第四十話
打ち上げ場所は、校外学習の時に使った駅の近くにある焼き肉屋だった。
このクラスが仲良いのか、はたまた誰かが暗躍したのかは分からないが、五つあるテーブル座席は全て埋まっている。
その一角では、今日のMVPであるあかりが囲まれわいわいと騒がれ、シュウは肉食獣の方々に取り囲まれ、それらの輪にいなくても、誰かは誰かと楽しそうに話に花を咲かせていた。
今が好機だろう。
姫野さんの方へ目を向けると、丁度姫野さんの周りには誰もいない。この時を待っていた。
「姫野さん」
「あれ、コウ君、どうしたの?」
「ちょっとだけ時間ほしいんだけどいいだろうか」
できるだけ周囲に聞こえないように言うと、姫野さんは探るようにこちらを覗き込んでくる。
「コウ君からそういう事言うなんて珍しいね」
「だからここで断られたらたぶん立ち直れない」
本音を打ち明けると、姫野さんがどこか可笑しそうに笑う。
「ふふっ、いいよ」
「ありがとう、それじゃあちょっと外で話したい事があるんだけど」
「ここじゃ駄目かな?」
「ちょっとな。あかりの事も含めて少し」
あかりという言葉を聞くと、姫野さんの目が怪しい色を帯びる。
「ふーん。分かった」
「先に出とくからバス停辺りまで来てくれると助かる」
姫野さんが肯定するのを確認すると、その視線から逃れるように背を向け俺はさっさと外に出る。
店の前だと目立つので少し歩いたバスロータリーで待っていると、少しして姫野さんがやって来た。
「それで、話って何かな?」
姫野さんが軽い調子で聞いてくる。僅かに小首をかしげるその姿は、やはり洗練されていた。
「その、あかりを嫌ってるっていう理由について聞きたくて」
「やだな~コウ君。それは前言ったよ? うるさいし、私とはまず性質が合わない」
晴れ晴れと姫野さんは言ってのけるが、聞きたい答えはそれじゃない。
「本当にそれだけなのか?」
もう一度聞くと、姫野さんの黒い瞳が俺を捉える。
「どういう事かな?」
言い方こそ普通だが、どこか脅迫じみたものも感じる声だった。
……これは言うべきか少し悩むところだけど、あちらから話す気が無いなら言うしかないだろう。
「実は俺、姫野さんが中学の頃の話をある人から聞いてさ」
言うと、様子が一転した姫野さんの鋭い視線が俺を捉える。
「へぇ……聞いたんだ」
今までにない冷たい声音に、嫌な汗が背中を伝う。
落ち着けよ俺。勝手に過去を暴かれていい気分になる人なんていないんだから。
「その事は素直に悪いと思ってる。ごめん」
まずは先んじて謝罪すると、予想とは裏腹に、姫野さんはつまらなさそうに停留所のプラスチックゲートにもたれかかる。
「別にいいよ。どうだっていい事だもん。でも、それ知ってるなら質問に答える必要なくなっちゃうね」
「ごめん」
申し訳なくなり、もう一度謝罪が口をつく。
だが謝っているばかりでは話は進められない。切り替える。
「でも、という事は、やっぱりその出来事のせいであかりが嫌いになったって事でいいんだよな?」
俺の問いかけに、少し沈黙を置いてから姫野さんが答える。
「……まぁそうだね。どうせあんな事になるんなら初めから関係なんて壊しておけばいい。ただそれだけの話」
姫野さんのまつ毛は重々しく地面の方を向くと、思い出したように空へ向く。
「でも、それがどうかしたの? あかりが煩わしくて嫌いという事は変わらないよ」
「嫌い、か」
これはあかりが俺に対して好意を抱いているかもしれないと仮定した時に出てきた疑問、違和感。
「そう言うけど、姫野さんはほんとにあかりの事嫌いなのか?」
