第八十二話

 王城から出た俺達は、王都「龍角都」の城下を僅かな違和感をも見逃すまいと、周囲の様子に注意を払いながら、並んで歩いていた。

 そして王都の警備に当たっている兵士に出くわすと、その度に挨拶を交わした。


「お勤めご苦労だな、何か事件が起きたなら合図を出して知らせてくれ。俺達もすぐに駆けつけよう」


 見通しの良い平原ならともかく、街中なら隠れる所などどこにでもある。

 しかも空き家の中に潜んでいるなど、可能性はいくらでも考えられたが、ミコトが実際に殺戮行為に出たならば、騒ぎにならないはずがない。

 それに望みをかけて、俺達は先ほどから当てもなく王都内を回っているのだ。


「まもなく日が沈む。それまでに見つかればいいが、夜になったとしてもミコトが事を起こさない保証はない。いや、むしろ夜の闇に乗じての方が、やりやすいと思っているかもしれん。だからカルティケア王を含むあの三人と鉢合わせる可能性があるが、このまま捜索は継続したいと思う。すまないが、お前達も付き合ってくれ」


「うん、最初からそのつもりだよ。けどあの三人、かなり強そうだったし、街中で戦いになったとしたら、周囲に被害が出ちゃうよね……。民間人達が屋内で息を潜めてくれてるのが、せめてもの救いかな」


 ヴァイツはそうなった事態のことを考えているのか、手を顎に当てながら言ったが、ノルンとシンシアも異はないようで黙って歩いていた。

 それからどのくらい街中を捜索していただろうか。ミコトはそう簡単には尻尾を出してくれることはなく、ついに日が完全に沈み、夜の刻が訪れた。


「……とうとう夜になってしまいましたね、アラケア様。ミコトは私達のことに勘付いて、行動を控えているんでしょうか。ですけどあの狂人がそう長く抑えていられるとは思えません。私はきっと、そろそろ……な気がします」


「ああ、陛下の目の届かないこの国はあいつにとって新天地のはずだ。目の前の餌を前にして、そうそう我慢などしていられまい。いずれ尻尾を出す。それは時間の問題だ。引き続きこのまま……」


 俺がそう言いかけた時だった。どこか遠くで喧騒が聞こえ始めたのだ。

 俺達は顔を見合わせると、「行くぞ!」と声をかけて騒ぎが起きている方向に向かって街中を駆け出した。


「ちと遠いな。シンシア殿、騒ぎは王都のどこで起きているか分かるか?」


「恐らくだが、方向からして商業区の教会通り辺りだろう。だが、私が本来の姿を解放してひとっ飛びすれば、数分あれば辿り着く。アラケア殿、ヴァイツ殿、ノルン殿、全員で私の背に乗ってくれ」


 そう言うとシンシアは黒い霧内で見せたように、徐々に巨大な蛾の形態へと姿を変化させていく。

 そして次々と飛び乗った俺達を背に、空へと飛び上がった。


「しっかり掴まっていてくれ。全速力でいくぞ!」


 風を切る音と共に猛烈な勢いで、俺達を乗せたシンシアは空を飛んだ。

 すると瞬く間に騒ぎが発生している現場が、俺達の目にも見えてきた。


「あそこか! 人々が逃げまどっている! 降ろしてくれ、シンシア殿!」


 俺はシンシアが着陸するのを待たずして、背から飛び降りると地面に着地した。

 そして周囲を見回し、教会内から血の匂いがしているのをすぐに感じ取った。


「……いるな。今、現在進行形で行われているのだ、殺戮が」


 俺は一足遅く降り立ってきたヴァイツ、ノルン、シンシアと共に、兵士達が取り囲む教会へと駆け込んだ。そしてそこで俺達の目に飛び込んできたのは……。

 倒れた人に馬乗りになり、胸から腹にかけて何度も刺し、返り血を浴びている狂気とも言えるミコトの姿だった。


「ミコト!!」


 俺は叫んだが、ミコトは振り返ることなく、刺された人は呻き声をあげていた。

 周囲からは悲鳴を上げる人々が教会から脱出しようとしていたが、ミコトは関心がないようで一心不乱に女性と思われる人を執拗に村正で突き刺している。


「うっ……なんて惨状だ。あいつ、自分の行為に躊躇している様子がまるでない。もうあの女の人は助からないな。息を引き取るのは時間の問題だろう……。ならせめて他の人達が逃げる時間を稼ぐために、僕らが注意を引くしかないね」


 そう言うとヴァイツは黒甲冑に装着されていた、投げナイフを立て続けにミコトへと投げ放った。

 ミコトは避ける素振りもなかったが、命中直前にその姿はふっと掻き消えた。

 そして……と、同時に凄まじい衝撃波が俺達へと走った。


「くっ……!」


 衝撃波が走り抜けた後、ヴァイツとノルンとシンシアは被害状況を確認するべく辺りを見回してみたが、その顔が恐怖で青ざめた。

 俺達の背後の床は、巨大な鉤爪のようなもので大きく抉られていたのだ。

 しかも抉られた跡は、俺達に触れる一歩手前の足元まで伸びていた。


「多分、そろそろ来る頃じゃないかと思ってたんですよ、皆さん。でも、これ以上は我慢なんて出来なくて……あら? やっぱり貴方だけはこの程度の脅しじゃ怖がらないんですね。じゃあ私と貴方達でこれから殺し合いといきませんかぁ、アラケア殿? ちゃんと追って来てくださいね、舞台はこの王都全域ですよ?」


