第二十四章 ボールペン

 結局、ぼくの旅姿は前回とおなじく雲水姿になった。やはり僧侶すがたが一番あんしんできる。古倉さんの着物は麻の生地しかなく地味な色の着物姿となった。若くて

健康な肌に映えて、かえって似合ってみえた。色白だから何を着ても似合うんだ。

大切な診察道具は風呂敷につつみ胸にかかえて運ぶ。護身用をかねた杖はそのまま拝借している。


 寝間で古倉さんが化粧していたら、そばでお菊が片付けをしていた。部屋の片隅で小型のポーチから化粧道具を取りだした。折りたたみの鏡を開いて覗きこむ。絹白粉というのかパウダーをパフで肌をなぜる。キャップをはずし廻して出てきた口紅を唇につけて塗ってゆく。お菊がその様を呆然として見ているのに気付いた。


「あらっ、お化粧がめずらしいかしら?」 とにっこり微笑んでいる。

「その、そのう、お鏡、拝見してよろしいでしょうか」 とおずおずと尋ねた。

「どうぞ」 と手渡している。

「まああ、こんなにハッキリと...... 恥ずかしい」と絶句している。


 そうか、この時代はまだガラスの鏡は普及していないのだ。たしかザビエルが九州の大名たちへ贈り物として贈呈したと伝えられている。流通ベースで作られたのは十八世紀の後半、大坂といわれている。うん、これも特産品の候補になる。絹白粉や口紅にも興味をもって一心に眺めている。美しくなりたい、は永遠にかわらぬ女性の心理だ。


 江戸時代に気の利いた小間道具屋が「板紅」を商品開発した。携帯用紅入れとでも

言おうか。たちまち江戸中の女性のこころをつかんでベストセラーになった。リップスティックは金属加工が伴うので作製はむずかしい。


 しかし小筆で紅を塗る道具を一体化するだけなので、いわゆるアイディア商品だ。サイズは五センチほど、懐中に忍ばせて持ち歩けるのがミソ。漆や螺鈿など高級向けと、庶民用に板製など多種多様に作ればいい。これに手鏡をつければ、あっという間にヒット商品になるのは間違いない。


「これを使い切ったら、どうしょう?」 改めて心配になったようだ。

「古倉さんならスッピンでも十分お美しいです」

「新一君のため、もっと綺麗でいたい」

「ごちそうさまです」とお菊が笑いながら飛びだしていった。


 荒浜屋との打ち合わせに忘れないよう、和紙にボールペンでメモを取った。ちょっと書きにくい。一、 実験室に使う蔵。二、陶器のフラスコ。これは徳利に関連する。三、板紅の開発。四、まずは五右衛門風呂から。本格的には焚き口と湯釜を一体化してパイプで循環させたヒノキの浴槽をめざしたい。

 

 五、テンプラ作り。これには菜種油が必要だ。菜種は菜食用に栽培されていたが採油が始まったのは江戸時代。これも時代の先取り。六、卵。時を告げる鳥として崇められている。卵を食べるなど不敬極まりない。しかしメスだけ囲って生んだ卵はヒヨコにならない。いわゆる無精卵だ。ここから意識改革してゆける。栄養事情がすこしでも改善できれば。七、洗濯板。明治中期に伝来した。洗濯機の普及とともに廃れたが、意外と優れもの。 


 取りあえず、こんなところか。ボールペンは前回の時に贈呈しようと思っていたが忘れてしまった。インクが切れたら終わりだが、まだ使えるうちに渡してお礼の気持ちをこめたい。


 荒浜屋支店に聞いて、お菊を同伴することになった。お菊も思いもかけぬ旅に歓声をあげた。着替えなどイソイソとそろえてゆく。船はあけがた出発した。日本海もそろそろ荒れる季節に入ろうとしている。


 今回も凪で、佐渡島が水平線のかなたに、ゆったりと浮かんでいる。うまく海流と風にのったのか七時間半ほどで柏崎に到着した。櫓を漕ぐ必要がなかった。


 しばらく運動をしていないせいか、崖をのぼってゆく階段に息絶え絶えとなってしまった。うん、体が錆びついてきている。ジョギングしたいが目立ってしまうよね。船を砂浜に引き揚げた漕ぎ手の一人が先触れをしてくれた。船を漕がなかったので体力の消耗がなかった。


