2-2 生きていく理由

 丘の上の校舎の屋上ということで、天体観測には上質なロケーションなのだろう。天文部の連中も、楽しみにしていた。


 俺のせいで、彼らのメインイベントを奪ってしまったのだが。


「まだ……星は出ていない……だろう」

「……先輩」


 俺は、100回チャレンジして99回は掴み損なったであろう梯子はしごを上り、申し訳程度に囲われた柵を乗り越えると、息も絶え絶えに紗枝さえに話しかける。


 彼女の方は既に柵を乗り越えていた。


「なんで、どうして」

「ごめん、ちょっと休憩」


 本当はすぐにでも駆け寄ってやらなければならないのだろうが、無理だった。


「……だいじょうぶ?」


 へたり込んだ俺に、心配そうな目が向けられる。


「ふぅー……、よし、もう大丈夫だ。だから、そんな目をしないでくれ、ますます情けなくなる」

「あの……」

「あー、待て。まずはこっちの要件を伝えさせてくれ。紗枝、悪かった」


 俺は立ち上がり、じりじりと紗枝に近づいていく。


「もう少し一緒にいるべきだった。情報海オーシャンで普通に話せているなら、リアルでも同じことだろうと思って―――ほったらかしにして、本当にすまなかった」


 今頃、SCP部や教職員や向日葵ひまわりたちがさまざまな手配をしてくれているはずだ。


 それまで、時間を稼ぐ。


「先輩は、ちょっと優しすぎます」


 俺とほぼ同じ目線でお揃いのライダースジャケットを羽織った少女から声が飛んだ。SCPの支配下にはないかもしれないが、俺にはよく分からない。


「優しくなければ、生きていく資格がないってやつだ」


 紗枝の目に緊張感が増したところで立ち止まり、再び座りこんだ。刺激は禁物。適切な距離をとる。あぐらをかき、空を見上げた。秋の空はまだ高く、薄い水色。天体観測にはまだ早い。


「私、もうやることがありません」


 紗枝が語り出した。


 開発者の両親の遺志を継ぎ、情報海オーシャンの危機を救うために生きてきたこと。


 全人生を懸けて臨んだことが終わってもなお、変わらず生活が続いていくこと。


「この話は、マツリやタカにもしました。なにもない私に、あの人たちは手を差し伸べてくれました。なのに、私はそれを―――」


 風が吹き、体温が奪われる感覚があった。紗枝は立ちっぱなしで寒くないだろうか、それだけが心配だった。


「今日、マツリたちに会えて、嬉しかった、と、思います。でも、何故か話すことはできませんでした」


 嬉しかったのか。それは、良かったと思う。


「おかしい、ですよね」

「どうだろうな。自分の人生が一変する瀬戸際でもあったわけだし、不安になるのは仕方ないんじゃないか。やっぱり、そこで傍にいてやらなかった俺が悪い」

「先輩は強情ですね。そんなに悪者になりたいのですか」

「良いもの扱いよりは気が楽だ」


 ここに上がってから、紗枝が初めて笑った。


「分かりました。なら、あなたのせいにしてあげます」

「そりゃどうも」


 軽く返事をしながら、弛緩した空気にほだされるなよ、と気を引き締める。


「SCP-3519って、ご存知ですか。そのせいで、両親は死にました」

「『自殺を誘発するSCP』のことか」


 紗枝が微かに頷く。


「そのSCPのオブジェクトクラスは2020年以降、既にSafe(セーフ)になっているはずですが、私にはまだ、とりついて離れていない気がしています。お父さんとお母さんが死んだとき、マツリたちと出会う前、出会った後、もう何度も、こうやって死のうとしてしまう」


 俺も、戯れにヘリウムガスのバルブを捻ることはあるが、紗枝のそれとは違う。

 彼女は、失い続けてきたからこそ、何かを得ることに怯えている。

 失う前に断ち切ろうとしてしまっている。


 俺はトッポを取り出した。


「一本やっとくか」

「……いただきます」


 限界まで手を伸ばすと、何とか手(に持ったトッポ)が届いた。


「「……」」


 しばし、ポリポリやる。先に食べ終わった俺から話し始める。


「親のかたきのSCPと、一応の決着はつけた。だから、もう自分には生きる理由がない。なら、ないまま死んだ方がいいんじゃないか。

 でも、SCP部が仲間に入れてくれた。今日リアルで会ってみたら嬉しかった。それなのに自分は茉莉香たちと一言も話せなかった。これからのことを思うと、やっていけるか、すごく不安になった。

 これ以上深くあいつらと繋がる前に、やっぱり死んだ方がいいんじゃないかと思った。そんな感じでいいか」


「そういう感じでいいです」


 サイレンが聞こえてきた。


「そうか。なら、一旦信じてみよう。その価値は、ある連中だ」


 俺は立ち上がって、伸びをする。夕方に差し掛かり、一番星くらいなら目を凝らせば見られるかもしれなかった。


「それでもし、ダメだったら、生徒会にでも入れてもらえばいい。今の役員はほとんど三年だし、もともと、なり手のいない人間の掃き溜めみたいなところだし、丁度、俺が辞めるところだしな」


「え!?」


 不祥事の責任を感じて欲しくないので、それについては軽く流す。


「それはそれとして、いろいろダメになって、死にたくなったら、俺に言え」


 近付く。ゆっくりと。


「話はいつでも聞いてやる。好きなだけ愚痴ればいい。で、どうしようもなくなったら、俺が一緒に死んでやるよ」

「先輩は、タカに似ていますね」


 似てない。条件反射で言おうとして、やめた。


「……分かりました」


 紗枝の目に、希望が宿ったからだ。


「いいでしょう。先輩を殺めるのは忍びないです。今日のところは、ここまでです」

「そうか」


 柵の向こうにいた紗枝がこちらに来ようと鉄の棒に手をかけたとき、屋上の扉が開いた。


「客が来たな」


 家持いえもちと、真白ましろ千久乃ちくのもいた。小走りで駆け寄ってくる。表情はかなり剣呑けんのんだ。


「一緒に謝ってくれますか」

「ああ」


 この子、意外と甘え上手かもしれない。俺は笑って頷く。


 瞬間、突風が吹いた。


「あ……」


 紗枝が、手を滑らせる。割合長時間立ちっぱなしだったひきこもりの足腰が、大きく後ろに煽られる。


 そちら側に、地面はない。


「紗枝!!」


 柵を勢いよく飛び越え、手を伸ばす。紗枝の背に手が触れ、それを屋上方面、家持たちが駆け寄ってくる方へ押しやった。反対に、俺の身体は、屋上から大きく離れていった。


「任せたぞ、家持」

「カミ!」


 血相を変えながらも紗枝を抱きとめた家持に、俺はサムアップをして見せると、後ろ向きに、頭から落ちていった。

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