の自分を思い出して少しむず痒く感じる。
ショーはイルカがプールを回りながら、来場客に挨拶代わりに跳び跳ねる姿を見せるところから始まった。
空中の輪を潜ったり、大ジャンプしてボールを蹴ったり、水面に体を叩きつけるように着水してプールの水をお客さんに掛けたりと飽きさせない芸を次々に披露していく。
ショーを行うお姉さんの笛を合図に一糸乱れない集団。
やはりイルカは人並みに頭が良いと言われるのに、納得させられる。
いや、もしかしたら人間などより余程賢いのかもしれないな等と凌馬は人間の愚行を思い出して思わず頷く。
バシャーン!!
『きゃあああーーー。』
「うおお!」
最前列に座っていた凌馬たちに、イルカが上げた激しい水しぶきが襲いかかってくる。
「二人とも大丈夫か?」
「うん!」
「雨具を着ておいて正解でしたね。」
事前にこうなることを予想しており、ビニール製の頭から被るタイプの簡易の雨具を借りておいたのだ。
水を扱うショーでは必需品であるし、いくら夏とはいえミウたちに風邪をひかれたら保護者として失格であると考えていた。
『ご観覧の皆様、本日は当水族館に来場いただきありがとうございました。これにてイルカショーは終了となります。足元に気を付けて──────。』
楽しかったショーの時間も終わり、最後にイルカに向けて手を振る子どもたちの姿を目にしながら、凌馬たちも椅子から立ち上がる。
「イルカさん、またねー。」
ミウもイルカに手を振りながらお別れをしていた。
「楽しかったね!」
「本当にね。」
「また、イルカさんに会いに来ような。」
「うん。」
名残惜しそうにしながらもステージを後にする凌馬たち。
「さて、そろそろお昼の時間かな。休憩スペースの所で食事も出来るみたいだからそこに行こうか。」
「そうですね。今ならまだ混んでないと思いますし。」
「お昼?」
ミウの問にそうだよと答えた凌馬は、ミウを肩車してナディとともに歩き出す。
ミウは凌馬に甘えられてご機嫌な様子であった。
「俺は何か飲み物買ってくるから、席の確保を頼む。」
「分かりました。じゃあミウちゃん行きましょう。」
「パパ、私オレンジジュースがいい。」
「ああ、分かった。」
ナディたちは空いている席を確保すると、テーブルの上にお弁当を並べていく。
「お姉ちゃん、いっぱいあるね。あっ玉子焼き。」
「ミウちゃん、食べる前に手をちゃんと拭こうね。」
「ありがとうお姉ちゃん。」
ナディがミウにおしぼりを手渡すと、きちんと手を拭くミウであった。
ミウを誉めるようにナディが頭を撫でて褒めると、ミウも笑顔で応えていた。
するとそんなナディに話し掛けてくる者が現れる。
「あれっ、もしかしてナディさん?」
「えっ、あ・・・・・・。」
その男はナディと同い年位で、軽く驚いた顔をしていた。
「やっぱり。いや、特徴のある髪だったからもしかしたらと思って声をかけたんだけど。」
「どうも。」
ナディはその男に会釈をする。
「ナディさんはそちらの子と二人で来たの? もしよかったら一緒にお昼でもどうだい? サークルの人も何人か居るんだけど。」
「あっ、いえ、連れが居ますので・・・。」
この男は、ナディの大学の同じサークルの先輩のようであった。
ミウは初めて見る人に少し警戒を見せて、ナディも丁重に断ることにした。
「そ、そうなんだ・・・。もしかしてデートの邪魔をしちゃったかな。」
「そんなんじゃないんです。知り合いの方に連れてきていただいたもので・・・。」
そんなナディの答えに、あからさまにホッとしたような態度をしていた男。
『おーい、もう行くぞ。』
「ああ、すぐ行く。それじゃあナディさん。また。」
「はい。先輩も。」
そう言うと男はその場を離れていき、入れ違いに凌馬がテーブルにやって来た。
「知り合い?」
「凌馬さん。ええ、大学の先輩なんです。こんなところで会うなんて思わなかったから、ちょっとビックリしちゃって。」
「・・・・・・そうなんだ。」
凌馬は先程までいた男の方に視線を向ける。
相手も凌馬の方を観察するようにしていたため、視線が重なる。
互いに会釈をすると、視線は外され何事もなく終わった。
「ミウ、オレンジジュースだよ。」
「ありがとう。」
ミウも凌馬が来て安心したのか、いつもの様子に戻る。
お昼を終え、しばらく水族館を見て回った凌馬たちは帰り道にお土産屋に寄ったりしながら帰途につくことになった。
凌馬の心に一抹の不安を残して・・・・・・。
・
・
・
「なんだこの世界は・・・・・・。いったいここは何処だというのだ。」
アパートの上空から凌馬たちを観察する一つの視線が存在していた。
そう、正体は勿論ヴィネであった。
ここは
凌馬の記憶をもとに魔術で創り出された世界であった。
故に、その世界は凌馬にとっては馴染み深い地球にある日本のそれであり、ヴィネにとっては初めて見るものばかりであった。
日本住宅や高層ビルといった建築物、車や電車や飛行機などの乗り物など、目に写る全てが想像すらつかないものばかりでは、
「これがあの男の故郷の風景・・・・・・ヤツが何者であるのか探れると思ったが、益々分からなくなってきた。まあ良い。ヤツさえ手に入ればいずれわかること。それに間もなくだ───今の貴方が絶望を前にしても先程のような強気でいられるかどうか楽しみだわ。果たして無力な貴方に抗うことが出来るかしら?」
ヴィネは邪悪な笑みを浮かべながら凌馬を見つめていた。
この魔術を行使して、陥落しなかったものは一人として居なかった。
これから起こることはヴィネにも正確なところは分からない。何故なら、今から始まる絶望は術に落ちた者のもっとも恐怖することを読み取り、自動的に再現されるのだ。
ある者は家族を目の前で魔物に食い殺され、ある者は恋人を盗賊たちに陵辱され、またある者は自身を拷問され虐殺されるという体験を受けていた。
それは何度も何度も何度も何度も──────その者の心が砕かれるまで永遠と繰り返されるまるで無限地獄。
その地獄の前には、どれほどの屈強な戦士であっても耐えられるものではない。勿論、あの非常識男とて例外ではない。
今まで一度も破られたことがない。その経験こそがヴィネの絶対的な自信を支えており、その
そう、可哀想なほど愚かにも・・・・・・。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます