第百十七話

「何なのだ、あれは。今まで見てきた、どの魔物ゴルグも可愛く見える巨体だ。しかもあれほど巨大なものが空を……っ!」


 俺達はラグウェルに跨りながら、上空に浮かび上がる巨大な何かを見上げた。

 しかもそこまで強くはないが、空へと吸い上げられる吸引力を感じていた。

 それによって、あれの直下の黒い霧を飲み込んでいっているのだ。


「まるで神様……みたいだね」


 ラグウェルがぽつりと、そう漏らす。

 確かに人知を超えた超常の存在には違いないのだろうが、だからと言って、あれが人々に福音を齎す善なる存在とは、とても思えなかった。

 むしろ人類に破壊と死を与える、悪しき神と言った所か。

 俺は理解を越えた相手に対し、どう行動を起こすべきかと逡巡していたが、そんな時だった。


「近づきすぎないことです、当主殿! あれは高高度の上空を飛行し、先ほどのように、強力な毒を放つ子機を発射して、広範囲に渡って地上を汚染する厄介な殺戮生物です。ですから、無駄に命を落としたくないなら、間違っても挑もうとは考えないことですなぁ!」


 それは飛び去ったと思っていた、エリクシアの背に跨るカルギデだった。

 俺達の間近まで接近し、こちらを見据えながらも上空を飛行する化け物に注意を払っているのが窺えた。


「とっくにグロウスの元に逃げ帰ったのかと思っていたぞ、カルギデ! だが、どうやらお前達もこの大陸の攻略には苦戦しているようだな!」


「今の所は、ですがね。ですが、すでに私達は攻略の糸口を掴みつつあります。過去にこの大陸に足を踏み入れた経験があると言う、シャリム……いや、貴方が言うグロウスの力があってこそですが」


 俺達の会話のやり取りの間にも、事態はより最悪な方向へと動いていった。

 上空の巨大生物の下部に無数についている、口のような部分が一際大きく息を吸い込んだかと思うと、次の瞬間にはカルギデが言った通り、先ほどの肉の柱を眼下に向けて大量に、激しい勢いで射出したのである。


「くっ、ラグウェル、回避だ! もし本当に毒を放つというなら、あれに少しでも触れる訳にはいかない!」


「わ、分かったよ。努力してみる、何としてもさ!」


 ラグウェルは巧みに雨のように降り注ぐ肉の柱を回避していったが、尚も射出の勢いは衰えない。カルギデ達も虹色の雉に変化したエリクシアが素早くかつ、正確な動きで躱していった。

 そしてようやく攻撃の手が緩んだと、思った時……。


「これは……恐ろしい。地上を見てください、まるで紫の霧です。あの肉の柱達が落下地点から、毒ガスを散布しているのでしょうねぇ。その猛毒ガスによって地上を闊歩する魔物ゴルグ達すら、死に絶えていっています」


「ああ、そのようだな。俺達も地上にいたままだったら、命はなかった」


 俺は命を拾ったことに胸を撫で下ろすと同時に、タイミングが悪かったならば死んでいた事実に、改めてこの大陸の恐ろしさに戦慄を感じていた。

 俺達の残る人数は僅か五名。この脅威に対抗するにはあまりにも少なすぎる。

 一刻も陛下達に合流しなくてはならないのは、俺達には死活問題だった。


「ふむ、この生きるか死ぬかの瀬戸際、闘志が燃え滾ってきましたなぁ。この場は引き返すつもりでしたが、少し手合わせしてみますか、当主殿!? 今度は空中戦、しかも上空の災厄の殲滅者の攻撃を潜り抜けながらです。まあ、返事を待つつもりはありませんがね!」


 そう言い放つと、カルギデは突如、こちらに向かってエリクシアに跨り空中を猛突進して、鬼刃タツムネを振り下ろした。

 俺は咄嗟にルーンアックスで弾き、その刃から火花を散らした。


「互いの乗り物の飛行性能が試されますなぁ、当主殿! そちらの黒竜と鳥へと変化したエリクシアのどちらが上か、試してみるのも悪くはないでしょう」


「いいだろう、来るなら来い、カルギデ!」


 カルギデ達は俺達の周囲を旋回し、仕掛けるタイミングを探っていたが、その間にも上空の巨大生物は口から息を大きく吸い込み、先ほどと同様の次なる攻撃を放つ前動作を行っていた。

 だが、先ほどの回避の動きを見て明らかだったが、残念ながら飛行性能と言う点においてはラグウェルよりもエリクシアの方に軍配が上がるようだった。


(……つまり次にカルギデが仕掛けてくるのは、肉柱の射出の間になるはず。それが奴にとって最大の好機となる瞬間、見逃すはずがない)


