第十八章 出 立

  次の朝、二人で住職のもとへ顔をだした。益翁さんもすでに座っていた。

「昨日のそなたらの話しだが、益翁とも相談いたした。まず十才までとの申し入れだが、これはもちろん当寺で決められる話でない。ご当主の了解をとっていただく。

半日ずつ分担する案じゃが、家庭の雰囲気を味わうのが目的のひとつなら、泊まり

込むほうが濃密になると思案してのう。寺で五日、そなたの家で二日という日取りで

どうか、と思っておる」


「週休二日制みたいものですね。週末の土・日を休みにして気分転換をする」

「うむ、言葉の意味が分からぬが...... 曜日の考えは平安時代から留学僧によって、もたらされたと聞いておる。一巡りが七日なので、この割合が虎千代さまにとって、一番よいと考えておる」

「わたし達はそれで結構でございます。では土曜日の朝にお向かいに来て、月曜日の朝にお寺にお帰りになる、ということですね」


「住む家が応化橋の近くじゃったな。寺から一里半ちかくの路程だ。最初は幼い子に

とって厳しいかもしれぬが、足腰を鍛えるには手頃な距離であろう」

「町なかで暮らすことにより、名も知れぬ民の喜怒哀楽を肌で感ずることも、将来のまつりごとにお役に立つことと存じます」

「では虎千代さまのご訓導に精励いたせよ」

「はい、かしこまりました。」 ふたり揃って畳に手をついて頭を下げた。


「本日は昼から出立いたしたいと思っております。十五日は何時に顔を出せばよろしいのでしょうか?」

「昼すぎに参ったら紹介いたそう」

「はっ、その刻に参上つかまります。長々とお世話になり有難うございました」

 少しはこの時代の言葉遣いを覚えてきた。


 古倉さんがウキウキした様子で、借りた風呂敷に革ジャン・パンツ・スニーカーなど前の世のなごりを包んでいる。やっと気兼ねなく寛げる家にすむ気持ちは十二分に分かる。鼻歌を口ずさんでいるが何の曲か聞きとれない。


 お妾さんの家ということで祖父のエピソードを思いだした。祖父が中学生のころ、流行っていた流行歌を高祖母のまえで唄った。祖父の祖母だから、ぼくからすると何親等?


 まず父が一親等、祖父が二親等、その上だから曾祖父が三親等、もう一つ上だから高祖母が四親等になる勘定か。祖父が中学生の頃というから昭和三十年前後だろう。春日八郎という歌手が歌う「お富さん」が大ヒット。


 ラジオから流れる曲に自然と覚えて高祖母のまえで口ずさんだ。歌詞の一節に「粋な黒塀、見越しの松に、死んだはずだよ、お富さん」がある。歌舞伎の「切られ与三郎」からセリフを沢山つかっている。


 意味もしらない子どもたちが盛んに唄っていた。それを聞いた高祖母が激怒、そんな下品な唄を歌うなんて、と こぴっどく叱られたそうだ。なんで怒られたのか、その時は分からなかった、それから英語のポピュラー・ソングを歌ったら機嫌を直した。それ以来、祖父の愛唱歌はオールディーズ。座が白けるのもかまわず今でもカラオケのレパートリーにしている。ちょっと歌詞とリズムが合わないのはご愛敬。


 高祖母が怒った一節は「粋な黒塀」「見越しの松」「他人の花」といった仇っぽいセリフ。高祖父が財をなし、男の甲斐性とばかり、お妾さんを囲ったらしい。子供まで作ったというから、高祖母は頭にきていたのだろう。娘の曾祖母が妾の家へ怒鳴りこんだという武勇伝も後ほど聞いた。


 明治生まれで古武士のような立ち振る舞いで、背が高くいつも背筋をピンと延ばしていたという。写真をみると、なかなかの男前で、これでは周りの女性がほっとかない、と思わせる雰囲気がある。僕もその血をひいているとすれば気をつけねば。


 荒浜屋のお妾さんの家が黒い板塀で囲われているのか、庭に見越しの松が植わっているのか分からない。見越しの松は、塀ぎわにあって外から見えるように植えられた松のこと。シッポリ濡れた翌朝、なごりを惜しんでふりかえる意味もあると思っていた。これは名残りの松か、大石内蔵助が赤穂を去るときに、何度も見返した松とか。


 古倉さんがお尻をムズムズしている姿をみると、焦らすのが可哀想になって早めに林泉寺を出発した。修羅場になって明け渡すのが遅くなっても、店で待つしかないのに変わりはない。道は覚えたので彦兵衛はついてこない。

 

 何も起こらないと思うが、護身用に先日の杖を右手に、左手は風呂敷包みをさげて歩き出す。この時代にあわせ一歩さがって古倉さんがついてくる。「空は青空、ふたりは若い」なんで、こんな古い歌が頭にうかぶのか......


 慣れぬ藁草履で歩きにくいだろうと遅めのゆったりした歩調ですすむ。先日は周りの景色など見る余裕もなく彦兵衛の後をついていた。府中の町に入った。古代から古都として政治権力の中心、京都から多くの文化人の往来、さらに朝鮮半島や中国と

つながる国際都市と他面的な顔を伺わせている。


 今の時代、府中の町は大きく三つのブロックに分けられる。応化橋の下流一帯が港の機能をもつ商業地域。上流一帯が守護上杉家の館を中心とする行政地域。そして富山方面につづく国分寺、善光寺などの門前町地域。まだ町として一体化されていない。街道沿いに家並みがつづいている状態で密集している感じはしない。


 めざす場所はもちろん荒浜屋の今町の店。蔵田 五郎左衛門の店がどこにあるのか

興味があったが、わざわざ通行人に聞くまでもない。いずれ為景さまから紹介状を貰わなければならない時が来る。そう遠くない時季に。途中から杖を古倉さんに渡す。スローペースで歩いていても、足下は悪いし歩きづらい。少しは足の負担をやわらげてくれるだろう。


 やっと応化橋が見えてきた。

「もう少しですよ。足の裏は大丈夫?」

「ええ、何とか。ここまで来ると間近なのね」

「あの橋の手前にある通りを海のほうへ曲がるとすぐです」

「ああ、やっと着いたのね」


 話しをしているうちに店の前に立っていた。 

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