1-4 紗枝と向日葵と雅人

 喧噪からやや離れた校舎の一室にある扉を開く。紗枝さえはなんとか回復していた。


「待たせたな―――ふっ」

「……笑いましたね。なんですか、託児所に子供を迎えに来たみたいだとか思ったのですか」

「いや、そうじゃない」


 実は半分くらい当たっていた。15歳の少女がかけるものではない鼈甲べっこうの大きな眼鏡をかけ、部屋の隅の椅子に体育座りしている所在なさげな姿を見て、迷子でも迎えに来たような感慨があった。


情報海オーシャンで1000人の違反潜行者レッドダイバーどもを束ねていたとは思えなくてな」

「放っておいてください。大体、別に束ねてなどいませんでした。一人で世界を変える気概もないタマナシどもが、群れる場所にしていただけです」


 言葉遣いが荒れている。こういう時は少し安心しているのだと、約半年の付き合いで理解していた。やはり、『初登校』で一人残されるのは不安だったのだろう。


「では、行くとするか」

「どこにだい? 副会長?」


 突然後ろから声がかかり、俺は一瞬の硬直の後、息を一つ吐きながら言った。


「不登校生徒の引率ですよ、会長。サボってるわけじゃありません」

「口に焼きそばのソースとたこ焼きの青のりがついているが?」


 向日葵ひまわりに指摘され、俺は早急に口を拭う。これは軽率。しかし、ホットドッグのマスタードまでついていなくて良かったと思わねばならない。


「あの……先輩は、私を案じて来てくださっただけです。文化祭なら、一人で回れますので」


 紗枝がおずおずと発言するのを、向日葵は軽く制した。長い黒髪を左右に揺らしながらこう言う。


「それには及ばない。高野たかの紗枝さん。情報海オーシャンの外で会うのは初めてだね。私は上瀬総合高校で生徒会長をしている鴻神こうがみ向日葵。来てくれて嬉しいよ」


 嘘偽りのない、真っ正直な目と声に触れた紗枝が、無言でこくこくと頷く。


「個人的な事情を詮索するつもりはない。ただ、この学校にいる時間が、楽しいものであって欲しいと思う。よろしければ、私たちと一緒に回ってくれないかい?」

「私たち?」

「不満かい? 食いしん坊の神崎くん」


 マム、ありません、マム。


「ふふふ、では、行こうか」


 珍妙な三人組が完成してしまった。


※※


 紗枝を真ん中にして、三人横並びで模擬店の屋台通りを歩いていく。


「気分は悪くないか」


「何やら好奇な視線をひしひしと感じます。ひきこもりには厳しい環境です」


「考えすぎじゃないか」


「いや、私も感じるよ。そのお揃いのライダースジャケットのせいじゃないかな」


「そうですかね」


 紗枝が「外に出る服がない」とのことだったので、俺が行きつけの店で買ってきたものだった。バイクに乗せていくのだし、ちょうどいいと思ったのだが、変に目立ってしまう結果となった。ちなみに、向日葵の方は秋らしいシックな色合いのニットソーに、裾の広いパンツを合わせていた。


 紗枝に謝罪する口を開こうとすると、こんな声が上がった。


「でも、悪くはないです」


 左隣の少女の目には、確かに、少しの疲労と、ウキウキとした色があった。


「こうしてお二人の真ん中にいると、何だか、家族のようです」


 数刻、俺たちは立ち止まった。紗枝が天涯孤独の身の上だというのは向日葵も知っている。


「でも、父が随分と小さいのですが」


「放っておけ」


 再び歩き出す。再び紗枝の方を見ると、父の形見だという鼈甲べっこう眼鏡の奥が、ほんの少し笑みを形作っていた。


「高野さん、それはつまり、私が母親ということかい?」


「う……はい」


 少し失礼だと思ったのか、紗枝がおずおずと頷くと、向日葵の顔が見たことのないほど輝いた。


「よし、何でも好きなものを買ってやろう」


「急にどうしました」


「パパがね」


「しかも俺か」


「そうだ。何なら三人で手でも繋ごうか」


「本当にどうしました?一体何のスイッチが入ったんです?」


 切れ長の目が柔らかく細められ、とにかく嬉しい、楽しいことは伝わってくるが、具体的な歓喜の理由は不明だった。


※※


 午後になった。三人の腹が膨れ、俺の財布が萎んだところで、野外特設ステージが慌ただしくなる。


「マツリたちのバンドですか」


「ああ。命知らずにもメインステージで応募してきやがってな」


「しかも、厳正な抽選の上で受かってしまってね」


 生徒会長および副会長として不徳の致すところである。


 私立らしい潤沢な資金によって、ステージ音響はプロがやってくれる。ダンス・演奏・漫才・コントなど、様々な演目がある中、松田先輩が使っているTAMAのドラムセット(家の力でセット一式を持ってきたらしい)が持ち込まれ、重そうなマーシャルのキャビネットやYAMAHAのキーボードが運ばれてきた。


 そして本番、茉莉香たちのバンドが登場した。


 歓声。そして、演奏が終わるころにはそのすべてがブーイングになっていた。


 演奏については、家持のギター(テレキャス)が相変わらず下手だった以外は、おおむね安定したと思う。そのすべてを台無しにしていた歌については、語るべきことなど無い。


 それを見つめていた紗枝が言った。


「すごいですね。歌詞はどこぞの星の人造言語エスペラントですか?」


 残念ながら我らが日本語だ。まったくそうは聞こえなかったが。


情報海オーシャンの上っ面は訂正します。電脳潜行するためのヘッドセットのネジくらいの歌唱力でした」


 だからその例えはよく分からない。


「ボーカル一人でここまで全体をぶち壊しにできるものかと感心しました」


 ごもっとも。だが、言葉こそ辛辣ではあるが、目が嬉しさで少し潤んでもいる。俺は、こう言ってみた。


「この後、SCP部が情報海オーシャンで出し物をするそうだ」


「……はい、聞いています。準備も手伝いました」


「いい機会だから、行ってみたらどうだ。なに、一目会って挨拶をしたらすぐに電脳潜行ダイブすればいい。その後は、いつもの部活動だ」


 迷っている様子だったので、さらにこう言う。


「茉莉香は、別に無理してまで会おうとはしないだろう。情報海オーシャンで会えればそれでいいと思っているかもしれない。けど、会いたくないわけでもなさそうだった。だから、とにかく、お前次第だ」


 向日葵が無言で、そっと紗枝の肩に触れた。


「私がついて行こうかい?」

「……ちょっとだけ、お願いします」


 向日葵がにっこりと笑うと、俺に目配せした。


「ここはお母さんに任せるとしよう」

「ふふっ。高くつくよ」


 俺の渋面に先輩と後輩は共に微笑むと、ステージ裏、恐らく凹んでいる茉莉香を慰めているであろうSCP部たちのもとへ歩いて行った。

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