 女神像の真下に姿を現したミコトはそれだけ言い終えると、ステンドグラスを割って教会の外へと飛び出した。


「ちっ、逃げる気か! だが、このまま見失う訳にはいかん。追うぞ、ヴァイツ、ノルン、シンシア殿!」


 俺達も急いで教会の外へ出るとミコトの姿を求めて駆け出した。

 見るとミコトはかなりの速度で街中を駆け抜けていっていた。


「私に捕まれ! また妖精種族本来の姿に戻り、空から追跡する!」


 シンシアは再びその姿を巨大な蛾へと変えていき、俺達を乗せて飛翔した。

 空からだと地上からよりも一段とミコトの動きはよく捉えられ、みるみる内に俺達とミコトの距離は縮まっていった。


 ――このままいけば、追いつける!


 と、俺達の誰もが、確信したその瞬間だった。

 ミコトは商店の屋根に飛び乗ったかと思うと、居合の構えを見せて鞘に納めた村正を、俺達に目掛けて一気に引き抜いたのだ。

 居合の最大速度が音速を越えたのか、衝撃波が発生し、シンシアは進行方向を咄嗟に変えることが出来ず、直撃を受けた。


「ぐあっ……あああああああっ!!!」


 瞬く間にバランスを崩してシンシアは眼下の街並みへと落下していった。

 そして商店の屋根に大きな音を響かせて墜落した。


「くっ、無事か……シンシア殿、ヴァイツ、ノルン?」


 俺は落下の衝撃で周囲に放り出された三人に声をかける。

 するとヴァイツとノルンが、今の墜落の際の衝突によって崩れ落ちた商店の瓦礫の中から姿を覗かせた。


「ぼ、僕なら何とか……それにどうやらノルンも無事みたいだよ。けどシンシアさんは……?」


 彼女の姿を探すべく辺りを見回すと、シンシアは瓦礫の中で横たわっていた。

 人の姿に戻っており、体のあちこちから血を滲ませている。

 しかもどうやら気を失っているようだった。


「ノルン、シンシア殿の介抱を頼む。俺とヴァイツはあの女を……ミコトとこれから一戦を交える。くれぐれも巻き添えを食わないようにな」


「……分かりました、アラケア様。ですが、兵士達が駆け付けてくれば介抱を任せて私も加勢に入ります。ですからそれまで、どうかご武運を」


「ああ、頼んだぞ」


 俺とヴァイツはシンシアをノルンに任せると、屋根の上に立ち、冷笑を浮かべながらこちらを見下ろすミコトを見上げた。


「ふふふ、ははははっ……これで貴方達は足を失いましたねぇ。けど追いかけっこはこれで一先ずお終いですよ~。始めましょうか、アラケア殿、ヴァイツ殿。そろそろ私の愉しみを妨害する、お邪魔虫さん達には消えてもらいます」


 ミコトは相変わらず笑っているが、目は笑っていない。

 獣の姿となり、白髪となった髪が逆立つように揺らめいていたからである。


「それは俺達にとっても願ってもないことだ。お前のような危険人物をこれ以上、野に放たせておく訳にはいかんからな。ここでお前の凶行に歯止めをかけさせてもらうぞ、ミコト」


 俺は前傾姿勢でルーンアックスを構えると、先の先を取るべく、必殺の間合いを超えて飛びかかった。

 だが、その瞬間のことだった。

 紅蓮の炎が走ったかのような軌跡を描いて、俺とミコトとの間に、深紅に燃ゆる長柄の槍が地面に深々と突き立ったのだ。

 その槍に阻まれ、俺は突進の勢いを殺されて戦いは中断された。


「へっ、悪いな。横槍入れさせてもらうぜ、アラケア・ライゼルアさんよ!」


 声の方向を見上げるとそこにいたのは、いずれもあのカルティケア王の腹心。

 両翼を羽ばたかせ軽装鎧を着込んでいるバーンと、同じく両翼で飛翔してメイド服に身を包んでいるレイリアであった。


「あら、面倒な連中がやって来ましたね。これからアラケア殿とお仲間を八つ裂きにしようと思ってた所に、お邪魔虫さんが増えるなんて」


 バーンは地面に刺さった深紅の槍の元へ舞い降りると、ミコトを睨み付けた。

 そして地面に突き刺さっていたその槍は、その手で素早く引き抜かれ、屋根の上からこちらを見下ろす、ミコトに向かって突き付けられていた。


「よう、今度は俺と遊ばないか、アールダン王国の殺戮兵器。ここまで好き勝手に暴れてくれた、その落とし前はつけてもらうぜ。要は死ねってことだよ、分かったか? いくぞ、このバーン様が相手だ」


「いいですよ、お相手してくださるというなら、ご自由に」


 俺の眼前に立ったバーンが気を纏い、ミコトもまた剣気を放ち始める。

 急速に二人の闘気が高まり合ったことで、極度の緊張感が満たされていった。


「始まるわ。貴方達は見てなさい。邪魔立てするというなら、貴方達も殺しますから」


 空から降り立ったレイリアは俺達を威圧するような目で睨み、手にした大鎌を俺とヴァイツに向けて宛がった。手を出すなと言うことだろう。

 そして、満を持して対峙していたバーンとミコトは動き……。


 ――ついに、戦いの火蓋は切って落とされた。

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