それを確かめるために姫野さんを呼んだ。
「……なんで?」
姫野さんが冷ややかな瞳がこちらへ向く。
「なんていうのかな、姫野さんってあかりが嫌いだから俺に近づいたんだろ? その意味もだいたい分かってる。自分の言うのはおこがましいけど、姫野さんはたぶんどこかであかりが俺に好意を持っていると感じ取った。だからそれを横から奪いとるという形であかりとの関係を壊そうとした。そういう事だよな」
考えを述べると姫野さんは冷たい笑みを浮かべる。
「やっと気づいたんだ」
反応を見る限りでは間違ってなかったらしいので、抱いた疑問を言葉にする。
「ただ、なんていうか、おかしくないか」
「おかしい……?」
「もし本気であかりとの関係を壊そうと思ってるなら、なんでわざわざ俺にあかりが嫌いって打ち明ける必要があったんだ? 悪口まで言って」
言うと、姫野さんは押し黙る。
姫野さんの筋書きは、俺に好意を抱いているあかりの前で俺と仲良くすることで、あかりに嫉妬を植え付け関係を断つというものだったはずだ。
でもそれを遂行するなら、わざわざ自分の汚れた部分を俺に見せつける、つまり自分を否定するような事を言う必要は無かったはず。何故ならそれは、姫野さん自身から俺を遠ざける結果になりうるから。
姫野さんほどの人間だ。あかりの悪口を言えば俺が嫌な思いをすることも理解していただろう。だったら何故そんな事をしたのか。
それは自分のやってる事を否定して欲しかったのかった、という側面もあるだろう。これは俺自身と重ねることだが、否定的な考えを口にするのは、たいていそれ自体を否定して欲しいからだ。
でもそれは俺の話。たぶん姫野さんはそれだけじゃない。
「もしかして姫野さん、あかりのために動いてたんじゃないのか?」
俺なりに違和感について考えた末、たどり着いた答えがそれだった。
「姫野さんは、あかりが俺に好意を抱いていた事も、それが間違った方向に行こうと……」
「それは違うよコウ君」
言葉途中で遮られる。
だがその声はどこか沈んでいて儚げにも聞こえる。
「みどりの日覚えてるかな? 私がコウ君の家に行った日」
「そりゃまぁ」
だいたいここから色々とおかしくなった。
「あの時コウ君の家にあかりが来たのって偶然だと思う?」
「え?」
一瞬戸惑うが、よく考えればあかりが来たのはかなりまずいタイミングだった。
「私が言ったんだよ。校外学習の帰り、あかりが相談してきた。コウ君と仲直りしたいって」
「……仲直り」
そう言えば校外学習の日、確かにあかりは機嫌が悪かった。今思えばその理由はなんとなく分かるけど、その時は俺もすっきりしてなかった。
「だから適当な事を言ってみどりの日にコウ君の家に行くように仕向けた。時間もある程度指定しておいてね。それにしても良いタイミングだったけど」
「なるほど……」
だいたいその時の状況は分かった。でもそれがどうしたというのだろう。
「分からない? もうその時に、あかりと私の関係は崩れたんだよ。だからもう派手に動く必要がなくなった。だから全て打ち明けた。ただそれだけ。だって私の目的はもう達成されたもん。コウ君と一緒にいる必要はないんだから、あとはコウ君を引き離せばいい。まぁ、一応保険として球技大会は誘わせてもらったけど」
姫野さんの主張はある程度納得のいくものだった。反論する言葉が見つからない。
確かにその後数日、あかりと姫野さんが一緒にいるところなんて見たことが無い。今も打ち上げで一緒に話してる姿も無かった。
姫野さんの言う通り、やはり二人の関係は壊れてしまっているのだろうか?
