第十五章 寿限無
「それとお主の住むところだが、府中(直江津)の今町に某の出店を持っておる。ここ柏崎からも敦賀・小浜へ行き来できるが、何せ蔵田 五郎左衛門が青苧の支配主をしておる。今町に出店をおくのも大いに商売の助けになる。蔵に商品を貯蔵して、相場の先行きを考えて売ったり買ったりも商売のおおきな儲けの種よ。それで某も何度か出張って指図をせねばならぬ。お主の処へ四半期に一度おとずれるのも、商売と思えば別に苦にならぬわ」
「ここから先は男同士の話しで奥に知られたくない。二人だけの内に留めておいてくれ。うすうす分かっているやもしれんが、こちらから家庭争議の種を広めたくない。
実はこれ!これよ」と小指を立てた。ジェスチャーは昔も今も変わらぬとみえる。
「今町にも遊びどころは沢山ある。それで馴染みの女が出来たと思いねえ。そうなると手許でそっと飼いたくなるのが男心よ。甲斐性の一つも見せたくてな。ぶっちゃけた話し、お妾さんよ。出店からちょっと離れた家作に住まわせておる」
ため息をついて 「ちかごろ増長してきて我が儘しほうだいよ。某も鼻についてきて手切れの時を考えておった。そこにお主の登場だ。渡りに船だ。某がすっぱりと話しをつけるから、その後に住んだらどうだ? 夫婦者の下男・下女と若い女中も住み込んでおる。居抜きで住めるぞ。如何じゃ?」
「そのようなお話しなら否応もございません。ぜひお願いいたします」
「そうか、では今日いっしょに行って、話しをつけてしまおう。銭も年間で五十貫は一度で運べぬ。顔をだす毎に、小分けして持参した方がこちらも助かる。あまり大量となると人の目も気になる。噂になって、無法者の標的にされても困るじゃろう」
「確かに。それに銀行がありませんので、タンス預金も不用心ですね」
「銀行、何じゃそれは?」
「ああ、これも将来の課題ですね。お金を預けたり貸してくれる商売です」
「
「もっと広い商売をします。領国経営にかならず必要になります」
「世話をしてきた三人も妾といっしょに放り出されたら困るじゃろう。よし、話しのついでだ。三人の手当は某が負担しよう。三人も得体の知れぬ若者より、某の方が安心できるじゃろう」
「それはまた鷹揚な!いささか心苦しくなります」
「いいってことよ。これだけ腹をわった話しも出来るようになった。二人だけの時の、お互いの呼び名を決めようじゃないか。お主は、やはり永倉先生だな」
「先生とはまた大層な呼び名を...... お尻がこそばゆくなってきます」
「こればかりは絶対に譲れんぞ。某は九郎で構わぬ」
「では九郎殿とお呼びします。九郎殿これからも、よしなにお付き合い願います」
「こちらこそ永倉先生」
ふたりで顔をみあわせて大笑いした。
「寿限無ではありませんが『食う寝る処に住む処』が決まってホッとした気持ちです」
「寿限無?」
「落語という笑い話をかたる芸人がおりまして、その演ずるお題の一つです。機会が
あったら、いくつかお話ししてあげますよ。この時代なら狂言みたいなものです」
「そうか、楽しみに待つとしよう。では、そろそろ参ろうか?」
店のまえに荒浜屋と重そうな袋をもった手代、そして彦兵衛と四人が並んだ。大刀と小刀は袋におさめて背負っている。番頭さんら店の従業員が並んで見送った。前の通りを海のほうへ進むと、高い崖になっており、長い石段を伝って平地に降りた。通りが海岸線と平行に走っており、両側に軒をならべて建物が建っている。その一軒、石造りの倉庫が荒浜屋の持ち物だった。裏にまわると海が目の前に広がっている。
すでにテント船が砂浜に用意されていた。全長は六メートルくらい幅は広いところで一メートル三十センチメートルほど。人数と持ち物が少ないので一番ちいさな船が選ばれたようだ。ありがたいことに海は穏やかで波はひくい。漕ぎ手は二人で交代して櫓を漕いで直江津へ向かう。柏崎から直江津まで直線で三十四キロメートルくらい、時速二ノットとすると九時間ほどで到着する。
関川の河口についたら、川を上る。辺りは暗くなってきた。用意よく松明に火を灯して前方を確認しながら進む。一キロメートル弱くらい上ると、左岸(川は上流から河口にむかって右・左と呼称する)に荒浜屋の店があった。応化橋はまだ上流にある。こちらは林泉寺がわの陸地なので、寺に帰られると思うと気が高ぶる。
川側に大きな石倉が建っており、荷の搬出入が楽そうだ。川面から一メートルほど
たかく土手があって、大雨に備えている。石畳の階段が水面まで続いていて、船から濡れずに上陸できる。敷地も土を盛って土手より高くしてあって水災にあわぬよう用心してあった。二メートルほどの板塀がまわしてあり、建物の中への視線を遮っている。
裏木戸をあけて表へ廻る。急に来たせいか店はすでに閉まっていた。ドンドンと雨戸を叩いて到着を知らせる。主人とわかると、雨戸をとりこめ格子戸を開けた。番頭はじめ手代ら店の者が板間にならんで平伏した。すぐ濯ぎの桶が用意され、座敷に行く。立つときに、お握りを持参していたので、船で食べており夕食は必要がない。
荒浜屋が全員を集めて紹介してくれた。
「こちらは永倉先生と仰る。当店にとって大事な客人である。皆の者、粗相の無きよう致せ。先生の仰ることは我が命として受けよ」
「ははっ、かしこまりました。お言いつけ通りいたします」と番頭がこたえ、全員が平伏した。
「永倉と申します。今後ともよしなにお付き合い願います」と頭をさげた。
「ところで先生は、このあと如何めさるる。当店でご一泊なされますか」
「林泉寺のご住職へご報告がありますので、この足で寺へ向かいたいと存じます」
これは言い訳、本音は一刻もはやく帰って古倉さんを安心させたい。
「左様でございますか。では先ほどのはなし、明日中に片をつけます。いろいろ支度もあろうかと思いますので、明後日の夕方に当店に参りいただければ、番頭かだれか
店の者がご案内できるよう手配します」
「それは忝い。きっと妻も大喜びすると思います。いろいろご面倒なこと煩わせて申し訳ございません」
「何の何の。某は話しをつけて柏崎まで連れてゆくことになるでしょう。銭をわたして、はい さようならと行きますまい。行き違いになると思います。どうか安心して、この町でお暮らしください。こんどの会う機会には是非ご内儀を紹介ねがいたいものです」
「もちろん、まっ先に紹介いたします。妻もきっとお会いするのを楽しみにすると思います」
「それで先生、ちょっと こちらへ」と声の届かない縁側へ案内された。
「当座に必要な銭は手代が運んできました。実は不用心とおもい、寝間にカラクリ仕掛けを二箇所つくってあります。番頭にその仕組みを教えておきますので、お使いください」
「重ね重ねのご配慮まことにありがとうございます。これで私も後顧の憂いなく、越後の国のため邁進できます。手を携えて夢の実現に進みましょう」
思わずかたく両手を握ってしまった。いっしゅん驚いた顔をした九郎殿だが、ガッシリ握りかえして振ってくれた。
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