第百三十三話

「よし、問題ねぇな。俺もエリクシア同様、歌に抗える強さがあるからなのか、移植した部位が部分的だからなのか知らねぇが、戦いに支障はねぇようだ」


 ギスタが拳を力強く握り締めながら、そう独り言ちたのが聞こえてきたが、どうやら私とヴァイツ兄が危惧していた歌のギスタへの弱体効果は、見た限りはほとんど現れてはいないようだった。

 私は心配事が杞憂だったことに胸を撫で下ろし、引き続き歌を歌い続ける。


「安心したよ。じゃあ、これから思いっきり戦えるね、あの女と。僕も君には戦力として期待してるんだからさ、ギスタ!」 


「ああっ! 弟分のためにも、あの女とはこの大陸、この場所で決着をつける! いや、つけなきゃならねぇ! いくぜ、ヴァイツ!」


 ギスタが吠えると、二人はほぼ同時にエリクシアに向かって疾走していた。

 だが、対峙するエリクシアは痛みからか表情を歪めながら、動く気配はない。

 そこへ真っ先にギスタが飛びかかり、近距離の間合いにて構えを取った。


「ここが俺の必殺の間合いだ。さあ、死合おうぜ、エリクシア!」


 ギスタはそこから踏み込んでアサシンナイフを突き出し、振り向きざまに手刀を一閃、そのまま勢いを殺さずに、足を振り上げてハイキックを叩き込む。

 そのいずれもがエリクシアに命中した。

 斬り裂かれた箇所から血が溢れ出し、宙を舞って地面に滴り落ちる。


「舐めるなっ……下等な暗殺者の分際で」


 これまで聞いたことのないような低い声でエリクシアは呟くと、地面を蹴り、ギスタの頭上に出現した彼女は、落下の勢いを乗せた踵落としを繰り出した。

 その踵からは刃が突き出し、ギスタの肩の肉を裂いて血が噴き出す。


「ぐおっ……痛ぇ。痛ぇが、これしきは覚悟の上だ。これしきの痛みなんざな。さあ、戦いの続きといこうぜ、エリクシア!」


 二人を中心に激しく金属音が響き渡る。両者の体の動きに沿って残像が生じ、高速で、ギスタとエリクシアは手にしたアサシンナイフと短剣で打ち合った。

 一撃ごとに火花が散る激突は、両者の体に無数の傷を刻み、血が滲んでいく。


「お前ごときに……ここまで張り合われるだなんて、屈辱だわ、ギスタ」


「動きが明らかに鈍ってるぜ、エリクシア。さっきの負傷が相当深いようだな。この機は絶対に逃がさねぇ。このまま追い詰めてやるぜ、とことんな!」


 エリクシアの左拳を潜り抜けたギスタが、アサシンナイフを首元へと繰り出す。

 だが、エリクシアはギリギリで致命傷は避けたものの、すうと細い線のような血筋が首筋に浮かび上がったかと思うと、血が噴出した。

 しかしその瞬間、エリクシアの動きが前触れなく加速した。


「ぐ、うおあっ!」


 彼女の動きが鈍ってきているのは確かだが、ギスタはそれに対応出来なかった。

 これといって特徴のない単純な掌底突きだったが、しかしそれはギスタにとって非常に重く深い一撃となった。


「ちっ、重ぇ……どんなに弱ってきていても、やはり最強の暗殺者かよ。単純な身体能力じゃ、俺の方がまだまだ分が悪いってのかっ……」


 恐ろしく重い一撃に、よろけて後ずさるギスタの目の前で、エリクシアの体がぶわっと宙に浮き上がる。

 咄嗟にアサシンナイフで応戦しようと、ギスタは空に浮いた彼女に仕掛けたが、それは虚しく空を切った。


「確かに私は弱っている……けど、お前ごときに負ける私じゃない!」


 唖然とするギスタに彼女が繰り出したのは、またしても至極、単純なただの回し蹴りだった。だが、ギスタは防御をしようと試みるも間に合わず、胸元を蹴られて、そのまま後方へと吹っ飛ばされた。


「へっ……鉄化面のお前にも感情はあったんだな。激情に任せて、技術もなく単純な力押しで攻めて来るとは、お前も相当に追い詰められてるって訳か」


「ギスタごときが……舐めた口を!」


 二人は突進し、ほとんど体が消えて見えるほどの高速で、打ち合った。

 連続で、何度も何度も。その度に両者の体に無数の傷跡が走って、血飛沫が舞うが、それでもどちらも一歩も譲ることなく、応酬を繰り返した。


 ――その様子をヴァイツ兄は、ただただ傍観していた。


 彼らのあまりに激しい戦いに、立ち入る隙すら見つからないためだろう。

 連射式ボウガンを構えて機を窺いながらも、先ほどから立ち尽くしている。


「……凄いよ、二人とも。あんな超一流の暗殺者同士の戦いに、僕なんかじゃとても横槍なんて入れられない……出来るのは、ただ見守ることだけだ」


 エリクシアの短剣が風を切って迫り、更に強烈な掌底をギスタは首の皮一枚で飛びずさって避けるが、続けざまに彼女はぶわりと宙に浮かぶと、回転の勢いを上乗せして踵落としを確実にギスタに命中させてきた。


