第四十三話

 各々が発する帰り支度の布切れの音が、至る所で乱雑に聞こえてきていた。

 授業の間、昼休みに放たれたあかりちゃんぱんちの余韻に浸っていたのも束の間。

 前を見れば黒板に書かれた文字に溜め息が漏れる。


「はぁ」


 明日の日付は無機質に描かれた横線に存在を否定され、代わりに今日の日付が図書委員会の文字の下に己を誇示するように光っていた。

 しかしくどい言い回しを幾らしても結果は変わらない。要するに委員会開催の日付が急遽、明日から今日になっただけだ……。


「コウ君、委員会だね」

「そうだな……」


 弾む声で姫野さんがこちらに近づいてくる。

 その目は爛々と輝き、その視線は俺からあかりの方へと移される。


「委員会行って来るねあかり」


 姫野さんの言葉に、あかりは目に見えて石造の様に固まると、やがて我に返って首を振る。


「し、仕事だもんね! 仕事!」


 そう叫ぶと、脱兎のごとく教室を出て行った。

 まぁ、仕事だからね。仕事!


「それじゃ、またねコウ」


 シュウが爽やかな笑みを残すと教室を出て行きいよいよ一対一になってしまった。


「とりあえず行きますか」

「そうだね」


 言うと、姫野さんが一歩距離を詰めてくる。

 同時にいつもの華やかな香りが漂ってきたのですかさず先を行く。


「あ、コウ君待ってよ」

「まぁ、あんまり時間をかけてもあれだしな?」

「もう、酷いよコウ君」


 姫野さんは不服そうにしながらもすぐに追いついてくるが、それでもできるだけ姫野さんの一歩先を行くように足早に廊下を歩く。


 やはり俺も一介の男子高校生。姫野さんレベルの人がこうも露骨に近づいてくると、嘘と分かっていても揺らいで来てしまう。無論それくらいであかりから乗り換えるような真似をするつもりはないが、念には念を。精神的にも物理的にも接近はできるだけ避けるにこしたことはない。


 早めの歩調にも拘わらず存外長い道のりを行くと、ようやく図書室の札が見える。

 競歩選手はこのような気持ちでゴールラインを切るのだろうかと考えつつ中に入ると、本の香りに多少心が落ち着いた。


 少し早かったか、まだ室内は閑散としているが、座る場所はあらかじめクラスごとに指定されているようだった。


 二組の紙が置かれた長机の一画に座ると、距離が開いてもう一つホッとする。隣同士ではあるが、机を隔てての隣で助かった。

 

「そうそう、コウ君」


 ふと姫野さんが話しかけてくる。まぁ発生するよな、強制会話イベント。


「どうしたの姫野さん」

「いつ遊びに行く?」

「……」


 姫野さんの発言についつい押し黙ってしまった。いきなり何を言ってるんでしょうかねこの人は。


「あれ、コウ君聞いてる? 昼休み考えとくって言ってくれたよね?」

「あ……」


 それかぁ!

 まさかそこを掘り下げてくるとは……なんていうか、あれはノリで言っちゃったというか咄嗟に口をついたというか。


「それとも私とは嫌だったかな?」


 姫野さんが器用にも頬を赤らめ恥ずかしそうに髪の毛をくりくりといじる。

 その所作はまさに天使たるそれ!

 けど、騙されるな俺。これは演技だ。演技。

 もうこの際演技でも良くねってくらい可愛いけどここで折れてはならない。

 ならないんだけど……。うっ、頭が割れるッ!


「あ、ここだな! ここ!」


 男のさがと戦っていると俺の隣の席に、坊主頭の男が座って来た。

 後から見た事ある気がする女子もやって来る。確かそっち側は一組か。

 

「よっ、二組の忍坂だよなお前!」


 ふと、坊主はガキっぽく、良く言えばどこか人懐っこさの滲む声を向けてくる。


「えっと、そうだけど。どっかで会った事あったか?」

「うわひっでぇ! 一番最初の集まりで全員自己紹介したし顔だって合わせてるだろぉ!?」

「ああ……」


 言われてみれば自己紹介してた気がする。それでここにいるって事は同じ図書委員って事だから俺の事を知ってるのは当たり前か。

 なんていうかあの時はまだ姫野さんの事知らなくて、二人で委員会活動だって舞い上がってたからな。当番決めの結果くらいしか記憶にないんだよ……。


「名前なんだっけ?」

「そぉい!」


 大げさに机の上で転んで見せる陽気な坊主頭。

 にしてもテンション高いなこいつ。でもなんだろう。覚えてないはずだけどどっかで会ったような気がしないでもない。

 

「ごめん、名前覚えるの苦手でさ」


 少し腑に落ちないものを感じるが一旦おいといてとりあえず謝ると、仕方ねーなーと言って自己紹介してくれる。


「俺は物見太陽ものみたいようだ。ちゃんと覚えたな?」

「物見だな、覚えた」

「これで忘れたらお前は人として失格だからなー!」

「分かった分かった」


 まぁ実際、わざわざ名乗らせておいて後日忘れたら無礼に当たるだろう。


「それで、物見は俺に何か用があったのか?」


 聞くと、物見は少し考えた後、カッと目を見開く。


「無い、事も無い。だが、無い!」

「どういう意味だよそれ……」


 半ばテンションの高さに疲れを覚えていると、こいつ自身も疲れていたのか、笑み交じりに椅子の背にもたれる。


「いやさー。ほら、委員会ってけっこうあるだろー? 知り合いは多いに越したことはないからな」

「なるほど」


 それはまぁその通りか。

 

