第24話

24


「ヨシアキ、もう大丈夫よ」

「あ、アリ―……」

 優しく抱きしめるアリ―に義明は身体を預け、目をとじる。全身の力が一気に抜けていく。

「うぐぅ……かはっ」

 背後からうめき声が聞こえ、アリ―は振り返ると、地面に這いつくばるアベルトの姿が目に写った。生まれたての子鹿のように両腕の肘を、両端の膝を使って必死に立とうとしている。

「こ、こんな……こんなところで、私の……夢を!」

「……アベルト」

 そこにいるのは、長年共に研究に切磋琢磨してきた優秀な彼女の姿ではなかった。なんとも哀れで、なんともか弱いことか。別人をみているかのようだ。

「アベルト……もうすぐお祖母様がここにくるわ。抵抗はやめて。もう終わりよ」

 祖母がアベルトを取り押さえたら、とても五体満足ではいられない。世界最強の魔女である祖母は、敵には冷酷な一面を見せる。

 大罪を犯したとはいえ、彼女が無残にボロボロになるところは見たくない。ならせめて、ここでおとなしくしてもらいたかった。

 だが、そんなアリ―の願いは悲しくもアベルトのところには届いていなかった。強い恨みがあるかのように、アベルトはアリ―を睨みつける。

「おわり? いいえ、まだ、まだ、まだ終わってないですよ。わたしは……私は完全体の……<蝗>を倒して……フレンダ様を超える! まだ、終われない。だから、あなたごときに、負けるわけには行かない! 私はフレンダ様を超える魔女になるんだ! あなたごとに負けるわけには、行かないんだ!」

 気迫とともにアベルトは立ち上がると、自身のローブをビリビリに引き裂いた。不可解なアリーの行動に義明は驚く。そして、アベルトの露出された上半身を見て二人は絶句する。

「アベルト……それは」

「い、入れ墨……」

 露出された彼女の上半身にはビッシリと文字が刻まれていた。それはただの文字ではなく、魔術コードであった。

 驚く二人をみてアベルトは呆れたように口元をニヤつかせる。

「何を驚いてるんですか、アリ―所長? 本物の天才であるあなたが、予想できなかったわけはないでしょうに。血筋でない私がなんでフレンダ様の魔法を扱えるか……方法なんてひとつしかないでしょう?」

「……身体に直接魔術コードを組み込むのは、禁術。身体に負荷がかかりすぎる。ましてや、フレンダ様の魔法は、血筋である私やお祖母様でさえ使用後の負荷が大きいのに……それを……」

「ええ、血筋のない私がやったら負荷は半端ないです。一回使用しただけで、内蔵がはじけ飛びそうになります。……でもそれがなんだというんですか。むしろ、フレンダ様の魔法を使って死ねるのであれば、それは本望です」

 愛する人を抱きしめるかのように、自身の身体に刻まれた魔術コードをなぞる。

「さっきは想定外なことがおきて油断しましたが、これを使えば遅れをとることはありません……私は負けません、あなたなんかに、あなたなんかに負けてたまるか!」

 掌からレーザーのような魔法をアリ―に向かって放った。アベルトの気迫に飲まれ、一瞬出遅れてしまう。

 避ける? いや避けたら義明にあたってしまう。アリーは両手突き出し、防御魔法でアベルトの攻撃を受け止めた。

「くっ! ヨシアキ、私から離れないで!」

「あはははははは! 守りながらでは、私に勝てませんよ! 魔法も使えないお荷物なんか捨ててしまえばいいのに! あはははははは!」

 アリ―は必死に攻撃を耐える。

「そもそも、その男はフレンダ様の孫でありながら、魔法も使えないクズじゃないですか! 何がプログラミングですか! 何が道具がなきゃかけないですか! 何が異世界ですか! ふざけんなですよ! この世はすべて魔法でなりたってるんです! 多少知恵があったくらい良い気なってんじゃないですよ! 世の中魔法なんですよ! 魔法が使えないんなら生きている価値がないんですよ! フレンダ様もこんな出来損ないを孫にもってさぞ心を痛めていらっしゃることでしょう! ああああ、クソムカつく! 魔法も使えないのにフレンダ様の血を受け継ぎやがって! よこせよ! 全部よこせよ! 私にその血を全部よこせよ!」

