〇影を落とすもの

第二十八話


 気付けば既に六時間目。


 今日にいたっては本当に何もなかった。こういう日もあるかのというくらい何も無かった。昨日同様、姫野さんとあかりは一回も一緒にいたのを見なかったが、何樫もこちらに何かしてくるわけでもないし、シュウも昨日の事は特にこれ以上話すつもりは無いのか、平生と変わらず話しかけてきたりする。


 まさに静かな日常。


 それだけに思考は捗ったが、未だにあかりに告白させるか、やめさせるかについて結論は出す事は出来ていなかった。俺は結果を知っていても、あかりは何も知らない。やらないで後悔よりはやって後悔という言葉がある通り、もしここで何もしない事を選んであかりに後悔はしてほしくない。


 ただ、やっぱり負けると分かっている戦に駆り出すのもひどい話ではある。まさに悩みどころだ。


 まぁでも球技大会までまだちょっとはある。それまでになんとか答えを導き出せればそれでいいだろう。それに俺もそろそろ考えている余裕がなくなってきた。


 というのも、この世には嵐の前の静けさという言葉がある。今日はここまで静かで平和な日常ではあったが、それはきっと何かの前触れでは無いだろうか、という予感が思考の半数以上を占め始めたのだ。


 それの最たる原因は恐らく、この六時間目が終わり、放課後となった時に起こる強制青春イベント、図書当番の存在だろう。


 そう、否が応でも姫野さんと二人にならなくてはならないのだ。

 正直、姫野さんとどう接すればいいのか分からないのが今の俺の状況だった。


 しかし嘆けど時間は勝手に過ぎる。


 やがて六時間目終了のチャイムが聞こえると、下校のチャイムもなりだす始末。

 図書当番だって仕事なのでバックレるわけにも行かない。

 

 シュウに別れの挨拶を残し重い腰を上げると、誰かの人影が俺の傍まで寄って来る。


「図書当番だね」


 姫野さんだった。俺がサボらないようにわざわざ来てくれたのかは分からないが、従来と何も変わらない様子でニコニコと微笑みを向けてくるその姿に、言葉は悪いが不気味さすら感じてしまう。


 直視できず斜め後ろへ視線をずらすと、今度は姫野さんの肩越しにあかりと目が合ってしまう。


 しかし特に何を語り掛けてくるでもなく、あかりは目を逸らしテニスバッグを持ってぱたぱた教室の外に出ていってしまった。


「どうしたのコウ君?」

「うおい」


 ふと姫野さんが顔を近づけてくるので、咄嗟に一歩後退すると、ポケットから携帯が落ちる。


「あっ、携帯」

「おっと……」


 すぐさまスマホを拾い上げると、ポケットにしまい直す。


「コウ君大丈夫? なんか変だよ?」


 姫野さんの訝し気な視線が突き刺さる。

 はぁ、何を俺はびびってるんだか。たとえちょっとダークな所があってもそれは姫野さんに変わりないんだからびびる必要は無いだろう。俺の好きな人であるわけだし、あまりビクビクしてたら失礼だろう。


「あーいやごめん。寝不足でさ」

「そうなんだ。あんまり夜更かししちゃだめだよ?」

「だよね、気を付けるよ」


 じゃあ行こっかと姫野さんが言うのでその後に続く。



♢ ♢ ♢



 特に喋る事が無かったのは姫野さんも同様なのか、お互い無言で歩いていると、やがて図書室に着いた。

 パソコンとおすすめの本が置かれたカウンター席に座ると、静かな時間が訪れる。


 暇だから携帯でも触ろうと取り出すと、あろう事か液晶が割れ電源は入っても反応しなくなっていた。恐らくさっき落とした時打ち所が悪かったのだろう。最悪だ。


 ただ壊れてしまったものは仕方ないので、とりあえず前を向くと、立ち並んだ長机が自然と目に入ってくる。そういえば前はここに紙袋が整列していたな。


 別に恋しいわけでは無いが、今日に限っては前みたいに図書室を埋め尽くしてくれた方がありがたかった。


「そういえばコウ君」


 進むのが遅い時計と睨めっこ初めてどれくらい経ったか、夕日が差し込む頃、おもむろに姫野さんが口を開く。


「昨日あかりと一緒にいたけど何してたの?」


 そういえば俺とあかりが一緒にどっか行くところに、丁度姫野さんと鉢合わせしたもんな。だから気になっているのだろう。

 ただ、それを聞かれても俺に答える事はできない。

 かと言って何もやってないなんて言っても、余計怪しまれるだけだろうから正直に伝えた上で答えないのがベストだろう。


「ちょっと相談事をされてて。内容は姫野さんでも言えないんだけど」

「そっか。じゃあ仕方ないね」


 姫野さんも初めから根掘り葉掘り聞くつもりは無かったようだ。あっさりと受け入れてくれる。


「ごめん」

「ううん、いいよ」


 なんとなく隠し事をする事に罪悪感を覚えたので謝ると、姫野さんがやにわに言葉を発する。


「でもコウ君も大変だよね」

「大変?」

「たぶんあかりの事だから面倒な事コウ君に言ってるんじゃないかなーって」


 別段、何気ないような些細な言葉だったが、どういう訳か少しカチンと来たのを感じる。


「まぁ確かにあかりは色々と世話がかかるけど、別に面倒だとか思ったことはないよ」

「へー、コウ君って優しいね」

「別にそうでもないんじゃないかな」

「ううん、優しいと思うよ。だってあのあかりといるんだもん」


 ……一体どういうつもりなのだろうか。優し気な口調とは裏腹に、言っている事に棘しか感じない。露骨に悪意が見え隠れしている。

 姫野さんはあかりを嫌いなのかもしれないが、振られただどうだ云々以前にあかりは俺の大事な友達だ。そういう悪口じみた事を聞かされるのは気分の良いものではない。


「あ、そう言えばあかりってたまに馬鹿みたいに言葉の意味を変にはき違えるよねー」

「姫野さん、もういいかな」

「あと、自由すぎるっていうか……」

「姫野さん……!」


 たまらず語気を強めに言ってしまった。

 言葉が途切れる。

 居心地の悪い沈黙の時間が訪れると、やけに時計の針の音がうるさく感じた。

 どれくらい経ったのか、数秒か、数分か、いやたぶん何分も経っていない。一瞬の出来事。姫野さんが小首をかしげこちらを覗き込む。


「幻滅したよね?」


 笑っていた。

 だがその意味はまったく読み取れない。

 いたずらめいたような笑み、どこか嬉しそうな笑み。こちらを見る目はどこまでも黒く深く、底がまったく見えなかった。


 一体姫野さんは今何を考えて、自分を否定する質問を投げかけ、笑っているのだろう。

 俺には分からない、姫野さんが。好きな人のはずなのに。

 ただ茫然と、視線を固定していると姫野さんが立ち上がる。


「ごめんねコウ君、今日はちょっと早く帰らなきゃいけなくなったから、今日だけ後はお願いできるかな?」

「え、あ、うん……」

 

 しどろもどろになるが、なんとか返事する。

 利用者もいないし、あとはカギを閉めて職員室に返すだけだからなんの問題も無い。それに俺としてもそっちの方がありがたかった。


 本当にごめんねと姫野さんが申し訳なさそうに謝ると図書室を出ていくと独りになると、また時計の針の音がよく聞こえた。

 そういや、携帯修理しに行かないとな。

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