第三十四章 ポルトガルの洗濯女
ナタネの仲買人が思いどおり行かなかったこともあり、洗濯板を製作する大工との時間が空いてしまった。昨日と今日の問題点をあげて整理してみる。青カビは餅やミカンなど腐りかけて食品におおく発生する。多くのひとに声をかけて、どうやって集め研究所に持ってくるか。いちばん効率よくペニシリンを作れるカビを見つける必要がある。
しびんがなければ青カビの培養ができない。数がある程度そろうのは年を越してからだろう。それまでに、青カビを集める手立てを考えなければならない。理想のカビがどこに眠っているのか誰もわからない。干し草の山から一針を見つける難度かもしれない。
古倉さんは僥倖などに頼らない、ぜったい見つけると宣言していたが...... そうだ、愛する人を信じないで、愛していると言えるのか! 先がみえない労作業に絶望して、落ちこんだ時に支える人こそ愛おしく思う人の資格だ。
だけど仁のドラマでは梅毒に罹った人をペニシリンで治療していた。梅毒はたしか
コロンブスが新大陸を発見した現地人の風土病ともいわれている。あれは千四百九十二年のできごと。あれから五十年くらいで、地球の反対側に位置する日本まで病原菌が拡散するのだ。うーん、人間の欲望の深さに思いを新たにす。
けっこう戦国武将で梅毒に罹患した者の名前があがる。大名でなった者もいたらしい。越後まで広まっているか全くわからない。別の病気、敗血症などの患者から菌を採取することになるのかな。
おでんの銅製の鍋、原料の銅は、これから移入量が各段とふえる段取りになっている。やはりおでんの鍋は銅製でないと味まで違ってくる感じがする。
しかし、古倉さんが下唇を玉虫色に塗りたいと考えていたとは驚きだ。うーん、アイシャドーなら分かるんだが。江戸の人って意外とシュールだったんだ。
内湯の増築は、地元の直江津に住む大工でないと、後々の維持が面倒になる。
九郎殿がふたりで入れる内湯に拘っている。まさか、おかみさんと入ろうとの魂胆と思えないし、うーん他にまだ女がいる? 九郎殿、お体を大切にね。僕なら一人でも持て余す。これは独り言。
古倉さんが、九郎殿の発言に息巻いていたなあ。一緒になっても下ネタなど言える雰囲気でなさそうだ。もっとさばけていると思っていたが意外だった。公務員の家庭で育ったから厳格に躾けられたのだろう。
ぼくはバイト先の工場で、工員の駄じゃれや猥談を聞きながら働いてきた。耳年増だから話しの内容はだいたい見当がつく。口が滑らないよう気をつけなければ。
おっとっとう、古倉さんが眉をひそめて外を眺めている。自分の世界に入ると周りが見えなくなる。このアングルも心にひびく。じっと見つめていたい。
「ゴメン、ちょっと考え事してた」
「いいの、わたしも自分なりに考えていたんだけど、手術用のメスや鉗子など手術道具をどう作るか」
「メスは日本刀の応用で作れるのかな? あれだけ細くて小さいけど、職人は手先が器用だから何とかすると思うけど。鉗子は刃のないハサミのような形だよね」
「手術によって使い分けるから数がおおいわ。ステンレスなど無いから錆止めを考える必要があるわ」
「こうなると鉄を採掘する時をはやめる必要があるね。鉄鉱山の場所はわかってるんだ。奥只見ダムの近くだから、そこまでの道路を作るのが大変なんだ」
「鉱山だから山奥でしょう?」
「蔵田うじと早く会って、手をうたなきゃなりませんねえ」
そんなこんな話しをしていたら時間になったのか、大工が九郎殿と一緒に部屋に入ってきた。
「今の時代、洗濯をするとき、どうやって洗っているんですか?」
「そりゃあ、小川みたいな流れに行って、石に叩きつけたり踏んづけて洗っておるだろうさ」
九郎殿がなにを聞いているのかとの顔つきで答えてきた。
「麻などの丈夫な繊維は乱暴にあつかって大丈夫なんですが、木綿の繊維はやさしく
洗わないと破けてしまいます。そこで洗濯板の登場です」
スケッチした洗濯板をみせる。
「板に鋸目のような模様や、三角状の段がつけます。まず汚れた衣類を水につけて濡らします。濡れた衣服をこの洗濯板に押しつけてながら、洗濯物を往復させます。これで汚れがよく落ちますよ」
「ふーん、お主がよく言う木綿のことか」
「間もなく木綿の時代になるのは間違いありません。きっと重宝がられますよ。板のかたすみに焼き印をおして、商標登録代わりにして差別化できますね。この時代は実用新案特許のないときだから、すぐ追随者が現れます。いかに効率よく速く作って安く売るかが勝負になるでしょうね」
時機はちょっと早いか。三河木綿が出始めているからグッド・タイミングのはず。
祖父のオールディーズの持ち歌が懐かしい。
古倉さんが
「洗濯機があっても襟や袖口など汚れが落ちにくいから、部分洗いに洗濯板を使うわ。ただ百円ショップでプラスチック製を使うこともあるわ」
九郎殿と大工は話しについてゆけない。ウーン、意識しないと簡単にカタカナ語が出てくる。
「こうなると固形石鹸を開発しなければならないね。重曹せっけんは人肌用だし。やはり苛性ソーダが必要になるのか......」
これで荒浜屋での打ち合わせは、すべて終わった。
いよいよ為景さまと会うときがきた。
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