「ぐぅっ……両翼を使って加速してやがるのか!」


「ご名答よ……けど、それが分かってもお前には避けられない!」


 ギスタはようやくエリクシアの変幻自在な体術の仕組みを見抜いたようだが、間髪入れずにエリクシアが繰り出した掌底がギスタの土手っ腹に炸裂し、彼の体は衝撃により後方へと思いっきり吹き飛んだ。


「ちぃっ……強ぇ……」


 ギスタはよろよろとふらつく体を支えながら、何とか立ち上がる。

 だが、次に彼が取った行動は、固唾を吞んで戦いの一部始終を見ていた私の予想を大きく上回るものだった。


 ――何とギスタは、アサシンナイフを放り捨てたのだ。


 そして上半身に纏っている黒装束も、装着していた携帯武器の数々ごと躊躇無くはぎ取って地面に投げ捨てた。


「お前に対抗するには不要な装備をすべて外し、軽量化するしかねぇようだ。そして……それに加えて背水の陣の覚悟でお前を倒す! おおおおおっっ!」


 限界まで加速したギスタは、エリクシアが繰り出した横蹴りを屈んで躱し、更にそこから斜め後ろへと回り込んだ。

 その予想を超える動きに驚いたのか、エリクシアは驚きの表情を浮かべると、ギスタが放った手刀を翼を広げて空を飛ぶことで躱して、そのまま反撃に転じた。


「お、おおおおおおっ!!!!」


 だが、ギスタは彼女の空中からの回し蹴りに体が対応出来ていた。

 防御のすべてを捨て去った背水の陣の覚悟故か、今のギスタは自身の限界以上の力を引き出しているようだった。

 そして躱し様に地面を蹴って跳躍、浮遊するエリクシアの足首を掴んでいた。


「ギスタっ……な、舐めるなぁ!!」


 叫ぶエリクシアを掴んだまま、ギスタは彼女を地面に叩き付けると、そのまま彼は彼女に馬乗りになり、渾身の力で顔面を何度も何度も殴りつけた。

 あまりの屈辱に怒りの形相になったエリクシアが、激しい勢いで跳ね起きる。


「ギスタ!! よくも私に、こんな真似を……!」


 エリクシアの全身から、内から絞り出すかのような殺気が吹き上がった。

 半端な覚悟の持ち主であれば、意識を失いかねない凄まじさだった。


「受けて立ってやるぜ、エリクシア。最後の勝負をな。これが最後の一撃だ。次の攻撃に俺のすべてを込めて、俺はお前を超える!」


 強大なる殺気を周囲にばら撒くエリクシアに対し、ギスタは力強く己の手刀に凄まじいポテンシャルの気を纏わせていった。

 私も、そしてヴァイツ兄も、じっと拳を握り固めて戦いの行方を見ている。

 そして、最後の戦いの始まりは……。


 ――エリクシアの叫びが、その引き金となった。


「あ、あああああっ!! 殺してやるわ、ギスタッ!!」


「そいつは俺の台詞だぜ、エリクシア! おおおおあああああっ!!!」


 二人の体が飛び上がった中空にて交錯した。

 激突の瞬間、私が見たのはギスタの手刀が、エリクシアの胸元を深く抉った様と エリクシアの短剣もまた、ギスタの脇腹を刺し貫いている所だった。


「ギ、ギスタ……お前なんかが……ここまで」


「……さすがだぜ、エリクシア。お前は俺の弟分、セッツの仇。けどよ、お前の暗殺者としての技量の高さには敬意を払うしかねぇ」


 ギスタとエリクシアは着地と同時に、揃って前に数歩歩いたまでは両者同じ。

 だが、そこからエリクシアは糸が切れたように前のめりに倒れ、ギスタは口から吐血したものの、片膝をついて地面に蹲りながら、ぎりぎりで命を繋いでいた。

 相討ち……いや、僅差で生き残ったギスタの紙一重での勝利であった。


「勝負、ありだぜ……あばよ、エリクシア」


 そう漏らしたギスタの表情は復讐をやり遂げた満足感と、極限まで技を極めた仇敵の死を惜しんでいるかのような、どこか悲愴感をも漂わせていた。

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