4-4 クラゲの生き方

 下瀬の浜辺は海水浴場ではない。なので、人が寄り付かない岩場は、下瀬および滝島と、一部の上瀬の悪ガキどもの穴場だ。ここに流れ着いてくるガラクタを使って遊び、貝などを密猟し勝手に食べる。


「ここで昔、クラゲを助けたことがある」


 岩場に佇む人影に近づく俺もその一人だ。平和な男児だったので、もっぱら海を見るためだけに来ていたのだが。


「透明で、自力ではほとんど泳げなくて、それでも海にいるしかない。どんな気持ちなんだろうなと思っていたよ」


 自分にはもっと居るべき相応しい場所があるのではないか。クラゲは、そう思って海を出たのかもしれなかった。だが、生き辛い海を脱した陸の上は、さらに生きることが難しい死の場所だった。


「クラゲは、いつかウミガメに食べられてしまうそうだ。『老人と海』って小説に、書いてあった」


 たとえ、漂い揺れることしかできなくても、人生には戦う価値があると、そう言えるのだろうか。


鷹丸きみのことを知るために、滝島に行ったことが何度もある。太平洋にしてはあまり綺麗な方じゃないけど、俺はこの海が好きだな」


 今は陽も暮れ、遠浅の影が足元からずっと伸びるばかりだった。


九鬼崎くきさき主審に、バイオレイションを取られたのか」

「―――まぁ、そんなところだ」


 ようやく、鷹丸くんが小さく声を出した。足場に気を付けながら彼の横に並ぶと、その右手に、光るものが握られているのを見た。


「それが、例の指輪か」


 彼の目を見た。瞬時に、何をするか悟った俺は、両手を伸ばす。鷹丸くんの右手が指輪を海に放り投げようとしたのと、ほぼ同時だった。


「諦めたらそこで試合終了だよ?」


 一度言ってみたかった台詞を言えた。


「よく分かったな、カミ」

「何年君をスカウティングしてきたと思ってる」


 そう言い終えた瞬間、空に花が咲く。

 指輪が輝き、天空から太鼓の音が響いた。

 浜辺の方から花火に向けた人々の歓声が聴こえる。


「今年も大きな花火だな。野郎二人で見るには勿体ない。松田先輩と、野口のところに行こうじゃあないか」

「また調子に乗っちまった」


 鷹丸くんの腕の力が弱まった。目の色が悲愴な覚悟から後悔に変わっていた。


「SCP部に入って、茉莉香まつりかたちに会って、面白れぇことやって、バスケ部に復帰して、ウィンターカップ優勝して、またアメリカに行けるようになって―――なのに、一つ成し遂げる度に、それまで大切に持っていようとしたものを落としちまう」


 鳥の鳴き声のような音。花火がまた打ち上がったようだ。


「カミの言ってた、独りよがりなプレーばかりしてた頃に戻っちまう。自分一人で何でもできる気になっちまう。つまんねぇ、くだらねぇ奴だよ、俺は」


 その反省こそが成長ではないかと説教するのは簡単だが、受け入れてもらえるか自信がなかった。


「……そうか」


 千久乃ちくのではないが、こういう時、付き合ってきた年月の薄さに、無力を感じる。ここにいるのが家持いえもちなら、いや、別のSCP部員なら、と思う。なんで俺がここに来てしまったのか。ミスキャストだ。


「悪かったな。もうまっつぁんたちの方に戻っていいぞ。茉莉香は、家持と真白ましろが上手くなだめてると思うし」

「―――ああ」


 また、失敗した。何でも一人でやろうとするとこうなることは知っていたのに。せめて誰かと来ればよかったのに。


 きっと、今の俺は鷹丸くんと同じような目をしている。でも、俺と比べるのはおこがましいほど、彼は人に恵まれてる。きっと明日には、またいい方向に物事が行っているはずだと思った。


※※


 行っていなかった。


 翌日、店長と二人きりで怒涛どとうの如きランチタイムにまさに文字通り忙殺され、うの体で一時間の休憩にありついている俺に、非情な連絡が届いた。


『マツリが空港に来ていない』


 ―――まったく、強情な女だ。

 家持からのメッセージに、俺はそう思った。

 そして、人をあまり買い被らないで欲しい、とも。

 この怒りにも似て、少し違う煮えくり返った感情はなんだろう。


 そういえば、家持と一度だけ、一年生のときに話をしたことがあった。

 鷹丸くんがバスケ部に復帰して、SCP部がメンバー集めをしていたときだ。

 肩書だけは全中優勝校の部員だった俺を誘ってきたのだ。もちろん断ったが。


 俺は試合に出たことがない。パスを出されても、戸惑って受け取り損ねて、プレーを止めてしまう。それでも、誰かがボールを寄越してくれるなら―――。


「おーい! 休憩中悪いんだけど、早めに来て―――」

「行ってきます」

「どこに!?」

「知ってますか、店長。俺、生徒副会長やってるんですよ」

「それは聞いたことあるけど……」

「遅刻してるバカな生徒がいるんです。取り締まらないと」

「今じゃなきゃダメなの!? この総勢20人の団体さんが入ってきたタイミングじゃなきゃダメ!?」


 俺の周りには落ち着きのない大人が多い。


「はい。今じゃなきゃダメだし―――どうやら、俺じゃなきゃダメらしいです」


 俺はどんな顔をしていたんだろう。


 店長の目に諦めと承諾の色が見えたので俺は店を出た。


「なるほど、お前にもそんな青春するときがあるんだなぁ、分かった。俺だって男だ。たった一人で20人以上の客の注文、さばきってやるから、お前も早く―――って、おいいいいい!! せめて最後まで聞いてえええぇぇ!!!!」


 時速60㎞で離れていく店長の声はよく聞き取れなかったが、恩に着るという意味で、俺はエンジンを一つ吹かした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る