第百十六章 推戴状

 ふた月ほどかかって、十七名の署名花押があつまった。季節は秋の半ばをすぎている。色紙に記された名前を見ながら、亜希子をふくめた三人で感慨にふけった。


「三人三様と申すのか、色紙を手にしたときの反応がそれぞれ違って、人って面白いものじゃと改めて感じ入った次第」

「そうよね。四方八方というから八人でしょう。その間に詰めこんで十六名? 最後の平子さんは、空いているすき間に強引に割り込んだのね」


「まあ定規をつかって鉛筆で薄く線を引いたわけじゃないから、間隔にバラツキがあるのは仕方がないさ」

「文字の大きい小さい、角張った字と丸まった字、右肩あがりと右肩さがり、行書と楷書、さまざまね。たしかに書き方が人の性格を表すって本当ね。筆だから皆おなじように見えると思ってたわ」


「並んだ順番は、相性もあるかもしれんぞ。相性が悪い人とは、出来るだけ離れたいと思うのは自然の情でござる」

「軍師殿、今後のために資料として残した方が良いかもしれませんね」


 軍師殿とふたりで三条城へ出向き、為景さまのお目通りをねがう。


「おお、久しぶりじゃのう。ずいぶん日焼けしおって、鍛錬に励んでおったのか? 何よりじゃ。景虎もやっと一人前の武将らしくなったきたのう。そなたらが訓導にがんばっておる お陰じゃ。お礼を言うぞ」


「実を申しますと、ここ二 ケ 月ばかり、越後の北から南へ走りまわっておりました」

「それで顔を見なかったのか。陰でコソコソ動いて、何ぞの用でもあったのか?」


「為景さま、この書き物をご覧いただけましょうか」

「うーむ、推戴状じゃと? 景虎を守護代に推戴したい、との嘆願か......」


「こちらが賛同する各地の城主がしたため、花押を押した連判状でございまする」

「巻物でなく色紙をつかっておるなあ。連判状にしては珍しい趣向じゃ。なるほど、こうすれば書く順番がもめずに済むなあ。お主らも気位のたかい城主の性根をよく心得ておる」

「いずれも独立心がたかく、ご苦労なされたものと拝察いたしまする」


「どれどれ、どんな名前が載っておるのじゃ。ふーむ、あの反骨心あふれる揚北衆から五名も賛成しておるのか。よくもまあ、署名してくれたもんじゃ。どんな手を使ったのか知りたいものよ」

「かれらの利を訴えましたでござる」


「なにっ! 上条の名前があるぞ。よくぞ八年前の遺恨を流してくれたものよな」

「宇佐美氏、安田氏、柿崎氏のご尽力のたまものでござりまする」

「あの三人が心を合わせるとは慮外のことじゃ」


「おお、平子の名前もあるな。此奴には危ないところを助けてもらった。元気でおったか?」

「はっ、景虎さまを大いに かっている様子でした。曾我兄弟のくだりをたっぷりと聞かされました」

「そうか、そうか。奴の十八番だからな。鼻をピクピクさせておっただろう」

「よく、ご存知で」

「相手の癖を見極めないで、交渉事の駆け引きはできんぞ。三分一原の合戦も、博打をうったようなものよ。よくぞ裏切ってくれた、いま考えると冷や汗ものだった」


「為景さまが百戦たたかったと誇っておられますが、紙一重の戦さも定めし お有りになったでございましょう」

「心の腑に悪いから出来ればしたくない。しかし人生に一度くらいは乾坤一擲けんこんいってきの大勝負を賭けねばならぬ時がまいる。その時に臆せず身を投ぜられるか、まさしく胆力が問われるぞ」


「連判状ごらんになって、いかが思し召しなされたでありましょうか?」

「やはりというか、上田長尾は加わっておらんな」

「はい、当家と張り合う気持ちが強いと聞いておりましたので、はなから除外しておりまする」


「あの揚北衆から、これほどの城主が景虎を買っているとは思いも寄らんかったぞ。お主らがこうして動き出したいじょう、表沙汰になるのは時間の問題じゃ。そうなると晴景もだまっていないであろう。自分を支援する仲間をつのって対抗するのは確実じゃ。はやく決断せねば、内紛のタネが広まってゆき騒動がおきかねない情勢となったな。」


「出過ぎた真似をしたとの お叱りは甘んじてお受けいたします。ご存知の通り、天下の情勢はおおきく変わってきております。最大の敵は信濃国へ侵略の手をのばしてきている武田家でございます。手をこまねいておりますと、必ずや越後と国境いを接し、侵攻してまいるでありましょう」


「信玄とやら、二年前に諏訪を手に入れたそうじゃなあ。今は村上家と小笠原家と双方をあいてに戦っておると、そこの真田からきいておる。聞けば聞くほど容易ならざる相手じゃのう」

「必ずや越後と覇権をあらそう戦いになるのは必至でござりまする。芽は小さなうちに摘むべきで、大木に成長してからでは遅すぎると存じまする」


「さらに小田原の北条 氏康も着々関東めがけて北上し攻勢をつよめております。関東管領の上杉氏もいつまで威を張れるか、おぼつかぬ情勢でございます」


「管領も戦さ下手の噂が流れてくる。たしかに越後の四周に強大な敵が台頭してきたのは間違いがない。晴景もこうした情勢を知りながら、手をこまねいているとしか見えぬのは歯がゆいかぎりだ。気持ちが優しいから優柔不断に陥っておるやもしれぬ」


「為景さま、いたずらに日を延ばしていては、相手の勢力拡大に手を貸しているようなもの。越後には しっかりと決断し実行する国主が必要でございます。先を見通し場合によっては、非情に徹する覚悟を求められまする。優しさは時に仇となりまする。ご決断をお願いいたしまする」


「わかった。景虎がかくも多くの城主に認められておるとは、色紙を見るまでは信じられなかったわ。わしの不明のいたすところじゃ。わしも景虎が十七でもなったらと、考えたことはあった。こうして動き出してしまっては、人の口に戸を立てられぬ。一年はやいが、景虎もこたびの正月で十六をむかえるな。年に不足はないだろう」


 今の時代は数えで年令を数える。来年二月の誕生日で満十五才に達する。


「戦さ場でも沈着で冷静に対処しておられました。頼もしい限りでございまする」


「わしもそう長くは生きられぬ。目の黒いうちに、しっかりと越後の基盤をつくるしかできぬわ。来春をめざして動いてみよう。守護にも頭を下げなきゃならんかもしれぬのう」


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