第百六十一章 萌 芽

 亜希子に尋ねると、ハシカのワクチンは今の技術では到底つくれない。ワクチンが開発される以前の予防法は、ハシカが治った患者の血清を注射すると、一時的に予防効果があるとわかった。すぐハシカの感染者の血清を同時に注射すると長期にわたる予防効果があったそうだ。


 うーん、注射器を作るなどハードルが高すぎる。透明なガラス製で円筒形の筒、可動式の押子、気密を保つため押子のサイズの精度を上げなければならぬ。注射針はステンレス製もさることながら中空にする工作など考えるだけでお手上げだ。


 前の世で発展途上国におけるハシカの死亡率は三パーセントから五パーセントくらい。今の世でもその位であろう。栄養状態のわるい幼児やビタミンA不足が重症化をもたらす。国を豊かにし農民の暮らしを向上させるしか手はない。


 ビタミンAは豚や鶏の肉からとるのは無理。鮎やヤツメウナギなどの川魚、ニンジンやワカメなら手が届く。シソは日本で自生している植物だが量をとれる食べ物でない。カボチャは戦国時代に持ちこまれたが越後まで到達していない。


 今や医療チームは、総計二十九名を数える。医者は四人、一人はもちろんトクホン先生、残り三人は林泉寺から養成してきて十年目を迎えた。栃尾城で応募してきた三人の研修医、見習いは八名がその後くわわった。看護師は栃尾城の四人に加えて十名の内訳である。


 診療所を三箇所に開設した。一つ目は春日山城の城下町、二つ目は赤田城の城下町、三つ目は阿賀北の安田城の城下町である。それぞれに医者と研修医、それに見習いと看護師を割りふった。


 長期間にわたって医療技術をおしえ実習をかさね育てた大事な人材である。万が一を考慮して大臣の拠点ちかくで安全に活動させることにした。


 地域の医療センターとして機能させる。病気の者を治療することが第一義であるが、衛生意識の向上や栄養のバランスなどを認識させて、予防医学の普及に努める。

 

 医者の育成については亜希子とトクホン先生が担当する。外科は亜希子で内科はトクホン先生と役割を分担している。二年前から公に活動できるようになったので、今では領外からも噂をききつけて入門してくる者もいる。



 越後では人口爆発の萌芽が始まっていた。常備軍の拡大は農村の眠っていた余剰人員を吸収し自活できるので、結婚して一家を構えるようになる。胎内川改修工事を皮切りに、公共投資の継続的な投入は、さらに労働人口をすいあげる。


 新田の開発にともない耕地整理をおこなうので、湿田から乾田への変換となり灌漑施設や農道の整備がすすむ。品種改良のイネが普及し、あらたな栽培法の確立、牛馬の使用による作業の効率化、農具の改良は農業の生産性を各段とあげる。


 多人数が必要だった農作業が少人数でまかなうことができ、子供らは分家独立し自前の田を耕作できるようになる。夫婦という家族を単位とした経営が可能となり、

新田へ移動していった。小家族経営は農民の勤労意欲をたかめる。


 これまでの大規模な合同家族を中心とした家族形態から、比較的小規模な直系家族を中心とした家族形態へかわってくる。これまで平均的な世帯規模が八人ていどだったものが四人と半減してゆく。それだけ世帯数が増加して子供がふえる要因になる。


 さらに木綿の栽培が増加して綿工場が操業をはじめ、女性工員の需要がふくらんだ。一次産業から二次産業へのシフトが進む。女性工員は給金がもらえるので、新たな購買人口が増加する効果をもたらした。


 繊維だけでなく布団の分野へいちはやく販路を広げた。最初は値段がたかく、一部の富裕層しか売れなかった。寝心地のよさに口コミで評判が広がり中間層まで拡大してきた。庶民層まで手がとどくよう値段をさげるのが最大の目標である。


 着物は戦いに不便である。上衣とズボンの上下の戦闘服をデザインしている。日本でボタンが実用でつかわれるのは明治維新後といわれる。紐で結ぶか帯で巻きつけた着物がほどけないようにするしかなかった。


 この時代の体型ならサイズはSかMで十分カバーできる。Lサイズの人間は珍しい。信濃攻略が終わるころまで実用化できれば良い。軍服に憧れて若い者が応募してくれれば有難いが。


 養蚕も原材料である生糸の移出より織物にして付加価値をたかめたほうが儲かる。西陣織りなど京都の一流のブランドに太刀打ちできないが、値段がてごろな実用品で棲み分けができる。人里はなれた地域で住む零細な養蚕農家も硝石の副業がうまれて懐がうるおっている。


 漁村も乄粕の生産で現金収入の手段をえた。肥料として大量の需要が発生した。木綿の栽培が拡大の一途なので、越後だけでなく敦賀や小浜をとおして移出されている。いちど大釜で煮てから干すので大量の薪を消費する。林業にも影響を及ぼす。


 春日山城の城下町、胎内川の工事現場の建築、さらにたたら製鉄の木炭など、旺盛な木材の需要はふえる一方である。無秩序に木を切り倒していたらハゲ山になりかねない。中条農林大臣の引き継ぎで、計画的な伐採と植林をするよう指示している。


 さいわい高温多湿な日本の気候は木材資源の回復に恵まれた環境にある。それでも三十年、四十年と長いスパンを要する。


 こうして農村と都市間の経済活動が活発化して商業がいちだんと発達した。新造銭が投入されたこともあって金の流れを阻害する要因はない。越後ぜんたいが底上げできたと感ずる。


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