 ますます力を増していくアベルトの攻撃に、アリ―は手も足もでなかった。後ろには義明がいる。受け流すわけには行かない。

 アリーは心の中で後悔の念でいっぱいになった。

 どうして自分ひとりで向かってしまったのだろう。どうしてすぐにアベルトを拘束しなかったのだろう。アマンダと共に行けば、こんな苦戦することもなかった。

 義明をここに呼び出してしまったという大迷惑をかけていながら、2度も義明に命の危険にさらしてしまった。

 自分の身を犠牲にしてでも、ここはなんとしても……。

 刺し違えてもアベルトを止めよう……そう、アリ―が覚悟を決めたときだった。アベルトの攻撃の威力が徐々に弱まっているように感じた。それは攻撃をしているアベルトも感じていた。

「どうして……なんで威力が……」

 まだ魔力はたくさんある。こんなわけが……。

 アベルトは腕に刻まれた魔術コードをみて気づく。

「へっ? ……ちょっとまってどうして! え、また!」

 自分身体に刻まれた魔術コードがところどころ消えかかっていた。アベルトは攻撃をやめ、消えかかる魔術コードを必死になんとかしようともがく。

「そんな、やだ、駄目、駄目! 食べないで! お願いこれだけは、これだけは食べないで! 私の大事な……やめろ! 食べるな! やめろって言ってるだろ、クソ虫が!」

 アベルトは<蝗>に向かって慌てて火球を放つ。着弾とともに煙と爆炎が<蝗>を包み込む。

「ハァハァハァハァ……っ! お前ごときが……食していいものじゃないんだよ」

 長年費やした身体の魔術コードが半分以上消えている。これではたとえ<蝗>を完全体にしても、勝つことはできない。

 後悔の念がアベルトの中で広がっていく。完全に手球に取っていたと思っていた<蝗>に二回も邪魔されるなんて。まだ不完全な状態とはいえ、世界を破滅に追い込んだ化物をコントロールしようとしたのが、間違いだったと。

 だが、それは遅い後悔だった。

 いまだに燃える爆炎の中から<蝗>が飛び出し、アベルトに襲いかかったのだ。

「いやああああ! 離れろ! クソ虫! くそ! ああああ! お願い! これだけは! わたしの、わたしのすべてが! やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 アベルトはなんとか<蝗>を身体から剥がそうと抵抗する。だが、抵抗も虚しく<蝗>にはまったく通用していない。

「アベルト! っく……」 

 アリーは杖をかざすが、<蝗>とアベルトが密着しすぎて魔法が打てない。このままでアベルトにあたってしまう。

 アリーは躊躇していたときだった。

「ヨシアキ! 何を!」

「うおおおおお!」

 義明は自ら鼓舞するように声をあげながら、駆け寄り<蝗>に杖を突き刺した。突き刺したのはアベルトがもっていた杖だ。突き刺した瞬間、<蝗>は驚きアベルトから離れた。

「っ! ウインド・カッター!」

 <蝗>が離れた瞬間、つかさずアリーは魔法を放ち、<蝗>を吹き飛ばす。

 義明とアリーはアベルトに駆け寄る。上半身びっしり刻まれていた魔術コードが綺麗さっぱりなくなっていた。

「全部……全部……全部食べられ……フレンダ様の……コードが……私の……コードが……あああああ」

 膝から崩れ落ちるかのように、倒れるアベルトを義明は片手で抱きかかえる。アベルトはもう視点があっておらず、精神が崩壊気味であった。フレンダの魔法の反動もあるのだろう。

 すぐにケアしなげれば、本当に壊れて手遅れになってしまう。だが、<蝗>まだ動いている。ひっくり返ってもがいているが、すぐに起き上がり、前足で顔をこすっている。


 “ごちそうさま”


 まるで、そう言っているかのようだ。前足で顔をこすり、今度は頭に生えている二本の触覚の手入れを始めた。

「食後の……一休みって感じね」

「アリ―……逃げよう」

 義明の発言に、アリーは軽く頷いて同意した。

 ここを離れて、アマンダ来るのをまとう。当初の目的だった義明は無事に救出できた。

「なに……あれ……」

 退散しようとしたとき、<蝗>の背中がパックリと割れ始める。

「……脱皮だ」

「だっぴ?」

「……成長しようとしてるんだ」

「なんですって」

 

 “カサカサ” 

 “ピキピキ”

 

 <蝗>の皮が向ける音が室内に響き渡る。音を聞いているだけで、全身から鳥肌がたってくる。


 ——まずい。絶対にまずい。


 アリ―はもちろん、義明でさえこの状況が如何に危険か察知していた。

 割れた背中から黒い霧が噴出しだし、徐々に室内に広がっていく。

「まさか、瘴気っ!」

 各地ある災害の爪痕、禁止区域で広がる瘴気とは比べ物にならない濃度の瘴気であった。



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