 店に近づくと、番頭いか店の者が揃って出迎えてくれた。うん、荒浜屋の評価は高いようだ。今のところ金食い虫で心ぐるしい。足を濯いでいると荒浜屋が現れた。

「おお、これはこれは。そんなに俺の顔が見たくなったか? あっはっはっ」

 と豪快に笑う。


「ええ、それがし自慢のタネ、嫁の顔をお披露目にまいりました」

 と こちらも調子をあわせる。

「あなた!」

 と、やさしく睨まれた。

「まあまあ、挨拶は奥で」

 奥の間へ案内される。


「あらためまして紹介いたします。これが妻の亜希子です」

「お初にお目にかかります。亜希子と申します。以後お知り置きください」

 と両手をついて頭をさげた。

「おお、さすがに先生はお目が高い。まれに見る美形でござる。お羨ましい」

「お恥ずかしゅうございます」


 慎ましく顔を伏せた。

「住まいの方は如何でござる?」

「瀟洒な建物、まわりは静かな環境。不満の一つもありません」


「お手伝いさんまでつけていただき、お礼の言葉もありませぬ」

 二人そろってお礼を述べる。

「気に入ってくれて、こちらも満足じゃ」


 女中がお茶を運んできて置いてゆく。

「まあまあ、長旅で疲れたであろう。茶でも飲んでお寛ぎめされよ」

「では遠慮なくいただきます」

 煎茶の方が好みだが、この時代では未だ生産されていない。


「ところで、何か急用でも出来いたしたか?」

「いいえ、突然あらわれて驚かせたことお詫びいたします。せんじつ虎千代さまに

お会いいたしました。さすが幼いながら天凜てんぴんは隠しようがありません。

天下人におなりになるお方とお見受けいたしました。しかし私の力だけでは及ばぬところがあるのも事実でございます。為景さまにお目にかかる前に、ぜひお会いしたいお方がおられます。虎千代さまの生みの母、虎御前さまです」


「ほほう、お主でも手に余る子か?」

「小さな時はともかく、少年・青年と成長してゆく過程で、自我との格闘が目に見えてきます。医師である妻の協力は元よりですが、母の存在も大きかろうと存じます」

「そのお方は何処に?」

「ご住職より栖吉城に住まわれていると教えていただきました」


「ああ、古志郡の城じゃな」

「長尾 景信さまが城主と伺いました」

「長岡街道で十里弱ほどかかるかの」

「えっ、長岡に近いのですか?」

「町の東側にあたる小高い山に建っている」

「うーむ」


「九郎殿に厄介をかけますが、ここを拠点にさせていただき、先ずは栖吉城。そして

三条城の為景さまにお会いしたいと思っております。妻を連れて参ったのは、いずれも健康に不安がございます。専門家の目で、病気がないか確かめたく同伴しました」


「おお、遠慮なく使ってくれ。すぐ向かったにしても暗くなろう。明日の方がゆっくりお話しができるし診察もできよう。今夜はお内儀に新鮮な魚で歓待いたそう」

「妻も先日の料理にたいそう羨ましがっておりました。お言葉に甘えて、たっぷりと

ご馳走になろうなあ」


「まあ、聞いただけでお腹が鳴ってきましたわ。遠慮なく頂戴いたします」

「おお、嬉しいことを言ってくれるのう。馳走の甲斐があるというものよ」


「では、その前にこれをご覧下さい。忘れぬよう書き留めたメモです」

 と懐から和紙をとりだして広げた。

「めも、とやら?」

「覚え書きのことです」


「筆の字には見えんぞ。何を使って書いたのじゃ」

「これでございます。ボールペンと呼んでいます」

「ぼーるぺん...... いぶかしげな名じゃのう?」


「九郎殿に贈呈します。妻も持っているので、私が使っていたのを差し上げます」

「そんな大事な物をもらって恐縮するなあ」

「このインクが切れたら、残念ながら二度と使用できません。替え芯は手に入りませんのでお含みおきください」 


 黒と赤の二色のボールペン。色の切り換えをおしえて書いて見せる。

「おお、まっこと不思議な物よな。赤と黒の墨がこの細い棒に入っておるとは...... 」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る