3-3 夫婦喧嘩と映画

 俺は下瀬しもせにあまり詳しくない。


 とりあえず近場の大型ショッピングモールに行くことにして、道中、鷹丸たかまるくんと話をする。


「一体このお姫様は何がご不満なんだ?」


 いつものように炙ったトッポを齧りながら訊く。鷹丸くんにも薦めたが、怪訝な顔で断られた。


「そんなことどうでもいいでしょ」

「お前が話に入れる話題を選んでくれてるんだ。感謝しろよ、こんなことに付き合わせて、悪いな、カミ」

「いや、こちらこそ無遠慮だった。話したくないことなら、別にいい」

「いいさ。単純な話だ。指輪をな、落としちまったんだ」

「なるほど、それでこんなに怒ってらっしゃる」

「落としたのも茉莉香こいつなんだけどな」

「事情が変わった」


 突然話の筋が読めなくなった俺は、少し後ろを歩く茉莉香まつりかに目を向ける。頭三つ分ほど身長が高い鷹丸くんよりも首が楽だ。


「なによ」

「鷹丸くん、悪くない、アナタ、全面的に悪い」

「腹立つ喋り方やめなさい。いいのよ。私は、この馬鹿の分も怒ってるの」

「どんな理路で」


 茉莉香が俺たちと並んできた。右隣に鷹丸くん、左に茉莉香、俺が挟まれる形になる。


「鷹丸が怒らなかった分、私が好きな人の大切なものを大事にできなかった人間を叱ってるの」

 という理屈が左耳の鼓膜を震わせると、

「安物の指輪一つで、俺が好きな女が自分を責めてる。その状況が耐えられないって言ってるんだ」

 との反論が右の耳朶じだを打った。


「安物なんかじゃない。SCP2000の事件のとき、一人ぼっちになりかけた私に鷹丸が買ってくれた大切なものよ。ペアリングなんだから、一個無くしちゃったら意味ないでしょう」


「あの時は、ああやって俺の気持ちを示す必要があっただけだ。SCP部も復活して、情報海オーシャンも平和になって、騒ぎを起こした財団のカルト連中もとっ捕まえたんだし、もうお役御免ってことだろ」


「嘘つかないで! 学校にはしてこなくなったけど、家では大事にしてるって花凛かりんちゃんから聞いたわ」


「あんのバカ、余計なこと言いやがって」


 ちなみに、花凛とは鷹丸くんの妹だ。


「私にとっても、すごく大切な思い出が詰まったものだったのに。覚えてるでしょう? この先何があっても、俺はお前を一人にしないって。そう言いながら、指輪、付けてくれたじゃない」


「そりゃ、忘れるわけないけどな―――」


 左側の声に、涙が混じり出した。


「本当に、自分が嫌になる。ちょっとはちゃんとできるようになったと思ったら、これ。いつまでたっても、ダメリカのまま」


「おい、それ以上自分のことを悪く言ったら、俺が怒るぞ。あと、ダメリカは俺の専売特許だ。勝手に取るな」


「じゃあ怒りなさいよ。アンタが怒んないから、私が代わりに―――」


「それが意味分かんねぇっつってんだろ! いいじゃねぇか、もう俺たち、そんなモノで繋がってないといけないような薄っぺらい関係じゃねぇだろ。なぁ、カミ」


「ん? うん……」


 旦那―――じゃなくて彼氏からお声がかかったが、トッポを咀嚼そしゃく中ゆえ、良い返事ができなかった。


「お前もなんか言ってやってくれ。このヘンクツポンコツおマツリ女に」

「私が全面的に悪いって、こいつも言ってたでしょ。そういうことなの、ねぇ?」


 俺はトッポを飲み込むと、こう呟いた。


「甘い。トッポ一本で糖尿病になりそうだ」


※※


 やいのやいのとやりながら、ショッピングモールに辿り着く。


 昼食前に映画でも観るかということになったが、先ほどまで徹底的にお互いを思いやった夫婦喧嘩を繰り広げていた割に鷹丸くんと茉莉香の趣味は合わず、なかなか決まらない。


「カミが選んでくれ」


 なかなかまとまらないカップルの様子を、それでも微笑ましく眺めていた俺に選択権が回ってくる。


「そうね、このままじゃ埒が開かないわ。なんでもいいから決めて」

「なんでも? じゃあ、これを観よう」


 俺は一つの映画ポスターを指差した。初夏の映画といえばこれである。


 ―――十分後。


「ねぇ、鷹丸」

「……なんだ」


 時折、子供たちの嬌声が響く館内で、妙にマナーのいい声量で茉莉香が鷹丸くんに問うている。


「なんで私たち、ポケモンの映画なんて観に来てるの?」

「……さぁな」


 ブツブツと文句を言う声が届くが、休日のシアターで中央の席が三つ取れたことに歓喜している俺は気にしない。親子連れの真っただ中に高校生の男女三人は肩身が狭いだろうが、我慢してもらおう。


 何しろ友達がいない上に情報海オーシャンにも行けなかったので、俺の幼少期のお供は兄の部屋にあった古いアニメ映画のDVDだった。


 海外のディズニー、ピクサー作品はもちろん、国内のドラえもん、クレヨンしんちゃん、そしてポケモンといったソフトを、それぞれ三回以上見直した上に、レンタルで過去作もすべて洗った。どれも、夢中になって観た。同じように、新作が作られると、親に小遣いをせびって一人で映画館に通った。そしてそれは、今も続いている。


 今こうしてスクリーンに映し出されている“動く絵画”たちは、間違いなく俺を救ってくれていた恩人だ。俺は2Dの画面に全身を飛び込ませるような意識で、主人公たちの冒険に没入していった。


 90分の上映が終わった。良かった。もう何十作も作られているが、今回が一番良かったかもしれない。いや、去年も同じことを思っていたかもしれないが。


 シアターが明るくなり、隣に目をやった。茉莉香と目が合う。


「あんた、泣いてんの?」

「悪いか? 良かったろう」

「いや、いいけど、良かったけど。ていうかポケモンなんて久しぶりで超懐かしかったけど―――」


 そこで言葉を切ると、茉莉香の相好が崩れた。


「あんた、映画観て泣いたりするのね。ちょっと可愛いところあるじゃない」


 可愛い、という評価は心外だったので、急いで目元をぬぐった。


「さ、出ましょうか。ねぇ、鷹丸、行くわよ……」


 座高も頭二つ分高い鷹丸くんの方を見上げた茉莉香が絶句した。


「あんたも泣いてんのかい!」


 涙、滂沱ぼうだとして禁せず、という様子の鷹丸くんにハンカチを手渡しながら、茉莉香が突っ込む。


「むしろあれで泣けない茉莉香がおかしいぞ。なぁ、カミ」


 その通り。やはり、鷹丸くんとは趣味が合うようだ。


「別におかしくないし、ていうかアンタもドヤ顔してんじゃないわよ! 腹立つわね!」


「大丈夫だ。鷹丸くんは取らないよ、奥さん」


「うきー!!」


 猿化した茉莉香に俺たちは笑うと、ほぼ同時に鼻水をすすった。

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