第六十八話


 かくして、槙島は離脱したわけだがその後も勉強会は続行。男一人と少し気まずかったものの、逆に集中できたかもしれない。

 そろそろいい時間かなと気が散らないようカバンにしまっていたスマホを取り出す。

 電源をつけると、新着メッセージがありますとのラインの通知が来ていた。スワイプして開いてみる事にする。


「……ってうおっ」


 見てみれば、メッセージの吹き出しがポコポコポコッ!と凄まじい速さで流れだした。あまりのメッセージの多さについつい声が漏れてしまうが、全て槙島からのものらしい。以下はメッセージの内容だ。


 勢いで飛び出したけどどんな今どんな感じだい……(震え声)

 特に森江さんとか、あと森江さんとか(; ・`д・´)

 きっと大丈夫、だよね?(´・ω・`)

 え、もしかしてやばい?(;´・ω・)

 やばいのかぁ……(;´∀`)

 そ、そ、そ、そうだよね、いきなり逃げるとか頭おかしいよね(/_;)

 当然だよ……当然……ぼ、僕は、なんで逃げてしまったんだ(~_~;)

 嗚呼、もう駄目だ……もうおしまいだぁ( ノД`)シクシク…

 

 略。


 そこから嘆きのメッセージが十数件にまでのぼると、最後には『しにたい……( ;∀;)しにたくないけど!』と締めくくられていた。

 

 えっと、なんていうか、あれだな。とりあえず電源切っててすまん槙島……。

 申し訳ない旨を伝え、森江さんも特に悪い雰囲気にはなってなかったことをメッセージで送っておく。


 槙島が一人ベッドの上にのたうち回っている光景が思い浮かび苦笑いがこみ上げてくると、携帯をつけた本来の目的を思い出す。


「今は……六時か」

「もうそんな時間なんだ」


 俺の呟きに斜め前の姫野さんが顔を上げる。ちなみに元々槙島がいた席は女子たちの荷物置きに提案して姫野さんが来るのは阻止させてもらった。一度荷物を置いたにも拘わらずそれをどけて露骨に座りたがれば、あかりはさておいても河合や森江さんに変な誤解を招くかもしれない。姫野さんとてそれは避けたい事だろう。何せ俺に対する思わせぶりな行動は本当の意味で思わせぶりなのだから。


 ……とは言え、思い返してみれば割と誤解を招きそうな行動をされてきた気もするが、まぁ姫野さん的には大丈夫だったのだろう。


「あーしんど。もう無理」


 ぽてんとシャーペンを投げ出したのは森江さんだった。それに対し河合が「疲れたねー」と伸びをする。

 あかりに至っては椅子に深く腰掛け、天上を朦朧と仰ぎ見ている。なんとなくその視線を辿ってみると、あるのは公共施設によくある白いドームのセンサーだった。


「あ、ドーナツだ……」


 いや絶対違うと思う。まぁ俺もあんまり用途は分からないけど。でも食べられるものじゃないのは流石に分かると思うな!


 勉強しすぎて頭どうにかなっちゃったんじゃないかと心配になるが、よく考えればいつもあまり変わりないか……。勉強しようがしまいが、あかりはきっと同じ事を言うのだろう。そしてまた、もし俺が何か言った所でその反応も変わらないに違いない。

 

 なんとなく胸の内にわだかまりができた気もするが、無視してラインを閉じスマホの画面を切った。


 マナーモードにしてカバンにしまうと、場がだんだんと解散ムードに移行する。


「うーん、もうこんな時間だし、そろそろお家に帰った方がいいかな?」

「さんせーい」


 河合が切り出すと疲れた様子から一転、森江さんが嬉々と賛同する。どうやら相当お疲れだったらしい。森江さんの中で解散はもう決定事項のようで手早く筆箱やらをカバンにしまい始めた。


 河合はそんな森江さんに若干苦笑いを浮かべつつも、俺達にもどうかな? と尋ねてくる。


 俺は賛成の意を込め頷くと、姫野さんもにこやかに頷き、あかりは「晩御飯の時間だからね!」と森江さんと同様早々と教科書を片付け始めた。こちらは相当お腹が空いていたらしい……。



 各々帰り支度を済ませ百貨店を出ると、空はまだ意外と明るかった。

 そう言えばもう五月も半ばかとなんとなくしみじみとしていると、森江さんが口を開く。


「私は帰りはママが迎えに来るからここで」


 それじゃ、と森江さんは言うと、路上駐車の車が並んでいる通りの方へと歩いていく。

 見送っていると、ふと河合がこちらへと向き直る。


「えっと忍坂君と、あとあかりちゃんも電車だよね?」

「も、っていう事は河合もか」

「うん。降りる駅はちょっと違うと思うけど……ちなみにことみちゃんも電車?」


 姫野さんにも聞く河合だが、どことなく気を遣っているというか、若干探るような感じだ。

 姫野さんも微妙な雰囲気の違いに気づいているのかは分からないが、少なくとも見た感じ特に変わった様子もなく河合に答える。


「うん、普段なら電車なんだけど、今日はちょっとだけバイト入ってるからバスなんだ」

「え、姫野さんバイトしてたのか?」


 初耳だったのでつい割り込んでしまった。


「うん、ファミレスでね。コウ君も一緒に来る?」

「え、ああ……」

 

 っていくわけ無いだろ!? あまりにさらっと言うから流れで頷きかけたわ!


