第十話 『契約』

 

「うっ……うぅう……もう止めてよ。双火ソウカ姉さん……」

 手足を拘束する枷の冷たさを感じなくなったのは、僕の体温が下がっている事を意味した。

 鞭で叩かれ、ミミズ腫れの線を残す部分だけが未だに熱を帯びている。


「ねぇ、お姉ちゃんは教えて欲しいだけなの。『どうやって』お爺様を殺したの? どんな卑怯な手を使ったの? 何でその後、目が見えなくなってるの? 耳も聞こえづらくなってるって報告があったよね? 何で? 教えて? ねぇ、教えてよ?」

 耳元で囁く様に聞かれた問いに、僕は困惑した。だって、生まれつき僕は『目が見えない』し、『難聴』だからだ。

 そのせいで虐められた事もあったし、『雨竜家』の中で蔑まれているのは知ってる。


 ただ、何故だろう。不意に頭の中に靄がかかっている様なふらつきを覚えた。


「僕は、姉さんが何を言ってるのか理解出来ないよ」

「何で分からないの? 貴方ってそんなに馬鹿なの? それとも、鶏の様に数歩歩けば記憶を忘れてしまうなんていう異能を持っていたのかしら?」

「…………」

 ここは多分、牢屋だと思う。そして『拷問部屋』とでも呼ぶべきなのだろうか。

 既に爪は全て剥がれ、髪は引き千切られて余った箇所は燃やされた。

 それでも痛みは感じられない。強いて言うならば抱いたのは忌避感だろうか。ーーとにかく不快なだけだ。


天音アマネ姉さんが言ってたよ。双火ソウカ姉さんは『狂人であり、極度のサド』だってさ」

「ふ、ふふ、うふふふ。あの『ゴミ』がそんな事を貴方に吹き込んだの? さぁ、殺しに行きましょう。今すぐ肢体を燻製にして、広間にオブジェとして飾ってあげるわ」

「……僕は、貴女より天音姉さんの方が好きだけどね。はっきり言って、弟を拉致してこんな事をしてる時点で、自分が異常だって気付かないのかな?」

 何でだろう。天音姉さんを馬鹿にされて苛立っているのが自分でも分かる。


「……いけない子ね。お姉ちゃんにそんな口を聞くなら、『もういらない』かなぁ」

「んむぅっ⁉︎」

 何かの液体が染み込んだ薔薇の刺繍入りのハンカチで口と鼻元を塞がれた直後、僕の意識は遠退いた。


 __________


 ーーコツンッ、コツンッ、コツン、コツン、コツン、コツン。

 長い廊下を響く足音。徐々に近付く異能者の気配に、双火は戦慄した。そして、そんな自分に驚き自ら頬を叩く。


「おふざけが過ぎますよ。双火様?」

「…………私の私兵をどうした」

「少々手間どりましたが、黙らせて頂きました」

「雨竜の血を引かぬゴミが、この屋敷に足を踏み入れているだけで汚らわしい」

 先程までのおっとりとした恍惚の笑みは抜け落ち、まるで仇を睨みつける如く唇を噛みしめ、顎へ血を滴らせる金髪の女性と、美しき黒髪を返り血で染めた化け物『擬き』はこの時、ーー初めて対峙した。


「天理様を返して頂きます。これは当主の勅命だとお考え下さい」

「断る。敬愛するお爺様を殺した弟から話を全て聞き出すまで、返す気はない」

 天音はただひたすらに瞼を閉じていた。その姿を奇異として捉えた双火は、一つの提案を持ちかける。


「ねぇ、貴女の知ってる事を全て教えなさいな。お父様と一体何を企んだの? 嵐道も絡んでるのかなぁ? 答えられないなら、この子の解毒剤は渡さないわ」

「ーーーー毒⁉︎」

 目を見開いた天音の表情を見て、双火の口元は思わず三日月を描いた。普通ならばハッタリだと思う内容であろうが、雨竜家において双火にだけは通じない。ーー常識そのものが通じない。


「だって、不快で不愉快で不可解なんだもの。煩わしくて、紛らわしくて、モヤモヤするの。死ねばスッキリするでしょう?」

「……実の弟でしょうが!」

「だからこそ、殺すのよ?」

 首を傾げる姿、その瞳を見た瞬間に天音は理解した。この女は違う意味で確かに天理の実姉なのだ、と。


「『契約』をしましょう。私が今貴女を殺さないでいるのは、天井裏に潜んでいる三人がいるからだと分かっていますか? それでも刺し違えれば討てる」

「えぇ、分かってるわ。あんなに殺気を撒き散らしたら逆に主人である私が危険だとは思わないのかしらねぇ? 『躾』が足りなかったかしら」

「私は政宗様より、天理様の回収を言い渡されています。ここでその言いつけを果たさせて貰う代わりに、今後、雨竜家の『闇』を引き継ぎましょう」

 双火は一瞬足りとも驚く様子が無く、闇に濡れた双眸で眼前の少女を観察する。一考した後に、口を開いた。


「お爺様の代わりになるとでも言いたいのかしら? 『ゴミ』が何をほざいているの?」

「その『ゴミ』にここまでの侵入を許した時点で、今の発言は説得力を持たない」

「……いいでしょう。去れ」

 あくまで表面上は冷静な仮面を被りながら、双火は跪いた天音を見下ろす。その俯いた顔が、どんなに鬼気とした表情を浮かべているかも知った上で。

((いつか、必ず殺す……))


『契約』は成された。互いの思惑が複雑に絡み合った中心である幼い天理を除いたままに。

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