第百二十章 内か外か

 亜希子と今後すすむべき道を話しあった。


「医師として少子化対策に興味があったので、日本の人口統計のグラフを見たことがあるの。総務省の発表だから信頼できるデータと思うわ。八世紀から二十一世紀までのグラフよ」

「ああ、総人口のピークが二千八年で一億二千万、二千百年で三千八百万から六千五百万の間におさまる衝撃的なグラフだったね」


「たしか千五百五十年だから、今ごろ一千万人の大台にのって、四代将軍の家綱で二千万人になったはずよ。八代将軍の吉宗で三千万人の大台に突入したは良いけど、あとは明治維新が過ぎるころまで、人口はずっと横ばい状態ね。わずか二百万人しか増加していなかったわ」


「その期間グラフの線が微増だったらまだしも、真ん中が凹んでいたね。三大飢饉で人口が減ったのかな。ただ新田を開発して米を増産したはずで、江戸幕府の初期から明治維新までに、田の面積が三倍になったはずだ。飢饉があって多数の人々が餓死したにしても、合理的な説明がつかないね」


「幼児の死亡率が高かったにしろ、戦国時代から江戸幕府初期の医療と比べたら、少しは向上しているでしょうから、大人をふくめて病気が原因とは考えにくいわ」


「そうすると日本列島が本来もっている人口のキャパシティが、三千万人が限度なのだろうか。とうじは避妊の知識などないから、ひそかに堕胎や間引きもあっただろうが......」


「だけど堕胎は母体にふたんが大きすぎるし、ましてや医療技術が発達していないこの時代では命をかける行為よ、大勢の妊婦が出来るはずがないわ。間引きも子ども好きといわれる日本人が、産んで間もなくの子を殺すなんて想像できない」


「やはり明治維新後に外国から食糧やエネルギーの輸入が自由に入ってくるようになったので工業化が加速し、一気に人口爆発が起きたんだろうなあ。こうして考えると産業革命と医療の発達、そして東京や大坂のような都市化が要因だったと言わざるを得ないね」


「穀物の生産性があがって増えた人口を吸収できたのも大きかったと思うわ」


「目の前に二つの選択肢があるね。内にこもるか、外へ打って出るか。内にこもり徳川幕府の跡をなぞって、百五十年後に三千万人で停滞する歴史をくりかえすか。工業化するといっても、背後にぼうだいな技術の集積があってこそ可能だ。僕らは表面だけの知識しか持っていない。原理だけ知っていても、かんたんに機械は作れない」


「そうよね。外科の手術でも検査から始まって、たくさんの手順とサポートする分野が関わり合ってるわ。私なんか てっぺんの上澄みをすくっている程度と思ってるわ」


「いくら二人の知識を残したところで、それが百五十年かけて開花するのは、わずかなものだろう。それまでに全ての産業で工業化なんて望むべくもない。古池にカワズが飛び込んで、ポチャンと音がして波紋が広がるけど、すぐ静寂がもどるくらいが関の山かな」


「あらっ、あなたがペシミストみたいな発言するのを初めて聞いたわ」

「ごめん、少なくとも景虎さまが世に出るまでになったんだ。うんと祝って、喜ばなきゃならんところだね」


「外へ打って出るって、どんなことをするの?」

「いまの時代、アメリカにイギリス人がどの位 住んでいると思う?」

「アメリカの独立戦争は千七百八十年頃よね。ええっ! 今から二百三十以上も後なの。メイフラワー号がイギリスから逃れてアメリカに上陸したのは何年だったかしら?」


「うーん、千六百二十年と思う、これでも七十五年後になる」

「それじゃ、アメリカ大陸はまだインディアンの支配地だったということ?」

「そうだ、あの広い大地に二百万人もの民族が住んでいたんだ」


「南アメリカでインカ帝国って文明が繁栄していたわね」

「最盛期には千六百万人いたと言われている。なぜ南アメリカの方が、人口が多いんだろうね」

「中南米はスペイン人に、北米はイギリス人を初めとする白人によって征服されるのね」


「二百万人いた人口が三十万人を切るまで虐殺されたんだ。もっとも天然痘など免疫を持たない病原菌で死亡したという説もあるけど信じられないね」

「ホロコーストはユダヤ人虐殺だけど、まさにインディアンに対するジェノサイドだったのね」


「黒澤監督が師とあおいたジョン・フォード監督に『駅馬車』があるね。アパッチ族の蜂起が映画の背景にある。襲撃をうけるシーンなど戦前の映画とは思えない迫力でクライマックスを盛りあげる。ああ、もう一山 決闘の場面があるね。並みの監督なら、その光景を延々と見せるだろうけど、互いに撃ち合うシーンを映像を見せずに発射音だけで表現する」