「お金が無いので遠慮しておきます」

「それじゃあ、一緒に働く? 実は人手不足でバイト募集中なんだ」

「働きまー……」


 断ろうとするが、少し思いとどまる。

 バ、バイトか……。そういうところって案外青春が転がってたりしそうだよな。俺なんだかんだ帰宅部になっちゃってるし、実は割と時間も持てあましてるんだよなぁ……。

 思いがけない可能性に思考が明後日の方向に行きそうになっていると、ふと姫野さんの艶やか髪が目の前を横切る。


「私はコウ君がいてくれたら、もっと色々楽しめるんだけどなー?」


 魅惑的な声が耳元で囁くと、フローラルかつ甘い香りに包まれる。

 ぐぅっ……! なんという破壊力!! つい崩れそうになるが男忍坂考哉! ここで膝を折っては一生の恥だぞ!


「それに、今日みたいに遅い時間のシフトだと夜道も一人じゃ怖くって」


 そんな事を言うと、なんと姫野さんは俺の腕の裾をつまみ上目がちにこちらを窺ってきた!

 ああっ、これはっ!

 静かな夜道を男女が二人で並んで歩く光景が目の前に広がる! なんという青春なシチュエーション! なんという眩い空間! なんという輝かしい思い出! 最後にはあれだろ!? 手、つないでいもいいかな? とかなるんだろぉ!?


「え、レストラン行くの!? 私も行きたい!」


 目の前に異次元空間を広げていると、あかりがキラキラと目を輝かせる。

 姫野さんは俺の袖から手を放すと、あかりへと向き直った。


「あかり、コウ君は遊びで行くんじゃなくて、お仕事で行くんだよ?」

「じゃあ私も仕事する!」

「駄目だよあかり。あかりは普段部活があるよね? お仕事する時間なんて無いでしょ?」

「うっ……気合で、なんとか……」

「なりません」


 姫野さんにばっさり切り捨てられると、あかりはがっくり項垂れる。まぁ運動部でバイトは流石に辛いよな。その点帰宅部なら時間もたっぷり、余力もたっぷり。新たな青春の扉が開かれるに違いない……っていけないいけない。いつの間にか頭が勝手にバイト始める前提になっていた。


 これも姫野さんが俺が働く前提であかりをさとしたからだな。なんという恐るべき話術! 違うね。


「わ、私なら文化部で週二回しか部活無いからお仕事できるよ!」


 不意に、静観していた河合が口を開いた。

 三人同時に視線を浴びると、河合は心なしか気まずげに視線を泳がせる。


「な、なんちゃってー……」


 エヘヘ……とぎこちない笑みを顔を赤くする河合。

 その姿がおかしかったのか、くすりと姫野さんが口元に手を当てる。


「確かに、ここのみんな、あと森江さんとか槙島君とかと一緒にバイトしても楽しめるかもね」


 姫野さんが言うと、若干強張っていた河合の表情が和らぐ。

 心なしかホッとした様子を見せる河合に少し懐かしさを覚えていると、あかりが姫野さんと河合の手をとり上に掲げた。

 

「うんうんきっと楽しいよ! だからみんなでバイトしよう!」


 あかりが嬉々として言うと、姫野さんは意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「うーん、流石に人手不足でも五人は多いかな? まぁどちらにせよ、あかりはバイトする時間無いんだけどね」

「そんな! 私だけ仲間外れ……ぐすん」


 半ベソをかくあかりだが、そもそもバイトしないからな。少なくとも俺はする気はない。

 姫野さんのところでは、だけど! 正直ちょっとバイトの響きに青春の波動感じちゃったよね! まぁ俺がバイト始めようがあかりは仲間外れにはならないから大丈夫だ! そもそもまだするとは決まってないし!


「それじゃあ、そろそろバスの時間だから私は行くね」


 姫野さんが言うので各々が応じると、姫野さんはバスロータリーの方へと歩いていく。


「……はあ」


 バスに乗り込む姫野さんを見届けると、横からため息の音が聞こえてきた。


「どうした河合? 疲れたか?」

「え、あ、ううん大丈夫、まだまだ元気だよ!」


 笑顔で河合がグッと両手を握ると、私たちも帰ろうかと改札の方へと歩いていき、あかりも晩御飯♪晩御飯♪と歌いながらその後に続く。


 ふむ、あかりはさておいて河合はけっこう疲れてそうな感じだった。まぁ確かにけっこう長い時間勉強してたし、俺も多少は疲れてるけど……果たしてそれだけなのだろうか。


「あれ、どうしたのコウ?」


 つい考え込んでいると、あかりが改札の方から俺を呼んでくる。

 少し気にはなるが、突っ立っていても仕方ないのでひとまずあかりたちの方へ向かった。

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