諦念が胸に浮かぶが、それでもなんとか言葉を見つける。
「……それにしたって、引くタイミングが早すぎるんじゃないか? 確かに、もし仮に俺に対して好意を抱いていたのなら、あかりにとってあれはかなりきつい光景だったとは思うけど、それだけで崩せたと考えるのは早計だ」
絞り出すも、それは一言で一蹴される。
「そんな事ないよ」
冷たく放たれた短い言葉に過ぎなかった。
だがそれはどこまでも重々しくて、真実味を帯びている。主張をねじ伏せるほどの力があった。
「聞いたんだよね? 私の事。だったら分かると思うよ。人間関係の希薄さが。例えそれが、もの心ついた時から行動を共にしてきた相手だとしても、何か一つの出来事があるだけで簡単に消える」
淡々と文を重ねる姫野さんの瞳の黒は一度はまれば永遠に落ち続けるのではないかと錯覚するほど濃かった。
「それは……」
口を開きかけるが、何も言えない。
何故なら実際に姫野さんはそれを体験してしまったから。
それはたまたま運が悪かっただけだ。きっとそうなのだろう。現に俺とあかりの関係は少し綻んだが、また元に戻っていた。
でも刻まれた記憶は案外、自分の中で一つの根拠として強く在り続ける。
姫野さんにはそれがあった。
裏付けのある事実は覆す事は出来ない。それでも覆すとすればその裏付け自体が間違っていると示す新たな証拠が必要となる。
けど残念ながら、俺にはその証拠を提示することができない。
これまでかと息をつくと、ふと慌ただしい足音が耳に届く。
「ことみん……!」
あかりだった。
焼き肉屋からここまでそんなに距離は無いが、ダッシュしてきたのだろう。ほんの少し息が上がっている。
だが元々運動神経抜群のあかりは、深呼吸一つで元の呼吸へと戻った。
「コ、コウもいたんだ」
すぐに俺に気付くと、あかりが少し困惑気味に言う。
どうやら俺と姫野さんが一緒にいたから来たというわけではなさそうだ。
「どうしたの?」
姫野さんが微笑み交じりに言うと、あかりは突然頭を下げる。
「ごめん!」
「え……」
これには姫野さんも予想外だったのか、小さく声を漏らしていた。かという俺も理解できない。
「その、コウと一緒にいるのを見てからね、ずっとことみんを見ながら嫌な事を考えちゃってた。財布落としたらいいのにーとか、テスト失敗したらいいのにーとか……。今も、ことみんにちょっと嫌な感じがしちゃってる」
俺を見てあかりが言う。
だがすぐにまた姫野さんの方へ目を向けると、話を続けた。
「でもでも、私やっぱりことみんとは仲良くしたい! わがままなのはわかってるんだけど、やっぱりことみんと一緒にいたくて……その……」
言葉を見つけられないのか、あかりが言いよどむ。
それでもなんとか見つけたのか、力強く言い放つ。
「こんな私でも、ことみんさえよかったら、これから仲良くしてください!」
再び、あかりが頭を下げる。
その姿に喉の奥から笑いがこみ上げてくるのが分かる。
なんか告白みたいだなそれ。
「あかり……」
姫野さんが名前を呼ぶが、適切な言葉が見つからないみたいだ。
だから少し余計なお世話ながら一つの事実を突きつける事にした。
「そんなに脆いもんなのか、人間関係って」
言うと、こちらを見た姫野さんの瞳が僅かに揺れる。
やや沈黙があって、あかりの方を見た姫野さんがゆっくりと口を開く。
「あかり、言っとくけど私、コウ君の事好きだよ?」
「え」
「は?」
あかりと俺の声が重なる。
出し抜けに放たれた言葉に、今度は俺の方が姫野さんの顔を見ることになる。
しかし姫野さんは特に動じた様子もなく続ける。
「だから、これからコウ君の家にも行こうと思うし、二人だけでおでかけだってしようと思う。それでもいいのかな? それでも仲良くしたいって思える?」
姫野さんの言葉に一瞬たじろぎそうになるあかりだったが、逆に少し身を乗り出す。
「だ、だったら、私はことみんよりもっと遊びに行く! もっと家に行くよ! それでことみんとも遊びに行く!」
あかりが負けじと言い返すと、姫野さんがふっと笑みを零す。冷ややかなものではなくもっと暖かい笑みだ。
「……そっか。それならいいよ。またいつも見たいにお話ししよ、あかり」
姫野さんの言葉に、元気よく挨拶する。
「うん!」
あかりはいつもと変わらない、満開の笑顔だった。
「花咲さん達何してんのー? シメるから早く来な~!」
「あ、うん!! 今行く~」
誰かが叫ぶので見てみると、店の方から何樫が手を振っていた、あかりがそれに応じて前を駆ける。
「二人ともはやくはやく!」
あかりがせかすので、俺達も戻る事にする。
「コウ君」
店に入る直前、姫野さんに名前を呼ばれ引き留められる。
「私、まだあかりを信じたわけじゃないよ」
でも、と姫野さんは続ける。
「信じてみたいとは思ったかな。だから……」
ここで言葉を区切ると、姫野さんは前に躍り出る。
「覚悟しといてね」
まるでいたずらする前の子供の様にほほ笑むと、姫野さんは店の中に入っていく。
覚悟、か……。
どういう意味が込められてるのか分からないが、俺も少し気を引き締めた方が良さそうだ。
ふと、空を見上げると、そこには綺麗な月が光っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます