第四十六話

『そういやどこ遊びに行く?』

『山!』


 とは昨日家に押しかけて来たあかりとのやり取りだ。

 山。

 山な。

 見てみれば、緑の芝生に覆われた山肌が目に入る。木が見当たらないのはこの山が日本屈指の野生芝の自生地だからだろう。特徴的な外見は割と地方でも名前の知られてる山だったりする。

 ただまぁだからと言って山が全て芝生に覆われているわけではない。ハイキングのコースには樹林も当然待ち受けてる。きっと虫とかも多いし何かと疲れそうだな……。


「どうしたの? コウ」


 不思議そうに小首をかしげるあかり。

 地味に暑いのと想定外の目的地に気分が沈んでいたのが顔に出ていたらしい。

 あまりマイナス感情を表に出すのはよくないな。

 まぁ山と言っても標高三百メートルちょっとの小さな山だし、いわば軽いハイキングというやつだ。しかも一人じゃなくてあかりもいるんだから楽しくないわけがないよな!


「いやなんでもない。行くか」


 入山料が要るので料金を払い、いよいよ山道へ踏み入ると、所々欠けたりした急斜面を這う石造りの階段が早速現れる。

 これを上るのかと今から疲れていると、あかありが先へ先へとぱたぱた上っていく。流石運動神経抜群なだけあってペースが速い。


 それにしても。

 と、揚々と階段を駆け上がるあかりの後ろ姿を眺める。

 下は動きやすそうな靴にカラフルなレギンスの上に履かれたハーフパンツ、小ぶりなリュックを背負う上にはベストを羽織り、帽子をかぶる様はお洒落な山ガールの名前が似合っている。対して俺は登りやすそうな服を選んでしまったのでお洒落の欠片なんてありもしない。多少は考えた方がよかったかもしれないな……。


「コウはやくはやく~」

「はいよ」


 まぁ何にせよあかりは可愛いのでそれでいいだろう。

 十数段先で待つあかりに追いつくべくペースを上げる。


「もうちょっとゆっくり行かないか?」


 あかりの元に到達するが、それだけでけっこう疲れたので提案してみた。


「コウ」


 真摯な眼差しをよこすと、あかりはグッと親指を突き立てる。


「明日は待ってくれない、だよ!」


 いや知らんがな。

 心内で思わず突っ込んだことなど露知らず、あかりはまた先へと行こうとする。

 

「あっ」


 ふと、一段飛ばしで階段を上ろうとしたあかりが小さく声を漏らす。

 瞬間、あかりの身体が不自然に揺れた。

 おいおい、まさかバランス崩しやがったのか!?

 すかさずあかりの背後につくと、なんとか華奢な身体を支える事が出来た。


「……あぶねぇ」


 下を見れば既にそれなりの高さがある。もしあのままバランスを崩して落ちようものなら確実にケガをしていただろう。それどころか打ち所によっては最悪の事態になりかねなかった。 


「あ、ありがとうコウ……」


 先ほどとは打って変わってしおらしく紡がれたあかりの言葉に応じようと、一段下から上へと目を向ける。

 同時に、今俺がどういう状況なのか把握した。

 左手のひらはあかりの腕を支えているだけだったが、問題は右手だった。触れているのはどうにも比較的柔らかめの場所らしい。どこなのか確認を踏まえて一つ揉んでみる。


「はう……っ」


 快活なあかりにはらしくないか弱そうな乙女の声が耳朶を打った。

 軟らかな感触、これは間違いない――


「くすぐったいよ……」

「あ、悪い」


 お腹だ。

 それでもまぁ、割と身体も密着しているし、今の状況はいわば抱擁とさしたる違いはない。

 たださぁ! お腹なのにらしからぬ変な声出してんなよな! いやそれ以外ならいいってわけじゃないけどね!?


 身体中が熱くなってきたのはあかりの体温のせいか、あるいは俺自身の動悸のせいか。

 ともあれ精神衛生上よくないので急ぎあかりから離れた。


「……まぁなんだ、お前。階段割と欠けてたりするし、気をつけろよ。落ちたら洒落にならない」


 まともに顔も見られず、ついつい突き放したような言い方になってしまった。


「ご、ごめん。気を付ける……うん」


 束の間の沈黙。

 なんとも微妙な空気が漂う。

 まぁ、きっと頂上に行けばきっと空気も澄んでいるはずだ。


「とりあえず、行くか」


 あかりが無言で頷くと、今度は先に行かず俺の後をついてくるのだった。




 石階段がある程度続いた後には土と木の階段へと道は変わった。

 傾斜も緩やかになり、木々にも囲まれるようになったおかげで多少涼しくなった。

 おかげであかりも従来の様にはしゃぎ始めている。


「これはもしかして、ラフレシア!」

「あほか」


 頭に手刀を加える。

 どう見てもタンポポなんですがそれは。


「うっ、頭が壊れる……ッ」


 例の如く、大して強くやってないのに頭を押さえうずくまるあかり。


「元々だろ」

「あっ、何それ!」


 さっさと歩き始めると、不服そうなあかりが隣に並んでくる。

 同時に少し前の記憶がふらりと蘇った。

 そう言えば小学校の頃ここ歩いたんだよな。遠足で。その時は確か……。

 

