第百三十五章 トクホン

 現在の医療チームの現状は、研修医三名ではじまってから、三条城で四名の女子看護師が加わった。栃尾城へ進軍したときは、研修医三名と見習い三名で計六名と、看護師は六名で合計十二名の陣容だった。


 平六の乱では安全対策の不安や、晴景さまに存在を知られたくないため、合戦場へチームを派遣できなかった。外科医が戦場におもむき、負傷者が出たら手術などすばやく応急措置がとれれば一番いい。


 敵に医療チームの存在が知られ技術を獲得するため、捕虜をねらって襲われる可能性を無視できない。これは小荷駄隊が襲われるリスクより大きいだろうか。警固がうすい補給部隊をおそって兵站を断つ。これも立派な戦術だ。


 こんごは本陣のうしろに野戦病院のようなテントを張り治療に当たる方法を考える。配置をどこにするか、警固の兵をどのくらい割けるものなのか軍師殿とよく相談せねばならぬ。


 しかし傷口に対する消毒の徹底や止血方法の確立で、負傷者の死亡率が激減したことは事実。その噂がじょじょに広まったのか、栃尾城に拠点を移してから、各地から一人二人と医者を志望するものが尋ねて来はじめた。ほとんどが漢方医か寺僧出身者である。


 その一人に信濃国の諏訪から訪ねてきた永田 徳本がいた。年のころ三十二・三才、濃い眉毛が八の字に垂れさがって愛嬌さを醸しだしている。大きな眼もちょっと垂れ目で人をやさしく包んでくれる。患者に安心感をあたえるタイプと拝見した。


 亜希子から経歴を聞いてビックリした。信玄の父、信虎の侍医をしていたが、当主の座を追われたのを機に、野にくだった。諏訪に居をかまえ、住民の医療に当たってきた。富める者や貧しき人をさべつなく診療し、十六文いじょうの銭を受けとらない。いつしか「十六文先生」と慕われていたという。これらの情報は軍師殿の弟が、もたらしてくれた。


 評判が真田の里まできこえてきて、軍師殿の弟である矢沢氏が腹下りで診察をうけたさい、亜希子の外科手術が話題にのぼった。医の道をめざす者として、あたらしい技術に俄然と興味をもったようだ。ぜひ紹介状を書いてくれと懇願されたので、よろしくと軍師殿への添え書きも持参しての来訪となった。


 当代随一の名医として後世 名を残すだけあって、明晰な頭脳と優雅なものごしの持ち主だ。前の世で製薬会社の「トクホン」はこの医師の名前から来ているとの説があるくらい。


 二人の出会いは、互いに大いなる知的な触発をあたえてくれると亜希子も喜んでいる。互いの得意分野をシェアすることで相乗効果をもたらし、足りない部分を補える。トクホン先生は亜希子のもつ外科手術に魅了された。できもの腫れ物は切開して除去すれば患者の苦痛がとれる、と分かっていても術がない。


 消毒を徹底してバイ菌を殺す。ケシから採取した麻薬で苦痛をやわらげ、メスで患部を切りとる。傷口は絹糸で縫合する。とくにペニシリンを感嘆のまなこで見つめていた。経験則で青カビが傷口から化膿した症状を和らげることは知っていたらしい。青カビのエキスを精製して、患者へ与えるまでにした薬を飽きずに眺めていた。


 感染症と非感染症の区別だけでも治療の方法がちがう。体系的で合理的な説明をうけて、病気の診断におおいに役だった。病気の原因がほぼ特定できるので、適切な治療を施せる。疫学的な知識だけでも流行病の拡散を防げる。


 人体を解剖して、精緻な体の仕組みを一つひとつ確認することは、尽きぬ探究心を満足させたようだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図に似たスケッチを何枚も描いていた。


 亜希子はトクホン先生の本草学と漢方薬に啓発をうけた。外科医が本職なので、内科や小児科は概略しか学んでいない。前の世の薬は製造できないので、薬草に頼らざるを得ない。薬草学を一から学べるチャンスと、本格的に教えを請うた。


 それまで投薬する薬の効用に自信がもてずにいた。トクホン先生のお陰で迷いなく処方できる精神的な安定は、なにものに代えがたい気持ちのゆとりをもたらしてくれた。研修医や見習い医もいっしょに研鑽を重ねている。


 いっしょに山野へ出かけ、薬効のある草木を採取する。林泉寺の北がわ裏山にあたる谷あいを開墾して薬草畑を造成した。ゆるい傾斜地で上流から清水が流れておち、周りから隔絶されて不審者が容易に入り込めない。絶好の立地条件を備えている。


 まえに虎御前の肖像画をえがいた画家を再度さがし始めた。彼なら薬草を写真のように描写できる。薬草図鑑ができればトクホン先生の業績を後世に伝えられる。


 トクホン先生はひそかに朝鮮人参の栽培を研究していた。朝鮮人参は漢方薬におけるキングの存在である。先生によれば自生している環境から、火山・北東斜面・五葉松・根菌性をもつ広葉樹・冬寒冷夏な気候と五つをあげている。


 越後の火山といえば硫黄を採掘している新潟焼山と、野尻湖にちかい斑尾山の二つが代表的な山である。斑尾山は湖畔から東へ一里ほどで、千四百メートル弱の標高を登る。越後で五葉松が自生している有名処は、三条市の下田地区で多い保内五葉がある。


 黒田 官兵衛や三代将軍の家光が栽培法の試みたが失敗した。八代将軍の吉宗が積極的に関与して成功させた。吉宗は種子と栽培法を各大名に分け与えて、栽培を奨励した。根付いた地方のひとつに信濃国、佐久がある。真田の郷にちかい場所だ。


 よく朝鮮人参は土の栄養分をすべて吸い取るので、地力が回復する二十年間は輪作が出来ないと言われる。近年の研究で、土壌の病害や土壌線虫による連作障害とわかっている。半陰地性の植物なので、日光をきらう。より病原菌が繁殖しやすい環境が一因でもある。


 ともかく朝鮮人参が栽培できれば大きな特産物になる。斑尾山か佐久地方で栽培法を見つけてほしい。



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