「とにかくよろしくな」

「ああ、よろしく」


 思いがけず知り合いが出来てしまったが、おかげで邪念を忘れる事が出来た。当の姫野さんも俺の交友関係の邪魔をするつもりはないのか、何かの本を読んでいる。


 物見に内心で感謝していると、気付けば図書室の長机の椅子はほとんど埋まっていた。

 室内の様子を眺めていると、間もなく荒沢先生、もとい担任のアラサー先生が入って来る。どうにも司書教諭で担任と司書を二つ受け持っているらしい。なかなか教師も大変そうだ。


「皆さんこんばんはー。いきなり日付変えちゃってごめんねっ」


 外見はともかく、三十過ぎという年齢を考えれば割ときつい口調で謝罪してくる。

 ほとんどの生徒から白々しい視線を向けられるが、意に介さずアラサー先生は続ける。


「まず本の整理、と行きたいところだけど、今日はちょっとお知らせがありまーっす。ぱちぱち~」


 一人で拍手すると、何事も無かったかのようにわら半紙のプリントを配り始める。

 すぐに回って来たので何が書いてあるのか見てみると、そこには『図書委員交流会』と書かれていた。さらに読んでみると、どうやら放課後の時間を使って他校の図書委員と本の紹介をしあったりして交流するという企画らしい。


「読んでもらったら分かると思いますけど、こういう企画があります」


 ただ、とアラサー先生が続ける。


「残念なことに定員は各学年二人ずつなんですよねー。とりあえず挙手してもらおうと思うんですけど、行きたい人いますかー?」


 図書室内は水を打ったように静かになる。

 まぁそりゃそうだろう。ほとんどの学生の本分は委員会ではなく部活のはず。放課後とあれば部活は休まないといけないし、しかも日時は唯一授業が一つ減る水曜、場所はここじゃなくて他校の図書室という。帰宅部にせよ、放課後外に出て、さらには早く帰れる日なのに学校の行事に拘束されたい奴なんていないだろう。


 ただ、俺はちょっと行ってみたい感があるな。他校との交流という響きってなんか青春っぽくないか? そもそも図書委員に入った動機って青春っぽいからだったし。

 

 ……でも、俺は挙手できない。

 その理由が目の前にいる女神。恐らく、俺が行くと言ったらまず姫野さんも付いてくる。それはつまり俺の心労がよりかさみかねないという事。

 だからこの場はぐっと我慢だ。


「おかしいですねー。青春ですよ? 青春したくありませんか?」


 誰も挙げないのに痺れを切らしたか、アラサー先生がそんな事を言う。

 うんうん。そうですよね? 青春ですよね!? なんであげないんだよみんな! いや理由分かってるけどさ!


「ほら、男子のみんなとか。きっと女の子もいますよ? 青春したくないですかー?」


 アラサー先生の言葉に一部の男子がざわつく。そうだろうそうだろう。きっと向こうの図書室には女の子もいるに違いない。お前ら青春ラブコメしたくないのか!

 ああ駄目だ、別に女の子は求めてないけど青春青春言ってたら割と行きたくなってきた。


 挙げそうになる手を必死で堪えていると、そういえば、と隣の方を見る。

 物見なんかこの手の煽りに弱そうなのに。

 だが、物見は手を上げるどころか欠伸を噛み殺していかにも興味なさげの様子だった。


「じゃあ俺行きまっす!」


 遂に一人出てきた。

 二年の先輩のようだが、確かに女好きそうなナリをしている。委員には負けてきた口なのだろう。それを合図にちらほらと別学年で手が挙がり、果てにはじゃんけんまで始まった

 しかし肝心の一年生は誰も挙げようとしていない。


「あとは一年生ですけど……いないです?」


 アラサー先生の問いかけに誰も応じようとしない。それどころかどんどん目が死んでいってる気がする。よほど行きたくないらしい。まぁたぶん入ったばかりだから部活に専念したいという所だろう。

 別学年のメンバーが決まったころ。とうとう諦めたのか先生が口を開く。


「仕方ない。ここは忍坂君と姫野さんにお願いしようかなー」

「はい?」


 突然の言葉についつい聞き返す。


「部活やってないの二人だけだし、二組だし」


 にこっと笑うアラサー先生。

 その言葉に、さっきまで干からびた魚の目をしていた一年生どもの目に輝きが戻っていく。こいつら……。


「分かりました、じゃあ私たちが行きますね」


 それに乗じて返事したのは姫野さんである。しまった、なんで俺は姫野さんに口を開かせたんだ!

 だが時すでに遅し。


「おっ、流石姫野さん」


 隣で物見がそんな事を言う。

 それが合図だったのかは分からないが、一年から自然と拍手が起こった。

 おいおい、ここで拒否したらもう俺完全に空気読めない奴として嫌われるの確定じゃないか……。


 ここは甘んじて受け入れるしかないか。仕方ないよな。うん。

 ちなみに、別にこういう他からの圧力が無い限り行けなかったよなとか思ってなかったからな。そこは勘違いしないでもらいたい……すまんあかり。ラブコメはさていおいても多少の青春はしときたいんだ俺……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る