「この看板!」


 突如声を上げたあかりが、道を少し外れたところへぱたぱたと駆けていく。

 その先には、朽ちかけたポイ捨て禁止という木札が立てられていた。

 あかりが札の後ろに回り込み覗くと、飛び跳ねる勢いで手招きしてくる。


「来て来てコウ!」


 俺も木札には覚えがあった。

 応じて、しゃがむあかりの傍らに失礼して、同じように木札の裏側を覗いてみる。

 そこには幼い字で『あかり こう なかよし』とかすれ気味になりながらも書かれていた。

 そうだ、確かアンケートを取る人みたいにボードを首に下げてんだったか。確かたんけんバッグとかいう名前だった気がする。何を書くために下げてたのかは忘れたが、その場で文具を持ち合わせていた俺とあかりがいたずらで書いた字だった。


「まさか残ってるとは……」

「懐かしいねぇ」


 あの頃はまだこの木札も新しめだった気がする。何年生の時の話だったか忘れたが確かにあれから年月は経ったらしい。

 自然と視線があかりの方へ向くと、かつてのあかりと今のあかりの記憶同時に頭に浮かび上がる。

 照らし合わせてみればあかりは、変わらないけどやはり変わっている。なんとも不思議な気持ちだ。俺もあの頃に比べたら随分変わった。


「えと、どうしたのコウ……」


 声が聞こえたので見てみれば、どこかむずがゆそうにしながら頬を紅くするあかりの姿があった。


「え?」

「なんか、ずっとこっち見てるし」

「あ……」


 どうやら過去を懐古するあまり現実の景色を見れていなかったらしい。

 控えめのあかりの視線が時々こちらを向いてはまた逸らされていた。

 ていうかけっこう近いな! 誰かに押されようものなら色々と危ないくらいに!


「べ、別に何も無いぞ。とりあえずあれだ、頂上近くなってきたし行くか!」

「え、あ、そうだね! 登ろう!」


 即座に立ち上がり、先を行くと、あかりもすぐに追いつき並んでくる。

 なんとも言い難い空気を払拭すべく、適当な話を振りながら進んでいくと、やがて視界が開けた。


「おお!」


 あかりが柵から乗り出すので俺も倣って見てみる。


「確かにすごい」


 柵を隔てて草原地帯の山腹が地上付近まで続き、その向こうでは市街地が一面広がっていた。さらに向こうを見れば別の山がある事から、住んでいる場所が盆地だったことを思い出す。


「もうちょっと上まで行けるみたいだぞ」

「あ、ほんとだ!」


 背後の階段を上り切り、尾根道を歩いていけば今度こそ山頂にたどり着いた。

 この山特有の芝生は下と同じく、山頂と書かれた立札やベンチなど置かれ軽い広場となっている。


「ほお~絶景なり絶景なり!」


 先ほどよりも幾らか青空が近づいた街並にあかりが目を輝かせる。

 地上よりも標高が少し高いせいか、日光は当たっているが多少涼しい。

 少し座って休憩しようかとベンチに向かおうと足を動かすと、不意にあかりが俺の肩を叩いてきた。


「ねぇコウ」

「どうした?」

「ほら見て!」


 あかりの指さした先には、見事な縦長の雲が空を貫いていた。飛行機雲だろうか?


「確かにあの飛行機雲は立派だな」

「あ、ほんとだすごい! じゃなくて、手すりの前!」


 いつの間にノリ突っ込みを覚えたんだお前……というよりこいつの場合は素か。

 ともあれ飛行機雲の事を指していなかったようなので、指示された通り焦点を空から手すりに合わせてみる。

 しかしいるのは一人で見に来ているらしい見物客の女の子の後ろ姿だけだが……まさかその子を指してるのか?


「えっと、あの子?」

「そう! もしかして、るみちゃんじゃない?」


 突如告げられた名前にはっとする。よく見れば、確かにそんな雰囲気がある。

 河合かわいるみ。あかりの中学からの友達にして、三年間一緒のクラス。その縁あって俺もたまに一緒にいる事がありそして、俺が嫌われ続けた、あの――

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