「あなたは古い映画ばかり取りあげるわね。あたらしい映画は見ないの?」

「言われてみるとそうだね。古い人間とお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」

「何よ、それ! キザったらしいセリフね」

「任侠映画で人気があった鶴田浩二が唄った『傷だらけの人生』の一節さ」

「またまた出た。ホントにあなたったら......」


「もう一本の『荒野の決闘』も詩情があって良かったなあ。こちらは静、駅馬車は動、と対照的に描いていた。世界のクロサワも、あの詩情性はうまく出せなかったなあ」


「保安官のヘンリー・フォンダがポーチ・イスを入り口にだしてね。泥んこ道で足が汚れないよう、通りに面した建物はぜんぶ差し掛け式のペイブメント、木の床が続いている。その柱に長い片足をクの字にまげて押しつけ、背もたれに身をゆだねて、ぼんやり通りを眺めている。なにか一瞬のくつろいだ光景がスンナリ心に入って来たのを今でも忘れない。もう一度あのシーンだけでも見たい」


「わたしも、もう一度見たい映画がたくさんあるわ」

「最後のシーンも良いんだ。純朴な保安官だから好きだよ、と直にいえない。「実にいい名前だ。亜希子』 『Ma'am、I sure like that name. Clementine』 愛しのクレメンタイン、という歌があったね。替え歌になって雪山賛歌といったかな」

「あらっ、そんなに良い名前?」

「ヒロインが清純で気品があったね。もちろん目の前の人と比べものにならんけど」

「ウフフ、もういちど名前を呼んで......」

 そっと唇をよせる。


「話しがすっかり横道にそれてしまった。マダム、ご機嫌は如何?」

「今日はよく晴れ上がった日ね」


「内に閉じこもって閉塞してしまうか。ただ江戸という平和で穏やかな時代があったらこそ、前の世の日本人が形成されたという評価もある。必ずしも負の遺産だけでも無い」


「外に出てアメリカへ進出して、インディアンと共存共生を図る手がある。ただ戦さがない世を作る、という目標がボケてしまうね。あの時代の西洋人は残忍で冷酷だ。神の前に平等だ、なんてスローガンに、日本人やインディアンは含まれない。果てしない戦争に巻きこまれる可能性を否定できない。そこまでのリスクをとれるか不安だ」


「インディアンには気の毒だけど、そこまで介入すべきか私にはわからないわ」

「ただ秀吉の朝鮮出兵は、調子に乗りすぎて身のほど知らずの野望のせいと言われることが多い」


「しかし、いかに秀吉が独裁的な権力を持っていたにしても、ただ一人の野望だけで、前後五年半にわたって全国から十数万もの大軍を動員できるものではない。

それには侵攻を必要とする集団的な圧力があったからに違いない」


「日本全国から戦争がなくなったので、それまで最も重視されてきた戦場の槍働きや策略・作戦の才能が必要なくなった。一国一城の主は居場所を、出世をめざす部下にとって目標を、失ってしまう」


「新たな戦場への欲求を募らせたと思う。急成長を続けてきた秀吉の組織には、成長を前提とした組織原理がはたらく。ただ朝鮮・中国を目標にしたのが間違いで、アメリカへ目を向けるとどうなるか。もっとふかく考える必要があるね」

「矛先はアメリカしかないの?」


「南へくだってオーストラリアを目ざす選択もある。まだ、この時代では発見されていない。キャプテン・クックの豪州上陸は二百年いじょうも後だ。拠点を築くじかんはたっぷりある。先住民はアボリジニと呼ぶね。ここでもイギリスは虐殺の歴史を繰りかえしている」


「よく皆と話しあう必要があるわね。私たちだけでは決められないのは確かよ」

「うん、日本を統一できる前提で話していて可笑しいけど、最終目標が達成できるよう戦略を練って収斂させねばならないからね。意思統一しておく必要がある」





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