第三十三章 明日の百より

 午後からナタネの仲買人がやってきた。市場に卸すほどの収穫量はなく、片手間の仕事としか考えていないようだ。素人なので菜種についてよく分からない。房総半島の春の風物詩としてテレビで放映されるのを見て、きれいな花だなと思ってるくらい。仲買人もあまり乗り気を感じられない。


 仲買人が

「お百姓も目の先の儲けがないと、なかなか手をだしてくれません。目の前にニンジンでもぶら下げると走り出すかもしれませんが......」

「そうだろうなあ、明日の百より今日の五十、で当てにならない先のことより小さくても今の利を手に入れた方がいい、とおもっているだろうね。

こちらも頭の中は思案でいっぱいだけど、懐具合はスッカラカンの状態でね。初めから何でも手を出してもダメということだね。二兎追うものは一兎をも得ず、のことわざが正にピッタリだ。あれもこれもと、すこし手を広げすぎたね」


「それでも六つほど手をつけられたじゃない...... たいした前進だわ」

「そう思って慰めるしかないか。仲買人さん、お忙しいところお呼び立てしたけれど、目鼻がつく話しまで持って行けず、申し訳ない。ただナタネの栽培はからなず大々的に広めるつもりだから心がけておいておくれ。その時は必ず声をかけるから」

とお引き取りをねがった。


「あなた、時期をみて研究機関を立ちあげないと私たちだけでは行き詰まってしまうわね。作物の品種改良や栽培のやり方もそうだし、医薬品や医療器具の開発や医師の養成と手がいっぱいよ。時間がかかるかもしれないけれど、人を育てたほうが物事が進むわ。あなただって武器の改良や産業の育成もあるだろうし、気ばかり焦って手に付かず、の心境じゃない?」


「そうなんだ。 取りあえず、あと三人に会えば、予定の第一歩は踏み出せる。泣き言をいっても解決しないから、出来るところからやっているけれど、現実はアップアップだね。to do リストはドンドン増えてゆくんだけど、手つかずのまま ほったらかしになっている。ほかに清酒があるし、醤油も出てきたね」


「優先順位をつけるとトップは何?」

「やはり為景さまだね。ここの了解をとらないと、あとの二人に接触できない」


 そうだ、ここで古倉さんに僕が考えていることを話して、第三者の目で評価してもらうのも大切だ、と気付いた。九郎殿へ行くときは、会話らしい話しもなく飛びだした。


「まず虎千代さまの家督相続、これは時間に余裕があると思う。初陣が十三才だから

七年ほど時間がとれる。じっくりと思案を練る暇がある。

真田 幸隆はすぐ手をうちたい。主君の海野氏が村上 義清との戦に敗れて上野へ逃げるのが十一才のとき。まだ時間の余裕があるが、戦いの相手が悪い。

村上氏は後に上杉軍の有力な家臣になる人物なんだ。今は主君の敵という間接的な敵対関係だけど、遅くなればなるほど関係が悪化すると思う。その前にこっちの陣営に引き込みたい。領地は無理とおもうから、当座は金で雇うことになる」


「山本勘助が信玄に仕えたとき、最初は百貫文と言われている。手腕を認められて

次々と二百、三百、五百貫文と昇給するので、家臣が羨んだという逸話が残っている。今年が無理なら来春くらいに越後に来てもらえれば御の字なんだけど。

村上氏の関係も悪化していないから領内は無事に通過できると思う。この一筆を為景さまに認めてもらう」


「できれば早く来てもらって反為景派の切り崩しに辣腕をふるって欲しいのが本音」

「百貫文と言われてもピンとこないけど、妥当な評価なのかしら? 天下の真田でしょう」


「今の時点で評価は低いと思う。息子の昌幸や孫の幸村が大活躍したから全国区になったけれど。もっとも信玄につかえて間もなく、謀略で城を落としてから有名人になったね」


「もう一人蔵田 五郎左衛門。御用商人だから晴景派と思う。虎千代さまのために動いていると思わせたくない。あくまで越後の国を豊かにする、という建前で動かねばならないね。

一つは木綿の種子を入手する。伊勢神宮御師の称号は生涯はずさなかったようだから、伊勢神宮のつながりは保っていると思う。親族や一族が伊勢で勢力をはっているだろう。伊勢から三河は近い。手づるをつかって種子や栽培法を得てもらう」

「ふーん、御師といっても馬鹿にできないのね」


「二つ目は明や朝鮮へ輸出している銅塊。たしか石見銀山はすでに灰吹き法で銅と銀の分離する技術は完成している。しかし他の地方からは銀をふくんだ銅塊が博多に集められ輸出している。石見銀山以外の銅を買って、越後で精錬すると銀が自ずと手に入る。

また各地で作られる質の悪い銅銭も買いたたいて買い入れて鋳造し直す。京から東は永楽通宝が基準の通貨となっているが、新しい通貨を発行しようと考えている」

「勝手に通貨を発行していいの? 犯罪じゃない?」


「通貨の発行に幕府や朝廷の許可がいるのか分からないが、独自の通貨を発行している大名がいるので問題ないと思う。この通貨は当面 越後一国で通用できれば良いんだ。金との兌換を保証してもいいと思う。

あたらしい通貨は俸給として直属部隊の兵士に支払う。これで当面は領地を配分する悩みを解決できる一石二鳥の策と思う。 戦そのものが犯罪なんだから、通貨発行など、まだ可愛らしいほうじゃない?」

「兵士たちがそれで文句を言わなければね」


「自衛隊のように階級と俸給をきめて、それに則って支払う。これを領内で流通させて税もこの通貨で納めさせる。これで通貨の循環がうまれ自己完結して定着する」

「この政策で土地との関係を断ち切りたい狙いがあるんだ。一所懸命という言葉があるように、武士は自分の領地を守ろうとする本能がある。城のまわりに家臣を住まわせて領地とのしがらみを徐々に削ってゆく方法も併用してね」


「簡単にゆくかしら?」

「難しいだろうね。でもやらなきゃ自分たちがここにきた意味がない」

「変革者に死を!って暗殺される可能性がたかくなるわ。身辺に十分に気をつけて。お願いよ」


「お前のためにも、ここでは死ねない」

 おお、これで三回目の呼び名だ。だんだん抵抗が少なくなる。


「三つ目は山師と言うのか、鉱石をさがして見つけるプロを紹介してもらう。鉄がどうしても必要なんだ。大まかな場所は知っているので、鉱脈をみつけて採鉱の段取りを考えてほしくてね。こっちは採掘のことなど、まるで知らない。プロに任せるしかない」


「他国との支払いは永楽通宝で決済せざるを得ないが、支配地がふえれば新しい通貨が基準通貨となるだろう。統一の過程で通貨圏が広がってゆくと思う。最終的に紙幣も視野にいれているんだ」

「うーん、紙切れには相当な抵抗があるでしょうね」


「最後は金との兌換が気にならない時がくる。金属か紙かの違いは、たったの一歩しかない」

「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ、といった宇宙飛行士がいたね。あれから大きな飛躍があったかクェスチョン・マークがつくけど」


「ねえ、いつから、そんなこと考えていたの? いつも私のことばかりで頭がいっぱいと思っていたわ。私の自惚れだったのか、悲しい誤算ね」


 単純な人間だから、心の中すべてをお見通しだったんだ。

「ふふふ、ふくれっ面もチャーミングだ。君はどこから見ても完璧だ」

ここでキスしないで、いつする? 今でしょう。



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