第四十七章 前 夜

 蔵田 五郎左衛門は、最後までその姿勢を崩さなかった。ある意味、商人としての資質を評価できた。冷静に損得の見極めを計ることができ、一時の感情に流されない。晴景さまも二十代の若さで家督を継いだ。


 温和な性格は、今のところ領内の安定をもたらしている。これから化けて名君となる可能性も秘めている。病弱は心配であるが、一病息災という言葉もある。まだまだ評価をくだす時期でないと判断しているのだろう。今後、つきあいに足る人物と見定めた。


 翌朝、彌彦神社へ出発した。城から北へむかい城下町を通って、彌彦神社へ行くコースが距離的に近いと思うが、道の状態がわからない。途中で引き返す羽目になったら目もあてられない。明日は大事な結婚式、遅れてきた花婿なんて一生ついてまわる。急がばまわれ、のことわざ通り安全策をとることにした。


 いちど通った道なので、迷うことなく彌彦神社に到着。どこの宿を取っているのか分からない。とりあえず社務所へ行って、明日の式が入っているか確認する。黒髪をキリリとまとめ、緋色の袴を身につけた巫女さんに尋ねた。


 右閉じの受付帳をひらいて探してくれた。たしかに永倉新一・古倉亜希子の名前で予約されている。むむむ、さすがに身が引き締まる思いがする。階段のわきに腰かけて、来し方行き方をおもう。


 やおら立ちあがって一之鳥居をめざして歩き始めた。石畳のうえをこちらに急ぎ足でちかづく男の姿が目に入った。うん、見たことがある顔だ。向こうもこちらを認めたのか小走りで近づいてくる。そうだ、荒浜屋の手代だ。笑顔で話しかけてきた。


「よう、ござんした。行き違いになるか心配で。じつは宿を半里ほど南の観音寺温泉にお取りしました。ご案内いたします」


 山裾にそって南下する北陸街道を歩むと、温泉宿がたちならぶ町並みに着いた。先ほどは気にもとめず通り過ぎたところだ。そうだ、中越大地震で温泉源が涸れてニュースになったことを思いだした。平安時代にさかのぼる歴史があり、江戸時代は湯治場として栄えた歴史をもつ。弥彦温泉の湯元しても有名。


 町並みでいちばん由緒ありそうな宿に案内された。九郎殿、はりこんでくれたようだ。足をすすぎ離れの部屋に通された。そこに古倉さん、お菊、九郎殿、そして見知らぬ女性が座っていた。


「おお、来たか。待ちかねておったぞ。先生は初めてであったな。こちらは愚妻の、お絹と申す。ぜひ付き添いで参列したいと申すので、連れてまいった。よろしいじゃろう」

「それは恐縮にぞんじます。お越しいただき、こんな嬉しいことはございません。永倉新一と申します。お世話になります」


「お絹と申します。主人に何かと目をかけていただき、まことに有難うございます。これはお礼といっては何ですが、ささやかなお返しでございます。私どもの気持ちをお受け取り下さい」


「あなた、お絹さんから嫁入り支度のなかから衣装をお借りしたのよ。こんな豪華な花嫁衣装を着られるなんて夢のよう」

古倉さんが瞳を輝かせ、弾む声で話してくれた。


「お主の衣装も用意してあるぞ。俺がいちど着た衣装で申し訳ないが......」

「これは、これは。私にも配慮していただき、なんとお礼を言ったやら」

「まあ、挨拶はこれぐらいにして、温泉にはいって汗をながそう。湯上がりの酒は、いっそう美味しいぞ」


 温泉はちょっと硫黄くさい無色の湯だった。美肌の湯がウリだそうで女性陣には

好評だろう。湯から上がると、部屋に食事の席が設けられていた。九郎殿の乾杯で宴が始まった。


 九郎殿に酒を注ぎながら、蔵田氏との会談の様子をかいつまんで話す。柏崎のちかくで、銅を精錬する敷地の候補地をさがす手はずについて概略を説明する。いずれにしても信濃国から戻ってから、本格的に歩き回らなければならない。


 そうそう、地球儀を忘れていた。直径十五センチくらいの厚紙で、表面に絵をえがける球体を作ってほしい。少々乱暴に取り扱っても壊れないよう、ある程度の強度がほしい点もつけ加える。


 明日の結婚式は流れに任せて出たとこ勝負だ。そうだ、古倉さんの一世一代の晴れ姿だ。できれば写真か動画で残してやりたい。うん、誰に頼めばいい? お菊が気の付く子だから頼もう、朝から特訓だ。


 手ぶれを起こさぬよう、きれいにアップの顔が撮れるかどうか。肖像画をえがく画家の手配は、古倉さんから話しを通しているんだろうか。この結婚式の写真もどうように必要となる。


 お絹さんのところで話し込む。九郎殿から、奥、奥と、敬遠しているのか恐れ奉っているのか分からぬところがあった。会ってみると、お侠でハキハキ受け答えをする愛嬌のある女性だった。商人の女将さんとして、うってつけの感じがする。


向こうから

「ホンに先生とお会いして良かったです。あの人は頑張り屋なんですが、あのころ何か前途に思い悩んでおりました。先の見通しが描けなかったのでしょうね。商売も気が抜けたようで投げやりになっておりましたわ。覇気がなくなったのが私に一番こたえた」


「結婚したときの溌剌したすがたが影をひそめて、女に逃げておりました。わたし薄々わかっていましたが、あの人が元気になるならと堪えてました。そこに先生が現れて、また昔のすがたに戻ってくれたわ。わたしが惚れていたころの男っぷりが返ってきて、今は毎日さっそうと生きております」


「恩人の先生になにをお返しできるか、考えておりました。ご結婚の話しを伺って、私のできる恩返しは之だ、とすぐ覚りました。私の心ばかりの気持ちですので、どうぞ気になさらずにお受け取り下さい」


「そうでしたか。亜希子もこの世界で、花嫁衣装を着られるなど夢にも思っていなかったでしょう。先ほどの喜びの声、僕は一生わすれません。お気遣い、ほんとうにありがとうございます」

と頭をさげた。


「先生、うちの奥も中々の美形じゃろう。改めて惚れ直したわ」

「まあ、皆の前で、そんな大声で...... 」

やさしく睨んでいる。


 古倉さんの傍に座る。酒を注ぎながら

「良かったなあ、皆いい人たちで」

「本当に。 あなたも一杯いかが? はい、返盃よ」


 飲み干した盃を手渡して、品をつくって注いでくれる。

「いよいよー、明日の三三九度の練習か?」

めざとく見つけた九郎殿がひやかす。皆がヤンヤと囃したてる。 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る