 そして俺もその時を身構えて待った。

 飛行性能に差がある以上はこちらから先制を仕掛けたとしても、距離を取られて逃げられてしまう。

 だから相手の攻撃の瞬間を狙って反撃することに、俺は意識を集中させた。


 ――そして時は来た。


 上空より無数の肉の柱が降り注ぎ、地上へと次々と突き立てられていく。

 ラグウェルは必死にそれを躱していくが、その動きはどこかおぼつかない。

 対して、エリクシアは精密機械のごとき正確さで易々と躱して、こちらへと速度を上げながら突き進んできた。


「では推して参ります、当主殿!」


 暗黒色のオーラを纏ったカルギデと鬼刃タツムネが真っ直ぐに迫る。

 だが、その刹那……エリクシアの姿は掻き消えるようにして消失した。

 俺の目と感覚でも捉えられなかった程に。そして……。


「うあ、わああああっ!!!」


 ラグウェルが悲鳴を上げて、眼下へと真っ逆さまに墜落していく。

 どうやらすれ違いざまに今の攻撃を受けたのは、ラグウェルのようだった。

 だが、俺は感知能力でエリクシアの体内の気の流れを読んでいたにも関わらずそうであっても今の動きは読み切れなかった。


「ば、馬鹿な。なぜだっ……!?」


 疑問の答えを探す暇もなく、ラグウェルはどんどん飛行高度を下げていく。

 このまま地上に激突すれば全滅は必至。

 だが、そんな俺達に追い打ちをかけるように、カルギデの更なる攻撃が俺達の頭上高くから繰り出されようとしていた。


「さて、耐えられますかなぁ、当主殿。私の新たなる奥義『ボルド・ダークネス』を!」


 カルギデが頭上に振り上げた鬼刃タツムネの切っ先から、赤黒い気の塊が次第により大きく形作られていき、そして刀が振り下ろされると共に、それが俺達を目掛けて投げつけられた。


「ラグウェル! 聞こえているか!? どうにかあれを避けてくれ。あれだけの気の凝縮体、まともに喰らっては取り返しがつかなくなる!」


 しかしラグウェルからは返事がない。どうやら意識を失っているようだった。

 落下の速度は衰えることなく、俺は最悪の事態が起きることも想像していた。

 だが、その時、マクシムスが両手の指先でラグウェルの頭を掴んだかと思うとずぶずぶと指先と頭部を一体化させていったのである。


「失礼、少し貴方の体を操作させて頂きますよ、ラグウェルさん」


 すると、力なく動きを止めていたラグウェルの両翼は生き返ったかのように力強く羽ばたき、これまで以上にキレのある動きで降り注ぐ肉の柱達と、カルギデが放った奥義を躱して退けていってみせた。


「ほう、話には聞いていましたが、貴方が悪名高き『黒太陽の悪魔』ですか。私には今の奥義で仕留められる自信があったのですが、予想外の動きです」


 マクシムスはその言葉に関心を示すことなく、ラグウェルの体を巧みに操り、高度を上昇させていくと、俺達は空中の同一高度にて、カルギデとエリクシアと正面から相対する形となった。


「貴方もまたこの大陸で生き抜くための仲間を得たと言うことですか、当主殿。そう、仲間は必要不可欠です。この地では間違いなく。まだ戦い足りない所ではありますが、しかしそろそろ頃合いのようです。久々に実力が拮抗した者同士の血が沸き立つ戦いを楽しめたことですし、私達は今度こそ、退散するとしましょう」


「いいのか、カルギデ。この戦い、制空権はそちらにある。このまま続ければ勝つのはお前達かもしれんぞ?」


 俺の言葉にカルギデは笑みを浮かべたまま、鬼刃タツムネを背に戻した。


「それも結構。シャリムからは貴方を確実に殺せとは言われてませんし、どこまで腕を上げたか、むしろそれを知りたがっていた様子でしたからね。そう慌てずとも共に同じ大陸にいるのですから、いずれまた戦う機会などいくらでも巡ってきます。ですから、その時が来るまでお互いにこの大陸で生き残るとしましょう」


 カルギデはそれだけ言うと、示し合わせていたかのようにエリクシアが両翼を羽ばたかせて、甲高い鳥の鳴き声と共に、音速を超える速さで瞬く間に空の彼方に消えていった。


「……行ったか。まずは危機の一つは去ったようだが、しかし……このままで果たして俺達が生き残っていけるのか、だな」


 俺はそう漏らすと、地上に散布された毒ガスと、高高度にて浮かぶ巨大生物の動向といった、どこか現実感のないその異様な光景を、それでもこれが現実だと噛み締めながら、しばしの間、ただ眺めているしかなかった。

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