応援コメント

第七十三章 元 服」への応援コメント

  • 権力と武力による支えを求める各仏門宗派と民衆の姿が、
    お釈迦様の説いた元々の教えと
    どれほど乖離しているかを解説したところで、
    この時代においてあまり意味はないのかもしれませんが、
    考えるほどに、近世までの日本もヨーロッパ同様
    宗教的闘争、あるいは戦争が頻繁に起こっていたのですね。

    現代社会でさえ、宗教がらみとなれば冷静さを失う人々がほとんどというのに、
    一体どのような考え方ならば時代の「天下人」にふさわしいと言えるのか、
    教えを説く立場の、その困難さを思うと頭が痛くなりそうです。
    (*´∀`*)


    “パクス・パシフィカ” なる一つの『文明』を目指すならば、合理的な社会構造
    だけでなく、社会精神の核となる思想の規範がなくてはならないのでしょうね。
    虎くんは、精神の在り方の巨人をも目指さなくてはならない訳で、大変です。

    謙信公の歴史「if」物語というだけではなく、包括的文明を構築するという
    とんでもなく野心的なお話のこれからを、
    楽しみに追いかけさせていただきます♪

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    謙信や信玄の宗教にたいする考えが、純化するのでなく、利益があれば何でもありと、ある意味節操もなく貪欲にとりいれる姿は、日本人の多神教をうけいれてきた、大げさですが民族性を感じさせます。
    豊かな風土をもつ中国、インド、日本が多神教を育て、厳しい風土の国が一神教を生んだと地政学に背景をとく説もありますね。
    一向宗の欣求浄土で死をむしろ望んでたたかう狂信ともいえる信徒の行動は、法主の野望だけで説明がつくものでないですね。
    熱心なキリスト大名が権力より信仰を選んだ右近があらわれたり
    ガラシャ夫人のように殉教する人は一部の特殊な人だったのか
    考えさせられます。
    ご愛読ありがとうございます。